駒子の備忘録

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『スクルージ』

2013年12月14日 | 観劇記/タイトルさ行
 赤坂ACTシアター、2013年12月10日マチネ。

 経済の絶頂期を迎えていた19世紀のイギリス。クリスマス・イブに沸くロンドンの街には賛美歌が流れ、誰もが陽気な気分に心ときめかせていた。だがチープサイドにあるスクルージ&マーレイ商会の雰囲気は暗いまま。ケチで偏屈、暖かい心や愛情とはまったく無縁の独り者の老主人エベネザー・スクルージ(市村正親)はクリスマスなんて馬鹿馬鹿しいと思う男だった…
 原作/チャールズ・ディケンズ、脚本・作曲・作詞/レスリー・ブリカッス、演出/井上尊晶、翻訳・上演台本/劇団ひまわり文芸演出部、訳詞/岩谷時子。1970年代に製作されたミュージカル映画をもとに1992年初演、日本初演は1994年、14年ぶりの再演。全2幕。

 以前一度観ていて、おもしろく感じた記憶があり、ロンドン版CDも持っているのですが、今回はなんか演出としてシャープでないな、という印象を持ってしまいました。
 まあ最後は泣くんですけれどね。卑怯ですけどね、ベタですけどね、でも泣きますよね。

 冒頭、スクルージが高利貸であること、冷酷でがめついこと、がきちんとクリアに説明されないまま、なんとなく類推できる程度のままにスタートするのが私は気に食わないんだと思うのです。話は知っているんだけど、でもまず前提条件をしっかり確認するところから始めてくれないと、その後の変化がきちんと楽しめないじゃないですか。
 確か前回も似たようなことを感じたんだけれど、私は借りたお金は返すべきだと思うし、だから取立てに歩いているスクルージさんは別に悪い、間違ったことをしているわけではないのになあ、とか思ったんですよ。ただ利子が法外に高いとかみんながいろいろつらいことを免除されるクリスマスの日にも容赦なく取り立てるというのが人情がないことではあるけれど、お金を借りたまま返しもせずスクルージさんをひどいひどいと罵るみんなの方がひどいなとか思ったりもするわけですよ。
 だからそのあたりをうまく説明して誘導してくれないと、スクルージさんが死んで棺桶の上で「どうもありがとう」を歌うメンタリティがない優しい日本人としては、引いちゃうしそのシニカルさに笑えもしないし、だからそれでスクルージさんが改心しても感動しづらかったりするんですよね。
 それがもったいないなと思いました。

 ただ、甥のハリー(田代万里生)と若き日のスクルージを同じ役者が演じていたり、若き日のスクルージの恋人イザベル(笹本玲奈)とハリーの妻ヘレンを同じ役者が演じていたり、過去のクリスマスの妖精(愛原実花)か実はスクルージの姉ジェニーでありハリーの亡くなった母親であり、そして同じ役者がボブ・クラチット(武田真治)の妻を演じる、というおもしろさは今回やっと堪能できた気がします。
 特にミナコはよかった! ジェニーは母性の象徴のような存在であり、だからこそ慈愛そのもののような妖精にもなっているのだけれど、一方で貧しい現実の暮らしに生き続けたらちょっとすさんだおかみさんクラチット夫人になっていた、というのはすごくわかりやすいしおもしろい。スクルージの夫人へのプレゼントが「奥さんには現金」というのは笑いを誘いました。
 歌上手キャストがことさらでなくアンサンブルに徹して作っている感じもとても素敵でした。でも舞台装置は平凡だったかな? なんかもっとおもしろくなる演目だな、と思いました。
 慈善とか博愛とかって特に日本人にはわかりづらい感覚かなと思うのですが、情けは人のためならず、ということわざに通じるのかな、とも思いました。慈善と義万、自己満足は実はやっぱり切っても切れないのだと思う。だからスクルージは以前は頑なに寄付をしなかった。
 でも、偽善や欺瞞や自己満足を受けていれて寄付をできるようになったのです。自分がいい気分になる、そのハッピーさは回りまわって世の中を優しくし、最終的には自分に返ってくるのです。そうやってみんながちょっとずつだけ幸せになる道が確かにある。これはそれを発見する物語なのかもしれません。

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