駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇月組『Golden Dead Schiele』

2024年01月29日 | 観劇記/タイトルか行
 宝塚バウホール、2024年1月25日11時半。

 20世紀初頭のオーストリア。ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムト(夢奈瑠音)が主催した展覧会で、ひとりの画家が注目を集める。彼の名はエゴン・シーレ(彩海せら)。亡き父と同じ鉄道局員になってほしいという家族の望みを受け入れず、幼いころからの夢である画家を志し、絵を描き続けている青年だった。「銀のクリムト」と評されるようになったエゴンは、このチャンスをものにするため新しい芸術を目指す仲間たちとともに展覧会を開こうと意気込んでいた。ところが後見人である叔父のレオポルド(佳城葵)に美術アカデミーをやめたことを知られ、開催資金のあてにしていた支援をすべて打ち切られてしまう。資金集めに奔走する中、最終手段として訪れたクリムトのアトリエで、エゴンは美しいモデルのヴァリ(白河りり)と出会うが…
 作・演出/熊倉飛鳥、作曲・編曲/太田健、多田里紗。あみちゃんの初バウ主演作、全2幕。

 寒波到来で米原あたりの雪がひどく、新幹線の遅延にヒヤヒヤしながらの日帰り遠征となりました。でも無事に開演に間に合ってよかったです。もう一回観たかったのですが、土曜のお取り次ぎがお断りで、1回のみの観劇となりました。
 エゴン・シーレについては名前と、いくつかの代表作と、画風のなんとなくのイメージしか知りませんでした。夭逝したこと、クリムトとの関係も知らなかった気が…ただ、画風が画風だしなんせ画家だし(偏見です、すみません)、ややエキセントリックなところがあった人なのかな、そうした史実があるのかな、そのドラマに惹かれて熊倉先生は舞台化を考えたのかな、でも宝塚歌劇ふうにマイルドにまとめるのだろうな…などと考えていました。
ベアベア』でもそうでしたが、作劇は手堅く、今回もとてもスムーズでした。カーテン前芝居がやや目立った気もしますが、バウでセットチェンジのためには仕方ない部分もあるでしょう。絵の具を塗りたくったカンバスを思わせる壁が印象的な、セットもとても素敵でした(装置/木戸真梨乃)。
 ただ、全体としては、綺麗にまとめすぎていた気がしました。というかエゴンのキャラクターが弱かったと思います。1幕が長すぎ、2幕が短すぎ、フィナーレがたっぷりありすぎたバランスの悪さも気になりました。これを画家シリーズ第2弾としているそうなので、今後も企画プランがあるのかもしれませんが、画家だからドラマチックなのではなく、作家が史実のどこにドラマを感じ舞台として抽出するかが肝なのであり、またまだ若いんだから史実準拠でない完全オリジナル作品にもトライしていっていただきたいので、このシリーズ化宣言には私はやや不安、不満ではあります。でも、なんせ若い世代の劇作家さんとして期待しているので、がんばっていっていただきたい、と切望しています。

