この週末には夜遅くまでのことがいろいろあって、ブログが書き切れませんでした。夏休みの宿題と一緒で、ためると大変なんですよねえ。
今日の夜は、防災公園のアドバイザー会議。これはある団体が面倒をみている、防災公園のあり方について研究をしている活動です。
本来は国と地方自治体の行政関係者の会合なのですが、かくいう私も防災公園には大いに関わっているので、声をかけてもらってメンバーに加えてもらっているのです。
主に地震とそれによってもたらされる建物の倒壊、そして同時多発的な火災というのが、大規模地震の際の都市における代表的な被災シナリオです。
公園など、大規模な空き地は被災直後では火災の際の一時避難場所、あるいは広域避難場所として効果を発揮し、また一時的な災害が収まった時期には復旧、復興の拠点として救援隊や自衛隊の拠点となり、あるいは家を失った人たちのための臨時仮設住宅の場所としても利用されます。
これまでの代表的な地震被害では、阪神淡路大震災でも中越地震でも被災後の公園はそうした利用がされてきています。
今日はそうしたことも踏まえつつ、私が来る前のこれまでの研究の紹介と今後のあり方について意見が交わされました。
※ ※ ※ ※
会合には学識経験者として何人かの大学の先生も参加されていたのですが、興味深い意見が多く出されました。
N先生からは、「東京は関東大震災並みの地震がいつ起こるかわからないが、倒壊と火災のシナリオは、耐震の度合いや住宅の不燃化率が関東大震災の頃よりは格段に進んでいるので、それを踏まえた議論が大事だが、今日的な問題は、『帰宅困難者』の問題だと思う」 と発言。
帰宅困難者とは、大規模災害により交通機関が被害を受けたり、あるいはそこまでいかなくても運行を停止することによって遠くの自宅まで帰宅をあきらめたり、一旦徒歩で帰宅を開始したものの途中で帰宅が困難となり、保護が必要になる人々のこと。
つまり、大地震等で交通機関がマヒしてしまった場合に、職場、学校、買い物先等から自宅へ帰れなくなってしまう人々のことです。
地方都市や田舎ではあまり考えられませんが、東京で大規模地震が発生し交通網が分断された場合、都内の約390万人が帰宅困難者になるという予測もあるとか。
N先生曰く、「実は単に遠いだけではなくて、山手線の内側では山手線をくぐって行く道路の容量に限りがあって、まずそこで大変な滞留が起こるのではないか、また、そこをすぎると今度は川を渡るのに橋の容量が必要になる」
「そうした帰宅者の通る道はおおむね決まってしまうのだが、そうしたどうろは今度は救援のために使われることになる。東京都ではそうしたことを見越して緊急道路の位置づけを行っているが、これが東京都の範囲を出ると、他県はまだそこまでいっていないなどの不整合がある」
「しかも夜までに家にたどり着かない場合は、野宿や夜間の休息の場も必要となる。つまり帰宅者のためには家に向かう放射状の道路とともに、要所要所に水やトイレの拠点と雨露をしのぎながら休息のとれる場所が必要になるということなのです。公園は一時的な避難だけではなくて、そうした休息ポイントとしても利用される可能性があるということを念頭に置くべきだ」
大都会ならではの大きな問題意識です。私の場合は家から職場まで約20kmほどですから、水さえあれば何とか帰ることのできる距離といえます。やはり水の備えですね。
※ ※ ※ ※
またもう一人のS先生は、能登地震の情報を収集されておられて、救援物資の管理が興味深いとおっしゃいます。
阪神淡路大震災などでも問題になりましたが、日本中から救援物資と称して必要なものから要らないものまでが被災地に大量に押し寄せて、現地の役場の職員がその裁きに忙殺されてしまって、功罪相半ばしたという話が伝わっています。
能登地震でも同じようなことが起こりかけたのですが、「ヴァーチャル在庫」という手法を取ってこの難局に対処したというのです。
それは「救援物資を送りたい」という申し出に対して、まず送りたいという物資の品物と量を聞き取って、実際には送らずに情報としてだけストックし、それをデータベースにして必要になったものを伝えてそれを送ってもらうようにした、というのです。
この役回りは石川県庁が行ったそうで、「石川方式」と呼ばれて、効果的という評価を得ているのだそうです。
日本では災害を文化としてとらえ、質の高い災害マネジメントを蓄積しつつあるところといえるでしょう。
しかし阪神淡路大震災の記憶でさえもう風化しつつあると言われています。「忘れないための記念碑を作る場所も公園の役回りだ」とも言われました。
本所被服廠跡地が横網町(『よこづな』ではなくて『よこあみ』)公園になったのも至極当然のことなのです。
