駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『おっさんずラブ-リターンズ-』に出会えて、よかった。

2024年03月09日 | 日記
 年明けからずっと花金の夜は『不適切にもほどがある!』からの『おさラブ』だったため、私は今ちょっと「♪あなたに会えて~よかったね、きっと私~」と歌いたい気分なのかもしれません。てかアレ1986年じゃないけどね絶対!? 当時の宮城県感覚ではそうだったかもしれないけど(おっと失礼! でも地方時差は絶対にあるものでしょう。ちなみにこのころクドカンがまだ出身地の宮城県に実際にいたのかどうかは知りません)、純子ちゃんのひとつ下で当時神奈川県にいた私が言うんだから間違いない。このカシオミニを賭けてもいい、が、それはまた別の話なのでここでは止めておきましょう…
 で、『おさラブ』です。第一期最終回放送後の記事はこちら、今回の第二期第1話放送後の記事はこちら
 結局は最終回まで、いろいろつっこみつつも、また、これは解釈違いだなーとか演出や脚本が雑だなーとかいろいろいろいろ思いながらも、やっぱりニヤニヤ萌えて、楽しく見終えました。
 最終回の古民家カフェみたいなところでの、はるたんを励ます会みたいなくだりを見たときに、私は「ああ、この第二期は壮大なボーナストラックみたいなものだったんだな」と感じました。なんかすでにクランクアップ後のメインキャストの打ち上げ会みたいだったじゃないですか、みんなが座長・田中圭への感謝やねぎらいを述べるターン、みたいな。ギャグやパロディ、オマージュなんかはあっても、こういうメタって今まであまりなかったドラマだと思うんだけれど、それでなんか、私は妙に納得してしまったんですよね。
 単発のスペシャルドラマから始まって、土曜深夜のやや尺の短いドラマシリーズがまあまあ当たって、劇場版までやっちゃって。で、もうちょっとやりたいね、二期もやりたいね、みたいな、わりと素朴な、安易な(笑)発想だったんでしょうね、きっと。別にやり残したことがある、とか新たにものすごくやりたいことがある、とかじゃなくて、さ。でもみんな人気者でそんな簡単にスケジュール取れないし、一時期は林遣都陣営が続編に難色を示していたと聞くし(わかります。ちょっと当たったからって安易に似たようなことやるのって、役者としてはそりゃ嫌ですよね。スターのプロデュースとしても問題ある、と私だって判断すると思います)、結局そのまま時は流れ、逆に多少とも時が経ったからこそ「やってもいいか」という機運が生まれて、ついにいろいろ話がまとまってやることになった、のでしょう多分。
 でも、そもそもそんなたいしたことは考えてなかったんだろうな、とか思っちゃったんですね、私は。視聴者側、ファン側としてはそれを許容できるかどうか、がひとつのハードルだったのかもしれません。でもホントそもそもそういう軽いスタンスの作品だし、それでよかったんだし、逆にそれを貫ききったドラマだった、とも言えるのでしょう。私は、嫌いじゃないです。
 6年の間に、BLドラマは本当に大量に作られるようになりましたし、クィア作品としては『何食べ』『作食べ』という二大巨頭が最先端を突っ走っているのが2024年の、令和6年の今の世なワケです(ちなみにいずれも漫画を原作としたドラマです。『おさラブ』がドラマオリジナルである特異性についても、もっと語られてもいいのかもしれません)。だから、基本的には「中の時間は多少経ってるけれど一期のそのまんま、単なるオマケの番外編、スピンオフか公式二次創作、ボーナストラックみたいもの」でいこうとするなら、そのことはもっと製作陣がアピールしてもよかったんだろうな、と今となっては思います。それが特になかったから(いや聞くところによると実はまあまああったらしいんだけど、私のところにはあまり届いていなかった…)、6年も経って今またやるなら、すごく進化している、もっとずっといいものを見られるんじゃないか…と過剰な期待を持ってしまった視聴者もいる、ということなのかなと思います。それで裏切られた形になっちゃって、特に今回、一部の当事者やファンからのバッシングやちょっとした炎上につながったのかな、とも思うのです。
 確かに配慮は足りなかったかもしれません。でもやはりそれは期待しすぎな気もしました。みんながみんなマイノリティ・リブのちゃんとした作品であれるものでもないし、そればっか目指さなくても、おもしろければ何をしてもいいんじゃん?てなもんなんですもん、フィクションなんて、エンタメなんて(あら、この「なんて」は『舟を編む』では怒られてしまうわ…日曜がまた大河からのこれ、からの『アスラファ』で年明けから先週までまたタイヘンだったのでした。てか今どきどんだけテレビっ子やねん、私)。もっとしょーもないものも他にいくらでもありますしね。もちろん下を見て安心していてはダメなんだけれど…
