先日、実家の両親を訪ねて様子をうかがってきました。
91歳の父と88歳の母はいまだに支援や介護などの行政サービスを全く受けずに日々を過ごしていて、子供らとしてはありがたい限り。
ただここまでくると、行政サービスの受け方もわからなくなっているのではないか、と逆の意味でちょっと心配です。
今回の訪問で、「変わったことはないかい?」と訊くと、母親は「何をするにもこわい(=疲れが酷い)」と言い、腰と膝を悪くしていてもう床には座れずに座面が40センチくらいの椅子に座っています。
父親の方は、「足に出来物ができたから皮膚科に行ってきた」と言うのですが、母親がその言葉をすぐに引き取って、「その皮膚科に行ってくるのが大変なのさ」と渋面をつくります。
「どうしたの?」
「皮膚科ってちょっと離れたところ生協の2階にあって、『自転車で行く』って言うから『タクシーで行きなさい』と言うだけど、まあ言うことを聞かない。しょうがないからバス停はどこで降りて、どこにあるかを紙に書いて持たせてバスで行かせたんだわ」
「それで?」
「案の定バス停を一つ乗り過ごして、そこから戻って病院に行ったんだね。でもなかなか帰ってこないのさ。10時くらいに家を出て、13時に病院に電話したんだけど、『11時くらいには出られましたよ』と言うしさ。薬をもらってから帰ってくるかと思ったけど、考えたら病院のところから内までのバスは一時間に一本しかないんだよね。でもまあ午後3時くらいには帰ってきたけどね」
「なんでタクシーに乗らないのさ?」と訊くと父は「いや、生来ケチなものでね」と反省のそぶりもありません。
ここまでくると、命よりもタクシー代の方が惜しいくらいに思っているのでしょう。
それは「自分はちゃんと行って帰ってこられる」という自信に裏打ちされているのでしょうが、はたから見る限りはまことに儚い自身にしか見えません。
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「それとさあ…」と母。「うちのお父さんは暑さが分からないんだよ」
「あらら」「この暑さだから窓を開けて風を入れようとするんだけど、気が付いたらいつの間にか窓が閉まっていて、この間はストーブを点けてたんだよ」
以前も夏に布団を首までかけて寝ていると聞きましたが、歳を取ると暑さの皮膚感覚が失われることがあるようです。
実はそれは、熱中症になりかけていてもその感覚がない高齢者がいて、介護現場でも深刻な問題のようです。
そこでは寒がって夏でもセーターを着たがるるいうのですが、それを「何やってるの、暑いでしょ!」と無下に引きはがすのは、本人の自尊心を著しく傷つけるというのです。
親にもだんだんそんな高齢者特有の問題が増えてきました。
「子ども笑うな 来た道ぞ じじばば笑うな行く道ぞ」という言葉を噛みしめています。