 プログラムでは浪費家で自尊心が強い、とされているエゴンですが、具体的な描写はなく、一度観ただけだと「情熱的ではあるけれど…」というような、ちょっと中途半端なキャラに感じました。学校になじめずいじめられていたような場面があったので、内向的で繊細なキャラなのかなと思ったら、その後成長したということなのかもしれませんがアントン(瑠皇りあ)やマックス(七城雅)と芸術活動に盛り上がったりするので、それだと単に快活な青年、という感じだし…なので性格の特徴付けがやや弱く、主人公としてやや魅力、求心力に欠けて見えました。
 あみちゃん自身はタッパがない以外はなんの問題もない、なんでもできるスターさんなので、もっとエキセントリックな、不安定キャラに振ってしまっても、上手く演じたろうしかえって観客の共感は得られたのではないかなー、と私なんかは思いましたけれどね…
 死の幻影(彩音星凪。こういう役回りに特定されていってしまうことは心配だけれど、しかし絶品!)にとりつかれているのも、要するに父親(大楠てら)に認められたい、というファザコン感情が根底にあって、それは当の父親が死んでも、いや死んでしまったからこそ顕著に現れ、だから画家としての名声も欲しいし、身分が低く出自すら怪しいようなヴァリとは結婚しなかったのだ…とした方が、単にやや無責任にフラフラしているだけの優柔不断な男に見えるより、よかったと思うのです。ラストをひとりで死ぬような描写にするんだから、そういう「死に魅入られた」感をもう少し強く出すのはありだったと思うんですけどねー…代表作のひとつ「死の乙女」の乙女って、要するに自分のことでしょ?ってのが、あるじゃないですか。自画像を多く描いたり、女性をモデルにした絵でもそれを描く自分を描き入れるような画家で、多分にナルシーで、自分と父親と死…というようなものに憑かれた男だったのだ、という解釈は、アリだと思うのですけどね。
 ともあれあみちゃんは、なのでこの先の扱いが難しいスターさんなんだと思うので(そらですらタッパがなくてトップにならずにやめるんだからさ…)、これからはさらに役や作品の応援が必要なんだと思います。頼むよ劇団…!
 というわけで史実としては長く共に暮らしモデルも務めたミューズがいる一方で、結婚したのは別の女性とだった、とは調べて知っていたので、まのんとダブルヒロインでいくのかなーと思っていましたが、作品のヒロインははっきりヴァリのりりでした。ただしプログラムではスチールこそ2番目ですが1ページはもらっておらず、登場人物紹介では2番目にも置かれていないので、劇団としてはこれをバウヒロイン扱いする気はないのかもしれません。えーかげんにせーよ劇団…
 それはともかく、りりちゃんはすっごくよかったです。『死神』が絶品で、それからするとヒロイン枠じゃないところが一番いい、上手い、耀く娘役さんなのかなとも思われがちな娘役さんかと思うのですが、すごくいい塩梅だったとと思うのです。エゴンに弄ばれて軽んじられたかわいそうなヒロイン、になってしまっていないところがとてもよかったのです。最初から、世のそうした婦人たちとは違う視点、世界を持っている、明るくひたむきな女性として造形していて、好感が持てました。でもエゴンを愛しているし、不安定な立場には不安だし、でもただ強がってつっぱらかっているだけではなくて…という、いい脚本だし、りりちゃんの演技が本当によかったです。月娘は現代的な持ち味のスターが多いのと、なんせみんな演技ができるので、ヒロインとしての在り方も本当に毎回みんな達者で素敵で古臭くなく、安心です。
 うーちゃんとるねっこが老け役に回ってガッチリ芝居を支え、しかしフィナーレではあみちゃんを挟んで美麗ツインタワーとして健在で、素晴らしかったです。ここに、素直に演技していろいろ勉強中の耀くるおりあ、七城くん、月乃だい亜くんなんかがいて、月組ヤングも頼もしいぜ…!となりました。
 逆に娘役陣は…みかことこありは役を入れ替えてもおもしろかったのではないでしょうか。というかみかこは『応天』新公ヒロインは健闘していたけど、一曲歌わせるほどの歌手ではなくあくまでダンサーなので、この場面の歌は誰か他に歌わせてもよかったのでは…こありちゃんも子役でない役が観られるのはよかったんだけれど、アデーレ(菜々野あり)はなんかちょっとしどころがない役に見えたので…
 こちらはヤングとしてはゲルティ(澪花えりさ)のえりさちゃんが推されているということなのかもしれませんが、うーん可もなく不可もなかった…? タチアナ(彩姫みみ)も同様。私はそれならエゴンの子役をやった静音ほたるちゃんを推したいのですが…うぅーむ。
 エゴンママの桃歌雪が手堅いのはありがたかったですね。上級生はみんなコンサートにいっちゃってるからなあ…
 というわけで絶品だったのはエディト(花妃舞音)のまのんだったと思うのです! イヤ欲目もあると思うのですが! ちなみに1幕はバイトで、乗客とモデルはわかったんだけど淑女と傍聴人は見つけられないまま終わってしまい無念…!(><)
 立場としては隣家に住むブルジョワの娘で、エゴンのファンで、やがて妻になり、しかしどうやらそれほど幸せな家庭生活ではなかったようで、妊娠中にスペイン風邪で没す…という、なんとも哀れなものなのですが、これまた必要以上にかわいそうキャラになっていないところがよかったです。でもヒロインのヴァリに対しては確かにライバルキャラでもあるので、そのウザさギリギリのお嬢様具合もとてもよかったと思うのです。パーティーでのくだり、姉や母親に対する態度、エゴンに突き飛ばされて床にへたり込むあたりとか…わかってやってるのかわからないけど上手いよー、そして何より可愛いよー、声もいいよー、次の別箱はおだまのんでいい作品をお願いいたします!
 フィナーレも、デュエダンはあみりりなんだけどりりが出てくるまでの群舞ではセンターで、あみちゃんとも組むし、あみちゃんの背に乗ってぐるんと回ってスカートに弧を描かせるところ、素晴らしすぎました! はーデュエダンを踊る姿が見たいよー!!
 みこたんがやめてしまうので、私の激重ヤング娘役ラブはほぼすべてここにかかってくるのでした…(イヤ愛空みなみと乙華菜乃も推してるのですが、役付きがまだそこまでではないので…)

 ただラストは、暗転ではなく幕を下ろす形にした方が観客が拍手が入れやすかったし、これで終わりなんだ感がよく出たはずだし、よりドラマチックになったと思います。
 というかその直前ですが、話が冒頭に戻っているので、そこは被ってもう一回やって終わるべきなのでは? つまりそもそも全体はうーちゃんアルトゥール(英かおと)がエゴンの伝記を書いている、書くために取材して回って回想している…みたいなていなんだけれど、それで冒頭の死に目のシーンに戻って、最初は慌ただしかったのでわかりづらかった、エディトの死とそれを追うように死んだエゴンの死を再度きちんと説明し、そのあとエゴンと死の幻影が踊って、最後はエゴンひとりで佇んで、幕…とかがよかったのではないかしらん?
 まあ、わかって観るとまた印象が変わったのかもしれませんが…
 なのでホント一度しか観られないのが残念でした。一度しか観ていない中での印象だけで、うだうだ語っていて申し訳ない…ただ隔靴掻痒感がもったいなかったので、次作に期待しつつ、そこはつっこんでおきたい、となったのでした。

 ところでエディトのあの紫のドレスは雉撃ちのものを縁飾りを変えたものかしらん…今まで何度も何度も何度も見てきたお衣装だけど、次に見るときはどんなかな…(^^;)













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