 でも、この作品の本質はおじさんたちばかりで少女漫画をやる、というものだと私は解釈していますし、だから現実のゲイとも恋愛とも違っていて当たり前なんだと思うんですよ。そしてメインターゲット視聴者はシスヘテロ女性なんですよ、おそらくはね。もちろんそうやって非当事者が同性愛を弄ぶな、搾取するな、と当事者たるゲイ男性たちが怒るのもわかります。でもだったら男性たちがフィクションで女性たちを弄び搾取するのをまず止めてくれ、話はそれからだ、としか私は言えません。
 同じ土俵で争ってどーする、ってのはあるけど、女ばかりが正しい行いを要求されるのは私は解せない。BLって要するに女のAVなんだと思うし、最近はない人も少なくないとやっと可視化されてきたけれど、それでも大半の人間には性別問わず性欲があり萌えがありリビドーがあるので、それを掬い取る物語が必要なんだ、というだけのことでしょう。Not for meだったのなら仕方ない、他を当たってください、としか言えません。それをやる志高い作品も早晩もっと他に現れることでしょう。でも『おさラブ』が目指していたのは別にそこじゃなかった、ってだけのことだと私は考えています。
 ただ、人気が出れば多くの人に届くようになるので、そこで無駄に人を傷つけることはあまり意味がないしいいことではないので、そういうことがないよう、配慮はもっとあってもよかったと思うし、製作陣には今後これからますますそうした自覚が求められるよね、ということは指摘しておいてもいいかもしれません。そうしたコンプライアンス遵守は、トータルで絶対に作品のクオリティを上げますしね。ま、次に『公安ずラブ』を製作するなら(笑)、そこはがんばってみてください。まだやるならそこであって、もう第三期ではないな、とは私もさすがに思いましたので…

 というか、公安ずラブ、ねえ…いやおもしろかったんですけどね、秋斗というスペシャルボーナスキャラも爆誕したワケですしね。井浦新も三浦翔平も、私も好きな俳優さんです。二期をやるなら新キャラが要るよね、という発想も、まあ、わかる。
 でも、もしかしたら、そこじゃなかったのかもしれません。もっと比重を下げるか、別にいなくても、春田や牧や武蔵(吉田鋼太郎)やみんなのこれまでやその後を掘り下げるだけで、全然フツーに二期は作れたと思います。描かれなかった3年半を埋めていくような、そして今とこれからの彼らを描くだけでも、エピソードはいくらでも作れたろうし、もしかしたら私はそれが見たかったのかもしれません。まだまだ描かれていないこと、こっちで適当に補完しようとしてもどうにも情報が足りないところがあるので、そのあたりをもの足りなく感じたり、雑にさっさか進めやがって…と感じてしまう部分は、確かにありました。
 でもまあ何度でも言いますが、そもそもそんなに丁寧で上質なウェルメイドの作品なんかでは全然なくて、はるたん同様に適度にポンコツで、そこが愛しい作品でもあるワケなんですけれどね。
 ただ、時が経ち、作品の世界観が変わらないとしても中の彼らは歳を重ねている設定なので、まあわかりやすく親への挨拶とか挙式とか介護とか子育てとか老いとかのモチーフがぶっ込まれていましたが、そういうことを今までの少女漫画テイストで、丁寧にでもコミカルに、そしてラブラブに描いていってくれれば、別に新キャラなんかいなくても成立したろう、とはちょっと思うわけです。
「少女まんがも大人になる」というのは、集英社の「コーラス」が創刊されたときのキャッチコピーでした(ちなみに1994年です)。『おさラブ』はおっさんたちがオフィスでラブコメしていましたが、そのノリはほとんど学園ものでした。要するに「別マ」の世界です。そこから、ジャイアント・ベイビーはるたんも不惑間近になっての今回なので、そういうオトナな少女漫画感がもうちょっと楽しめていたら、私はもっと満足していたかな、とは思うのです。そのあたり、まあまあ雑だったから…(笑)
 まあなんでもかんでも求めすぎるのはアレだし、万人にとっての百点満点のフィクションなんてないんでしょうけれど、そういう齟齬は私は感じないこともなかったです。それはファンで好きで萌え萌えで楽しんでいた友達と感想戦をしても、ちょいちょい出てきたりはしました。
 今回は特に、そういったあたりの感想を以下書きたいかな、と考えています。なんかね、4話くらいまでがとにかくおもしろかった気がしたんですよね、私はね…
 というわけで要するに毎度おなじみの、とても長い自分のアタマの整理のためだけの萌えトークです。よかったらおつきあいください…


 というかホントなんでふたりの新居はこんな無駄にゴージャスなんですかね? これまた友達との話で出たことですが、ドラマの住宅事情はいつもみんなあまりにも良すぎる。良すぎて全然リアリティがありません。はるたんの実家の、あのザッツ・昭和の建て売り住宅感、好きだったなあぁ…
