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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

道東に行ったヒデトシ君の事 ~ 北海道報徳社常会にて

2023-06-17 22:41:54 | Weblog

 

 先日、北海道報徳社の常会がありました。
 
 話題提供の講師は道東の大手砂糖メーカーの方で、テーマは「報徳が札幌農学校の卒業生に与えた影響について」というものでした。

 札幌農学校第二期生の新渡戸稲造や内村鑑三などは、北海道開拓の技術としてはクラークさんの薫陶(彼らが入学したときにはもうクラークさんは帰国していましたが)を受けたでしょうが、開拓するという精神においては当時のカリスマは二宮尊徳であり報徳思想だったのだと。

 そうして新渡戸稲造が「武士道」を、また内村鑑三が「代表的日本人」を英文で西洋に向かって著して、まだ世界に向かってデビューしたての日本の国柄を堂々と示したことを強く評価されていました。

 特に内村鑑三が代表的日本人として選んだ5人は西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮であり、二宮尊徳を選んでいるところにも彼への確かな理解があったというべきでしょう。

 この日の講師の方は、北大農学部の農業経済のご出身で、ご自身も恵迪寮という歴史と伝統ある寮生活を送った経験をお持ちです。

 ここでの経験として、「寮の中で読書会というのがあって、一週間に一冊の課題図書を与えられてそれを読み、次の週に意見を交わした思い出があります」とのことで、札幌農学校二期生にもそうした伝統があったであろうと言います。

 今では北大農学部と言えども報徳をしっかりと勉強している先生がいなくなってしまい寂しい限りですが、価値ある思想は必ず復活すると信じています。


     ◆


 ところで、この日の会合でもう一つ私にとって関心があったのがこの日の講師の勤めている会社でした。

 実は北大農学部の同期だった友人の一人がこの会社に就職したのです。

 しかしもう何十年も会っていなくてお互いに年に一度の年賀状のやり取りだけになっていました。

 そこで講演の終ったところで講師に、「実はそちらの会社にS君という友人が就職したのですがご存じでしょうか」と訊いてみました。

 すると「ああ、エイシュンですね」と即答。

 彼は"ヒデトシ"という名前なのですが、それを音読みで"エイシュン"と呼ばれていたようです。

 そして、「今は彼は定年でその後再任用という形で会社に残ってもらいましたが今は完全に会社からは離れています。ただ、会社で農作業があるときなどはアルバイトで顔を出してくれています」とのこと。

 さらに「彼は砂糖の原材料であるビート(サトウダイコン)の育種をずっと担当していて、今うちの会社で使っているビートのタネは全部彼が作り上げたものですよ」という評価が。

 同僚だった友人が就職先の会社で素晴らしい成果を上げて、後世にしっかりと足跡を残しているという話を聞いて、なんだかとても嬉しくなりました。

 もう60歳を超え、65歳を迎えようとする人生のステージにあって、友人たちも卒業後に就職した職場からは離れてゆく頃なのですが、ヒデトシ君はきっと幸せな人生だったのだろうと胸が熱くなりました。

 そろそろ人生を振り返ることが多くなる年代です。

 後悔せぬよう、そして残りの人生も充実したものにしてゆきたいものです。

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