釧路で行われた大漁どんぱくからの帰り道に、阿寒湖へ行く途中に釧路湿原美術館へ立ち寄ってきました。
この美術館は、釧路に生まれた孤高の画家佐々木榮松さんを偲んで、その作品・遺品・資料などを後世に残そうと、佐々木榮松さんと生前交友のあった人たちが中心となって建設活動を進めていたもの。
その母体となるNPO法人佐々木榮松記念「釧路湿原美術館」が認可され、さらにその趣旨に賛同する多くの皆さんからの寄付などもあって、この6月15日に開館したものです。
建物は、かつて「北緯43度美術館」として展示活動を行い、昨年12月に閉館したものを購入して再利用しています。
私も釧路市役所にいた頃からこのNPO法人の理事長になられた片野良一さんや美術館の館長、副館長である高野英弥・範子ご夫妻とご縁ができて、その活動を見守っていた一人です。
開館してから一度お訪ねしたいと思っていましたがきょうそれが果たせました。
しかも普段は東京におられる片野理事長さんが偶然にも釧路で行われる会合に出られるために丁度美術館におられて、互いに再開を喜び合いました。
高野さんご夫妻にもお会いできたところ、副館長の高野範子さん自らがガイドをしてくださることになり、至福のひと時となりました。
高野範子副館長は、ご主人の転勤で釧路へ来られた、本来はよそ者なのですが、縁あって佐々木榮松先生の晩年の身の回りのお世話をすることになり、そうした縁が積み重なって佐々木榮松先生の生前残された作品群を保存し後世に伝える活動に身を置くことになりました。
そうして絵の説明をいただきながら、普段の佐々木先生から伝えられた様々なエピソードがほとばしるように出てきます。
もう少しで終戦という昭和20年7月14・15日に襲った釧路空襲で佐々木先生は幼いお嬢さんを失います。
ご本人は「4歳だったんだ」と言い続けられていたようですが、高野副館長によると「実際は1歳になるかならないかだったんです。記憶違いだったのか、そうお思いになりたかったのかは分かりません。しかしその姿を絵の中で成長させて描かれています」
また佐々木榮松先生と言えば、道東の釣り師としても名が通っており、釣り道具を描く繊細な筆致にはため息が出ます。
全てを独学で修められた佐々木榮松先生の描く湿原を見てから本物を訪ねるも良し、その逆も良し。
釧路湿原の新しい魅力に惹きこまれることでしょう。
釧路方面へお越しの際はどうぞ一度お訪ねください。
【釧路湿原美術館】
http://www12.plala.or.jp/kushiro/