 まあでもいいよ、それには目をつぶってもいい。で、どこかのタイミングで、ちゃんと実家を出て独立しよう、一緒に住もう、家探しとくね…みたいなことになったんでしょうよ、牧のシンガポール出張中にね。ずっとリモート飲み会をしていたようですしね、それがデート代わりだったんでしょうし、会えない時間が育てた愛もあるのでしょう。
 でもそれを「結婚」と称するのはどうだろう、とは私も感じました。婚姻届を出していないんだから、これはただのいわゆる同棲なのでは?ってことです。届けを出さず同居している男女のカップルって珍しくないし、なんならペアリングを左手薬指にしていることもあるかもしれない。そういうカップルとの差は?ってことですね。
 そりゃ第一期ラストで春田は牧に「結婚してください!」と言っているけれど、あれは「好きです、ずっと一緒にいたいです」って意味ですよね。あのときはそれで話がまとまってよかったんだけれど、たとえばその後のリモートデートで新居だの引っ越しだのの話題になったときに(それとも牧がシンガポールに旅立つ前にふたりで指輪を買うことになったとき? ホラ、このあたりのディテールがもっと欲しいんですよ…!)春田が再度、わりと安直に「結婚」というワードを出したときに、でも牧には絶対屈託があるはずで、「イヤそういうのいいから」くらい言ったんじゃなかろうか、とか思っちゃうんですよね。それが今の形におちつくようになるまでのくだりを、もっときちんと描いてもよかったのかもしれません、ホントはね。
 春田だって今の日本で同性同士が結婚できないことは知っているでしょう。でもそれ以外に結婚というものについて特に深く考えたことがないから(というか日本のシスヘテロ男性で結婚について何かしら考えたことがある人っていくらもいないのでは…)、好きでずっと一緒にいたいから結婚、ってなる。でも牧にはもっと違う考えがあったはずです。春田と違って牧はずっとゲイとして生きてきて、過去に武川さん(眞島秀和)以外にもつきあった相手はいたんでしょうし、そのときいくら若かったんだとしても結婚なるものについて考えたことがないわけはない。できないとされているだけになおさら、です。
 どちらかというとこのドラマは、ちず(内田理央)や武川さんの台詞を通じて、結婚なんて壊れるときは壊れるしなんの保証もないしそんなたいしたもんじゃないよ、みたいなメッセージを発してしまっていたところはあるかな、とは私も感じました。そしてそれは別に真理だと思う。でもやはり今結婚できないでいる当事者たちからしたら、そもそも結婚できないので壊れて離婚することもできないわけで、それはやはり持てる者の贅沢な愚痴にしか聞こえなかったことでしょう。私は最終的には国家のために個人が番うような婚姻なんてものは(だって生殖ありきなのがあからさまじゃん、国は税金が取れる小国民が欲しいだけなんだよ…)解体されてしかるべきで、そんな社会契約がなくとも個々がきちんと保護され尊重される社会になるべきだろうと考えていますが(そして社会保障なんかも万人に平等に与えられるべき)、それは本当に理想の話でぶっちゃけ夢の夢でしょうから、まずは同性婚の法制化、婚姻の平等からだよね、とは考えています。だからたとえば武川さんとかは、たとえば休日はひとりでそういうデモに参加している、半分は出会いを求めてだけど半分はちゃんと本気でそういう運動をしているんだ…なんてことにしてもよかったのかもしれません。だって恋愛リアリティー・ショーって、古くない? こういうところが、6年前で時が止まっていると言われても仕方のないところでは…
 春田は何も考えていないから、週末はみんなでキャンプ、みたいなノリで結婚式だってやりたがるわけです。お祭り好き、イベント好きなんだよね。でも牧はそういうタイプじゃない。そもそも周りにどれくらいカムアウトしているのかという問題もあるし(営業所のみんなはこれまでの顛末含めて知っているわけだけれど、今の本社の人間はおそらくそうではないのでしょう)、テレやというかええカッコしいというかスカしてクールぶるところがある人なワケですよ牧って。なので2話、「…えっ…しないの!?」とかのくだり、からの春田ママ(栗田よう子)訪問での春田の「式はやんないかな、今んところ」とそのときの牧の表情、からのラストの「…やります?」までの一連が、ホントたまりませんでした。
 てか私、この春田ママ訪問エピ、大好きなんですよね。好きな人の親に会う、紹介される、みたいなのは少女漫画でも一大イベントですし、牧が焦っていろいろリサーチしようとする感じとか、一方で春田はまるでどーでもいいと思ってるんでまったく役に立たない感じとか、すごくリアリティがあると思いました。ここで姑・家政婦・部長の武蔵の助力に頼るのは牧としてはホント無念だったと思うんですけど、最後に自分が作ったおひたしかなんかの小鉢が空になっているのを見たときの表情が、もう、もう、ホントいじらしくって泣けましたよ…!