日頃の備えこそが災害への最大の対処ですね。
今日の夜は、防災公園のアドバイザー会議。これはある団体が面倒をみている、防災公園のあり方について研究をしている活動です。
本来は国と地方自治体の行政関係者の会合なのですが、かくいう私も防災公園には大いに関わっているので、声をかけてもらってメンバーに加えてもらっているのです。
主に地震とそれによってもたらされる建物の倒壊、そして同時多発的な火災というのが、大規模地震の際の都市における代表的な被災シナリオです。
公園など、大規模な空き地は被災直後では火災の際の一時避難場所、あるいは広域避難場所として効果を発揮し、また一時的な災害が収まった時期には復旧、復興の拠点として救援隊や自衛隊の拠点となり、あるいは家を失った人たちのための臨時仮設住宅の場所としても利用されます。
これまでの代表的な地震被害では、阪神淡路大震災でも中越地震でも被災後の公園はそうした利用がされてきています。
今日はそうしたことも踏まえつつ、私が来る前のこれまでの研究の紹介と今後のあり方について意見が交わされました。
※ ※ ※ ※
会合には学識経験者として何人かの大学の先生も参加されていたのですが、興味深い意見が多く出されました。
N先生からは、「東京は関東大震災並みの地震がいつ起こるかわからないが、倒壊と火災のシナリオは、耐震の度合いや住宅の不燃化率が関東大震災の頃よりは格段に進んでいるので、それを踏まえた議論が大事だが、今日的な問題は、『帰宅困難者』の問題だと思う」 と発言。
帰宅困難者とは、大規模災害により交通機関が被害を受けたり、あるいはそこまでいかなくても運行を停止することによって遠くの自宅まで帰宅をあきらめたり、一旦徒歩で帰宅を開始したものの途中で帰宅が困難となり、保護が必要になる人々のこと。
つまり、大地震等で交通機関がマヒしてしまった場合に、職場、学校、買い物先等から自宅へ帰れなくなってしまう人々のことです。
地方都市や田舎ではあまり考えられませんが、東京で大規模地震が発生し交通網が分断された場合、都内の約390万人が帰宅困難者になるという予測もあるとか。
N先生曰く、「実は単に遠いだけではなくて、山手線の内側では山手線をくぐって行く道路の容量に限りがあって、まずそこで大変な滞留が起こるのではないか、また、そこをすぎると今度は川を渡るのに橋の容量が必要になる」
「そうした帰宅者の通る道はおおむね決まってしまうのだが、そうしたどうろは今度は救援のために使われることになる。東京都ではそうしたことを見越して緊急道路の位置づけを行っているが、これが東京都の範囲を出ると、他県はまだそこまでいっていないなどの不整合がある」
「しかも夜までに家にたどり着かない場合は、野宿や夜間の休息の場も必要となる。つまり帰宅者のためには家に向かう放射状の道路とともに、要所要所に水やトイレの拠点と雨露をしのぎながら休息のとれる場所が必要になるということなのです。公園は一時的な避難だけではなくて、そうした休息ポイントとしても利用される可能性があるということを念頭に置くべきだ」
大都会ならではの大きな問題意識です。私の場合は家から職場まで約20kmほどですから、水さえあれば何とか帰ることのできる距離といえます。やはり水の備えですね。
※ ※ ※ ※
またもう一人のS先生は、能登地震の情報を収集されておられて、救援物資の管理が興味深いとおっしゃいます。
阪神淡路大震災などでも問題になりましたが、日本中から救援物資と称して必要なものから要らないものまでが被災地に大量に押し寄せて、現地の役場の職員がその裁きに忙殺されてしまって、功罪相半ばしたという話が伝わっています。
能登地震でも同じようなことが起こりかけたのですが、「ヴァーチャル在庫」という手法を取ってこの難局に対処したというのです。
それは「救援物資を送りたい」という申し出に対して、まず送りたいという物資の品物と量を聞き取って、実際には送らずに情報としてだけストックし、それをデータベースにして必要になったものを伝えてそれを送ってもらうようにした、というのです。
この役回りは石川県庁が行ったそうで、「石川方式」と呼ばれて、効果的という評価を得ているのだそうです。
日本では災害を文化としてとらえ、質の高い災害マネジメントを蓄積しつつあるところといえるでしょう。
しかし阪神淡路大震災の記憶でさえもう風化しつつあると言われています。「忘れないための記念碑を作る場所も公園の役回りだ」とも言われました。
本所被服廠跡地が横網町(『よこづな』ではなくて『よこあみ』)公園になったのも至極当然のことなのです。
日頃の備えこそが災害への最大の対処ですね。