パソコンに触れることの出来ない環境が4日間続く出張でした。移動距離はどれくらいでしょうか。
疲れました~。
【稚内市都市再生セミナー】
午後1時半に稚内駅に到着するスーパー宗谷で稚内へ向かいました。途中の音威子府当たりからは吹雪模様でちょっと不安になる天気の中、汽車は宗谷丘陵の中を蛇行して北上するのでした。
汽車で稚内駅に降り立つのは何年ぶりのことでしょうか。おそらく高校三年生の冬休み以来でしょうから、約30年ぶりのことです。駅が小さく感じたのは自分が大きくなったからに違いありません。
さて今日は稚内市が年に一度主催する都市再生セミナーです。現在稚内市では駅前地区で再開発事業を計画していて、これにはTMO、バスターミナル、JR稚内駅との接続なども計画されています。
まさにこれまでなかなかやれなかった市街地中心部の大改造ですが、周辺の既存商店街の疲弊も著しく、現状を打破する最後の挑戦といっても良いでしょう。まさに稚内の将来の命運をかける事業になるのです。
今日のセミナーは、そんな再開発事業を前にして関係者が一堂に集まってもう一度意識を共有することを目的として開催されるものです。
午後二時に始まったセミナーは基調講演として私が掛川のお話なども含めて、まちづくりに関するお話しを50分ほどしました。普段は滅多に時間をオーバーすることもなくぴたりと収められるのですが、今日は講演の冒頭でネタふりとして幼い時の稚内の思い出を語った分の5分をそのままオーバーしてしまいました。
内容はいつものことですが、「稚内らしさとは何なのでしょうか?」、「稚内学というものを作り上げてみては?」、「(探検家にして間宮海峡の発見者である)間宮林蔵って地域でどういう存在ですか」といったことから地元オリジナルの発見が自分たちの再認識と、他に代わりようのない自分たちの故郷を味わって欲しいというメッセージを送りました。
後半のパネルディスカッションでは、パネリストの一人のS先生から「町の活性化には4つの鉄則があるんです。①(バリアフリーも含めた)デザイン、②企画、売り込みというプロモーション、③組織をどう作るか、④街なか商店の経営努力と再生、の4つです」とのこと。なるほど、わかりますねえ。
同じくパネリストの横田市長さんからは「稚内には隠れたポテンシャルがあるんですよ。商業統計を見てみると、一人当たりの小売りの額は人口10万人のそれと同じくらいなのです。これは人口4万人の稚内だけではなく周辺からの流入もあるのかな、と思いますが、いずれにしてもこのお客さんを旭川や札幌に出さない工夫が必要です」
S先生からはさらに「街なか再生が絶望的な町も確かにありますが、稚内は市立病院がまだ街なかに頑張って残っていますよね。これが大きいと思うんです。病院が移ってしまっては活性化するのは難しいんです」とも。
最後に横田市長からもう一言。
「稚内学というのは良いですね。今年の2006年というのは、実は間宮海峡が発見されてから200年なんですよ。生涯学習では掛川の榛村さんになかなか及びませんが、これからも地元の歴史なども地域の誇りに繋げて行きたいですね」
思い出したが横田市長さんは、文科省の進める全国生涯学習市町村協議会の副会長を務めていただいているのでした。これからも生涯学習を是非進めていただきたいと思います。
これからも大いにお手伝いさせていただきます。
※ ※ ※ ※
さて、明日の月曜日からはなんと沖縄出張。夜遅くまで稚内市内の面白い人達と飲んで過ごしたけれど、少しでも早く帰るために翌日の飛行機ではなく深夜バスで札幌まで向かうことにしました。
稚内から沖縄までの旅です。「稚内から石垣まで」なら都市再生のキャッチコピーになるのですが、ちょっと距離が足りなかったよう。
それでもかなり疲れそうです。ではおやすみなさい、ZZZ…。
疲れました~。
【稚内市都市再生セミナー】
午後1時半に稚内駅に到着するスーパー宗谷で稚内へ向かいました。途中の音威子府当たりからは吹雪模様でちょっと不安になる天気の中、汽車は宗谷丘陵の中を蛇行して北上するのでした。
汽車で稚内駅に降り立つのは何年ぶりのことでしょうか。おそらく高校三年生の冬休み以来でしょうから、約30年ぶりのことです。駅が小さく感じたのは自分が大きくなったからに違いありません。
さて今日は稚内市が年に一度主催する都市再生セミナーです。現在稚内市では駅前地区で再開発事業を計画していて、これにはTMO、バスターミナル、JR稚内駅との接続なども計画されています。
まさにこれまでなかなかやれなかった市街地中心部の大改造ですが、周辺の既存商店街の疲弊も著しく、現状を打破する最後の挑戦といっても良いでしょう。まさに稚内の将来の命運をかける事業になるのです。
今日のセミナーは、そんな再開発事業を前にして関係者が一堂に集まってもう一度意識を共有することを目的として開催されるものです。
午後二時に始まったセミナーは基調講演として私が掛川のお話なども含めて、まちづくりに関するお話しを50分ほどしました。普段は滅多に時間をオーバーすることもなくぴたりと収められるのですが、今日は講演の冒頭でネタふりとして幼い時の稚内の思い出を語った分の5分をそのままオーバーしてしまいました。
内容はいつものことですが、「稚内らしさとは何なのでしょうか?」、「稚内学というものを作り上げてみては?」、「(探検家にして間宮海峡の発見者である)間宮林蔵って地域でどういう存在ですか」といったことから地元オリジナルの発見が自分たちの再認識と、他に代わりようのない自分たちの故郷を味わって欲しいというメッセージを送りました。
後半のパネルディスカッションでは、パネリストの一人のS先生から「町の活性化には4つの鉄則があるんです。①(バリアフリーも含めた)デザイン、②企画、売り込みというプロモーション、③組織をどう作るか、④街なか商店の経営努力と再生、の4つです」とのこと。なるほど、わかりますねえ。
同じくパネリストの横田市長さんからは「稚内には隠れたポテンシャルがあるんですよ。商業統計を見てみると、一人当たりの小売りの額は人口10万人のそれと同じくらいなのです。これは人口4万人の稚内だけではなく周辺からの流入もあるのかな、と思いますが、いずれにしてもこのお客さんを旭川や札幌に出さない工夫が必要です」
S先生からはさらに「街なか再生が絶望的な町も確かにありますが、稚内は市立病院がまだ街なかに頑張って残っていますよね。これが大きいと思うんです。病院が移ってしまっては活性化するのは難しいんです」とも。
最後に横田市長からもう一言。
「稚内学というのは良いですね。今年の2006年というのは、実は間宮海峡が発見されてから200年なんですよ。生涯学習では掛川の榛村さんになかなか及びませんが、これからも地元の歴史なども地域の誇りに繋げて行きたいですね」
思い出したが横田市長さんは、文科省の進める全国生涯学習市町村協議会の副会長を務めていただいているのでした。これからも生涯学習を是非進めていただきたいと思います。
これからも大いにお手伝いさせていただきます。
※ ※ ※ ※
さて、明日の月曜日からはなんと沖縄出張。夜遅くまで稚内市内の面白い人達と飲んで過ごしたけれど、少しでも早く帰るために翌日の飛行機ではなく深夜バスで札幌まで向かうことにしました。
稚内から沖縄までの旅です。「稚内から石垣まで」なら都市再生のキャッチコピーになるのですが、ちょっと距離が足りなかったよう。
それでもかなり疲れそうです。ではおやすみなさい、ZZZ…。