(ところで私は武蔵の「姑」にはあまり違和感や嫌悪感を感じなかったのですが、それはやはり私が独身女性で嫁とも姑とも夫とも無縁に生きているからかもしれません。現実に「嫁」をやっている視聴者からしたらイラッとする部分はあったのかも…そもそも「結婚」云々も要するに家父長制ガンガンの中での話であって、なのに男性同士でナニのんきにやってかんだ、ってイラつきや怒りは、まあそりゃ湧きますよね。ふたりに対して武蔵の在り方が姑、というのは実に言い得て妙な気もするんだけど、だからこそなおさら、たとえば『トッツィー』のような、男性による女性のポジション簒奪のケースでもある気は、確かにします…)
 ホントは別れ際にでも、春田ママに牧へ一言何か台詞があってもよかったかもしれません。一期で「ずっと創一と友達でいてね」と言われたことを、まあ言った本人は忘れているものなんでしょうが牧は忘れていなかったわけで…まあでも、そのやりとりを全然知らない春田の「友達じゃないよ」って台詞がそのアンサーなのかな。この台詞で牧は救われたのかもしれないから、それでいいのかもしれません。
 春田の何気ない、何も考えていない(笑)言葉に牧が救われる、絆されることってたくさんあって、結婚式に関してもごにょごにょ言う「一生に一回だから」というのがやはり刺さったのでしょう。春田もそりゃいろいろフラれてきたんでしょうけれど(笑)、もっといろいろな出会いと別れを繰り返してきてもっといろいろつらかっただろう牧からしたら、まだこの一生ものの誓約というものに対して及び腰だった部分もあるはずなんです。それはマリッジブルー回の台詞にも出ている。でも春田にとっては、これが最後の恋だということは自明なのでした。
 一期の頃と違って、牧は春田に愛されている自信みたいなものが自己肯定感につながっていて、卑屈でネガティブで傷つく前にいつでも逃げ出す準備をしていたようなところはなくなりましたが、やっぱりどうしても自分たちは普通のカップルとは違う、みたいな意識から逃げられなくて、そんなところにこのどストレートな言葉は響いたのでしょう。からのじゃれ合いもホント可愛いよ、てかここのはるたんの寝癖もホント最高ですよ…!
 そこからの3話もホント良くて、まあなんで弓道なんだっつったら道着がカッコいいからじゃね?ってだけな気しかしないんですけれど、それでいいんだと思います(笑)。構えを教えるとバックハグになる、ベタすぎるうぅ…!(笑)ま、姑として嫁いびりをしていたような部長が、春田と牧の幸せを思って泣くってのがいじらしかったし、昼顔ダブル不倫疑惑(笑)のくだりでふたりに全然疑念が湧かないのがとてもよかったです。とまどうけど、ヘンに揺れたり、浮気を疑ったりはしない。妬くは妬くけど、自分にも自分たちにもちゃんと自信がある感じが、それこそ尊かったです。綿飴チューの絶妙さはもちろん、チャイムの音でカットして、でも身支度しながら玄関に出るふたりを見せるニクさよ…! からの「あ」って和泉を指差しちゃう牧と、その手をぺちんと叩いて下ろさせる春田、ホントたまらん…!
 からの4話がまた盛りだくさんなんですよね。てか買い物デートがまず愛しい、クッション持って回る春田の「ウィッフィー!」みたいな奇声(笑)、ホント好き。春田が欲しがる色違いでお揃いの部屋着を牧が嫌がるのが、ホントらしくてカワイイ。タイ版のふたりの出演は、まあご愛敬。
 牧の出張前夜、寂しがる春田のくだりにまたマジで悶絶しましたよね…! でもあのスーツケース・プレイ(笑)は現場で生まれた演技、演出だったようですね。少なくとも脚本にはない。というかシナリオブックの予約告知のサンプル画面で知ったのですが、ここは台詞も現場で脚本から変更されたようで、もともとは「部長と浮気しちゃうぞ」みたいな春田の台詞があったようなんですよね…ナイ、これはナイよ! 春田にこういう発想は冗談でもないはずだし、これじゃ前話ラストの武蔵の涙はなんだったんだよってことになっちゃうじゃん…! 変更した田中圭と現場スタッフに敬礼!です。
 春田のスネた挑発(?)を、かつての春田みたいな変顔で受け流す牧も、いい。それにしてもこのふたり、いつの間にこんなになったんでしょうか…春田は牧がいないと駄目になっちゃってるし、牧は春田に愛されている自信に満ちあふれるようになっちゃって、まあ…だからそこまでのディテールをだな…(以下同文)
 春田が着信音にヘンな裏声で「誰よっ!」ってキレるところまで好き(笑)。 
 ところで春田のお父さんってのはいつどんな退場のし方をした人なんでしょうね? なんか全然思い出がある感じがしないから、ごく子供のころに死別した、とかなんでしょうか。春田がもう少し大きくなってから離婚した、とかだともっと屈託がありそうですもんね。そしてもし生きているんだとしても今はまったく没交渉、って感じなんでしょうね。そういうディテールも、もっと知りたいのです。春田ママは保険の外交員でもして女手ひとつで彼を育て上げたんでしょうか。そんな息子が成人して就職してもういい歳になった今、自分も定年を迎えて、ワイルドボーイな彼氏と第二の青春を楽しんでいる感じなんでしょうか。荒井鉄平(児島一哉)・ちず兄妹はご近所さんで幼馴染みで、もしかしたら兄妹のご両親は自営業かなんかで、幼き春田は学童よろしくその家に入り浸って育ったのでしょうか。このご両親は今は近くにいないようで、孫の世話に頼ったりはできていないようですが…(しかし、それならば最終話の励ます会で子供3人は誰が見てたんだ、というつっこみはある…)
 でも春田が武蔵や牧パパ(春海四方)に懐くのに、あまりファザコン臭がいないところがまたいいんですよね。牧パパに対してそういう台詞はあるにはあるけれど、基本的には全方位にウェルカムで人類みな家族、ってのの延長みたいな感じだし。武蔵のことも、できる上司として尊敬し慕っていたわけで、父親を見ていた感じはそれほどしません。春田ママや周りがのびのび育てて、あまり欠損感覚を持たずにこられたのかもしれません。だからこそのおひさま、ひだまり、ぽかぽかなはるたん、なのでしょう。
 逆に牧はやはり自身の性指向への屈託があって、長く親にも言えなかったんだろうし、ちょっと無口だけど成績優秀なおとなしい手のかからない子、でもなんかちょっと可愛げがない子供…だったりしたのかもしれません。母親や妹(結婚式に出てほしかったなー、出演算段がつかなかったんでしょうね残念!)とはどんな感じだったのかなー…
 なのでこのギックリ腰介護ターン、やっぱりほっこりしました。現実はこんなもんじゃないよ、ってのはもちろんあるんだろうけれど、いいんですよ少女漫画なので。いや社会性のある少女漫画もいっぱいあるけど、いいんですよ『おさラブ』なので!(甘い)
 一方で「公安ずラブ」ターンですよ、いやホントすごいね田中圭!? いや役者なら誰でもこれくらいの演じ分けはするのかもしれませんが…てかこの警察も公安もホントただのビバンでアムロでイメージだけのどフィクションなんですよ、ほぼギャグなんです。でもおもしろいからいいんだよね(笑)。ジャムコッペパン・ブレイ(笑)回想にやってる当人が「めちゃくちゃ小悪魔っスね!」とカットインする編集、ホントたまらん…!
 しかしおむつパートナーってなんなんでしょうね…もちろんそもそもトータルでずっと「家族」押しの二期なんだけれど、やっぱやりすぎると統一協会臭がするワケじゃないですかこのネタ…看取る人がいようと人は最後はひとりで自分の死を死ぬことしかできないわけで、それをひとりは寂しいからといって誰か捕まえようとする感じがそれこそ死ぬほど嫌いなんですよね私は。それでペットでいいんかい、ってのもあるしね…
 5話は新婚旅行編ですが、乱闘シーンが長いのには私は辟易しました。そもそも1話冒頭の乱闘も、夢オチだからギリ許せたけど、今回はマジだし器物破損の傷害、犯罪レベルだし…あと細かいことですが不動産屋さんの営業マンが免許を持っていない設定もおかしいので、ここは「車がない」でよかったんだろうに、とかね。旅行につい武蔵を呼んじゃうのは、ホント春田だなって感じなんですけれどね…
 あとはそもそもふたりがどういう経緯でこの指輪をするようになったかも語られていないので、紛失騒ぎにそこまでノレなかったというのもあります。しかし『ゴースト』ってホントこのネタで永遠のものになるんですねぇ…! そうそう、でもこの陶芸シーンで春田が牧のをぐしゃっとつぶすのは私は嫌でした。あれは男子ノリなら許される、というか許してきたのがホモソーシャル世界なんでしょうけれど、恋愛はもっと相手を、お互いを大事にするものだと思うから、春田をこうまで無神経なキャラには描いてほしくなかったのです。これをずっと続けていたら、いつか牧の心は折れて壊れて、春田から離れていくことになるんだと思うので…
 でも私が一番引っかかったのは、武蔵にあの黄色いカップを使わせた無神経さを別にすれば、乱闘後にふたりで部屋に引っ込んだあとの会話でした。ここの脚本は全体に受け答えがちょっとおかしいんですが、指輪をなくしたのが陶芸体験の店だったかもしれないと牧が気づいて立ち上がりかけたとき、春田がそれを「新婚旅行だろ」と言って押しとどめて押し倒すのは、いくらなんでもおかしかろうと思ったのです。もう夜も遅くてお店には誰もいないだろうし、明日の朝一番に行こう、みたいなフォローがあってから…なんじゃないの? こういうラブシーンに関するデリカシー、丁寧さ繊細さは少女漫画には絶対に絶対に必要なものですよ? 疎かにしちゃ駄目なんです。
 からの「…俺やん」は、ハイ可愛い(笑)。目尻の笑い皺、ホントたまらん…旅行から帰っておうちが一番ってなってこたつで並んでお昼寝、ハイ可愛い。
 ところで話戻って警察学校の寮で同室のようだった秋斗と菊之助って、たとえスポーツのようであったとしてもやるこたやってたんでしょうか…(オイ)だって秋斗の「俺、和泉教官のこと、好きかも」を「いい人だと思う」というような意味に解釈しないのって、ふたりとも自他ともに認めるゲイだから、ですよね? やはりこのあたりの続編は必要なのでは…(笑)
 6話、結婚式編。これもキャラブレでは?と引っかかるところがありました。結婚式の準備に女性ばかりが熱心で男性の方は無関心、あげく「仕事と私と、どっちが大事なの!?」みたいにキレる…ってもちろん今でもなくはない事態なのかもしれませんが、しかしあまりに古いんでないかい?って思ったんですよねえぇ…特に春田が「いいよ、そんな興味ないならやんなくて…」みたくスネるのは、えっ女々しすぎない!?だいぶキャラ違くない!?と私はかなりとまどいました。
 このあたり、すれ違いを作るにしても、もう少し上手く仕事を絡められなかったのかなー、とかは思います。私、一期のときの、春田の後輩の新婚カップルとか芸能人カップルの新居探しとかの、不動産屋さんエピが好きだったんですよね。ああいうお仕事ものの要素が、今回あまりなくて残念だったのです。というか当初こそ、帰国して本社赴任した牧がリモート会議で英語で挨拶したら先方は中国語でマロがフォローして…みたいなくだりで、私は「おおぉ」となったんですよね。新しい、今っぽい、リアリティがある。で、なんでも器用にスマートにこなすしそういう自分でありたいだろう牧が、仕事にも私生活にもいろいろ余裕がなくてちゃんとできなくてテンパって、それでキレた展開があったわけじゃないですか。家事は家政夫を導入して改善されたにしても、仕事はその後どうおちついたのか、どうこなしていくようになったのか、はもっと描かれてもよかったと思うのです。で、ジーニアスだかグローバルなんちゃらだかは知らないけれど、牧はそういうわりとデーハーめな仕事を担当していてすでに課長で、片や春田は係長に昇進してもやってることは変わらず地道な地元の営業なわけで、もちろんそういう仕事が好きだし天分だとも思っていても、それでも比べちゃうとなんか…みたいなことがあったかもしれないじゃないですか。そりゃ人として、男としてちっさいよ? でもあんなふうな女々しさよりはよっぽど春田っぽかったと思うのです。このあたりが最終話のヘッドハンティング・ネタにつながっていったのかもしれないしさ…
 鉄平兄への愚痴も、ふたりが全然違うことなんてわかってたじゃん、って気がしました。てかそれが牧で、そういう牧だから好きになったんでしょ? でも一緒に暮らすとなるとその違いがタイヘン、ってのはわかりますよ? でも好きなら摺り合わせてお互い変わっていくしかないじゃん。事実、牧は春田に合わせて結婚式の開催を受け入れてくれたわけでさ、それがわかっていない春田じゃないと思うんですよねえぇ。春田はおバカで考えなしで無神経だけど、肝心なことはちゃんとわかっている男だと思うんですよ。私たちの、私の春田をあんましょーもない男に描かないでよ脚本家並びに製作陣…!とちょっと言いたくなったくだりでした。
 ま、結婚式の新郎s入場でちゃんと足並みが揃うところとか、誓いのキスの尊さとかで、許せちゃうんですけれどね…てか期日前バレンタイン、ってのも笑ったわ。アレはわりと最近な言葉な気がしました(笑)。てか武川さんとの距離が適正な牧は、さすが牧だと思います。ところで彼らは何故、どんなふうにして別れたんですかねえ? 出会いは描かれましたが、別離については仕事のすれ違いとか、職場が変わったことが大きかったような言い方だったけれど…その後、武川さんの方は真剣な交際に発展した相手はいないのでしょうか、それでこんなにこじらせているのでしょうか? まあ牧に対しては、未練というよりは純粋な心配、ないし単なるちょっかい程度なのかなとも思えるのだけれど…
 しかしマロ(金子大地)のカッコ良さにはシビれましたよねえぇ。まあ蝶子さん(大塚寧々)といいマイマイ(伊藤修子)といい、ちょっと便利に使われすぎではあるんですけれどね。
 戻るようですが他にも気になった点はあって、式場との打ち合わせに牧が遅れて結局行けなかったのを、翌朝食卓で謝っているんですけど、じゃあ夜、帰宅したときに春田はもうグースカ寝ててそこでは話さなかったってこと? じゃあ起床時は? とか、なんか気になりました。てかあのダブルベッド、男ふたりが寝るには狭すぎません? まっすぐ並んで寝るだけならいいけど、寝返りも打てなさそうじゃん。まあ真ん中で抱き合って眠るからいいんですよってことなのかもしれないけど、なんかリアリティがなくて…いかにも並んでただ寝てるだけ、みたいな描写しかなかったし。というかなので2階は、寝室はやっぱり映さなくてもよかったんじゃないのかなー…てか武蔵があの部屋を掃除することを牧が許すとは思えないんですけど。まあこの場面もカット際の春田の「ああぁ、卵が…」みたいな台詞にニヤつかされたので、いいんですけどね…(甘い)
 でも7話の子育て回は本当にアイディアが足りてなかったと思うので、これは反省を促しておきたいです。春田は子供が好きで、以前からずっと普通に結婚して普通に子供が複数人欲しいと思っていたような男で(何が「普通」かって言えば当時の春田にとって、ということです)、対して牧は子供嫌いです。これは初登場情報だけど、すごく牧っぽいし、私も子供が嫌いというか苦手というかなので共感するし、子供嫌いというキャラはフィクションにあまり登場しないものなので(それくらいあまりいい性向だとされていないんでしょうねー…)新鮮に感じたしチャレンジングでいいぞ、と思ったんですよね。でもプロデューサーにも脚本家にも子供がいないか、子供に興味がないのではないでしょうか。だって過労で倒れたちずの息子・吾郎にふたりがそれぞれ振り回されるエピソードが、まるで同じなんだもん。芸がなさ過ぎですよ…
 たとえば春田は子供が好きだし自身もジャイアント・ベイビーなんだから、一緒になってわあわあ遊んじゃって、勢い余って怪我させちゃう…とかがあってもよかったかもしれないし、公園でさんざん遊びまくったノリで帰宅してもわあわあやったらさすがにあちこちガチャンドタンと壊してさすがに青くなって、でも3歳児のパワーは衰えないし…とかね。片や牧は吾郎と手をつなぐのもどぎまぎしたかもしれないし、公園で遊びたがる吾郎に理詰めで帰宅を促して泣かせるとか、一回だけって言って滑り台で遊ぶのを許可したのに何度も「あともう一回だけ」とか繰り返されてキレてまた泣かせるとか、それで周りから虐待を疑われてひそひそ言われてあわてて逃げるとか、とにかくなんかもっと子供が苦手な人がやらかしがちなネタを投入するべきだったと思うんですよね。だけど抱きかかえて帰るときに、そのぬくもりに牧も想うところがあって…とかにすれば、なおよかったのに…あとは、ちずの退院が決まってお見舞いに行く前に、3人で家族らしくキャッキャするようなシーンが欲しかったですよね。そうやって、家族っていいな子供ってのも悪くないな…ってなったあとに、でも吾郎はママが一番で駆けていっちゃうんだ…ってのが響くはずの演出だったでしょう、あそこは。なんか、吾郎がちずの靴の汚れを拭うのとマロの「莫逆の友」発言以外は、どうにもアイディアが足りてなくて今イチだった気がしました。
 てかマイマイだって仕事に復帰しているのに、時短できちんと帰れていてお迎えに行けている、ということなのでしょうか。ちずのお仕事は広告代理店とかみたいだもんね、これは激務って設定なんでしょうね…妻の妊娠中に浮気するようなクズとは別れて正解なんだけれど、子供の父親は父親なわけで、彼は吾郎の養育費を支払っているのかとか、たまには吾郎を預かったりちゃんと会ったりしているんだろうか、なども気になりました。ラスト、いい話ふうにしているけれど、春田と牧がペットと養子を並べて語っているのもちょっとどうかと思ったし、今の日本で同性カップルが養子を迎えられることなどまずないと思うんだけれど、そんな安易に将来のプランに入れていいんかいな、とかね…さすがに雑すぎた気がしました。
 一方で武蔵の喀血ネタは引っ張っているんだけれど、ツボったのは若き日の武蔵と蝶子の回想場面が、画面の縦横比がそこだけ昔のヤツだったことでした。芸コマ…!(笑)
 8話のサブタイトルは、悪いけれど私は笑っちゃいました。余命とか病気とかを軽く扱いすぎている、って批判も見たけれど、有名すぎるノンフィクションが先行しているのは事実だし、誰しもとんでもない聞き間違いをすることもあるし、これは許される範疇なんじゃないのかなあぁ…
 しかし春田の料理は、まずカレーくらいからではないのか…私は唐揚げなんて作ったことありません。
 ホームパーティーも遺言映像もよかったですね。そしてこの回の本当にオチがよかったよ…そうだろうと信じてはいたけど、死なないのね?大丈夫なのよね??っていうラスト…なまじここまでいろいろリアルぶって介護だの子育てだの老化だのなんだのと積み重ねてきていたから、この世界観でまさかそんなシリアスはやらんだろう、と思いつつもホント不安にさせられていたので、ほっとして大笑いしつつ翌週を待ちました。
 そして、でも家は売っちゃったんだよね、とかお隣も出ていったんだよね、というのがよもやこんなに綺麗に回収されようとは、という最終話…!
 一期最終話では突然ちずに彼氏ができていましたが(しかしちずが結婚した相手はこの人ではなかったと思われる…)、今回はそういうことはなく、それはそれでよかったように思いました。武川さんの信玄もそうだけど(保護猫みたいな、あんま懐いてなさそうなふてぶてしさがたまらない、素晴らしいお猫さまと思われます)、みんながみんな誰かとカップルにならなければならない、ということではないと思うので。そういう強迫観念ってよくないし、別にパートナーがいなくても周りとつながれる、家族になれる…というのがテーマだったのかな、と思いますしね。でもまあ個人的には、たとえば亜紀(真木恵未)がちずに憧れていて、なんかフラグ立てて終わる…とかがあってもいいのかも、とかは考えていました。ゲイがいるならビアンもいなきゃ、ってわけではなくて、なんかもっとゆるふわ百合でよかったんですけど…亜紀ってモブにしてはちゃんと動いていて、もったいなかった気がしていたので。
 別にみんながみんなカップルにならなくていい、という点では、公安ずラブも別に成就しなくてよかった、と友達が言っていて、これもまあ確かにな、と私も思いました。菊さまとくっつくオチだと、和泉さんはだいぶフラフラしているというか、これまた単にさみしがりやな人だったのかな、と見えるかな、と…てか井浦新も私は好きなんですけれど、今回の芝居はよくわかりませんでした(^^;)。あれはこの世界観にも役作りとしても正しい演技だったのか…?
 田中圭が好きすぎるので春田派でしたが、私は本来は牧とか菊さまとかの側の(側とは)キャラが好みで菊さまもわりとツボったので、なおさら、告白してフラれて気がすんで独立して、そのまま離れて別の人生を新たに歩いていった方がいいよ、とか考えていたんですよね。報われることがすべてじゃない、もっと違う幸せや可能性が与えられる方がいい点みたいな。友達は逆に、また同居するとかバディに復帰するとかはあってもいいけど、恋愛としてはやっぱり不成立、というような関係性があってもよかったのではないか、と語っていました。でも私はそれはやや難しい気がしたんですよね。去る者は日々に疎し、というのは真理でも、近くにいたらややこしくなっちゃうのが人間だと思うので。そもそも愛も恋も情も性欲も衝動も執着も情熱も、それぞれすごく近いところにあるものだろうから、うっかり間違って発動しちゃうことってあって、それは物理的に身体的に近距離にいたらもう防ぎようがないものだと思うんですよね。なので菊さまには和泉のいないところで新たに生きていってほしかったのです。
 でも神社で、和泉を追ってぴょこぴょこ跳ねる姿が愛しかったので、もういいよおめでとう…ってなりました(笑)。からの張り込みボーナス場面(笑)は、口の中のあんパンを飲み込んでから、自分からディープキスをしにいく気満々の菊さまがこれまた愛しかったので、もう許しますなんでもいいです。あと歯並びの美しさに見惚れました(笑)。そしてライトがハート…懐かしすぎる! でもこんな公安には守られたくないぞ日本、とだけは言っておこう…(笑)
 桜と青空の下の春牧は、その前の家族云々の台詞がホントくだくだしくて、ちょっと耳が閉じそうでしんどかったです。結局は「…凌太」「何、創一」がすべてなんであってさ。そこで春田の頭に風に乗って飛んできた桜の花びらがピトッてつくところが、ホントもう奇跡でさ…あとはまあ身長差とか目をつぶるタイミングとかもあるんでしょうか、牧が最後にちょっと合わせにいく感じがホントいいんだよね、とかとか…まあ、ここはどんなに言葉を尽くしても詮ない名場面ではありました。
 …からの真のオチが、ね! 「…チェンジで」って台詞は、元ネタ(?)を考えるとだいぶ下品なものでホントいかがなものかと思いますが、1話の同じ台詞の回収でもあり、私は笑っちゃったんでもう許すしかないですよね。当初、春牧新婚家庭に姑・武蔵の同居エンドはさすがに嫌だな、みたいな意見も多かったようでしたが、まさかのお隣さんで、大団円三角関係で、この物語の本質に戻ったようで、とてもよくできた、らしいオチだと思いました。玄関開けて武蔵の顔を見て、春田が顔を耀かせちゃうのがカワイイし、牧が武蔵から庇うように春田に抱きつくのもカワイイし、そこから結局喧嘩が始まって春田が大笑いするのもカワイイし…一期2話の「けんかをやめて」名場面同様、春田がスッ転ぶところまでやれば完璧だったかもしれませんが、このコンクリでは腰を痛めそうですからね…桜吹雪の中、そのコンクリにサブタイトルが出て、おしまい。
「WE ARE FAMILY!!」、このファミリーは自民党的な、統一協会(アレは教会ではない)的なヤツではなく、たとえばキャストやスタッフやファンをまとめて『おさラブ』ファミリーと呼ぶときのような、仲間、みたいなニュアンスのものですよね。それで正解かと思います。まあマイマイはいちいち名前なんかつけなくていい、と喝破していましたが…
 いかにも少女漫画的な三角関係をおじさんたちでやろう、というところからスタートした企画は(いやホントのところは知りませんが)、確かに少女漫画的に綺麗に着地したんだと思います。一見ぐるぐるっぽくてもらせん状にちゃんと前進していて、必ず愛や希望や幸福や連帯や未来を描いて終わるのが少女漫画だ、と私は解釈しているからです。性別とか法律とか形式とかは常に超越しているのです。
 二期全9話、たとえ壮大なボーナストラックにすぎなかったんだとしても、やっぱりまた見られて、新たな春田や牧や武蔵が見られて、私は嬉しかったです。ありがとうございました、お疲れさまでした。ずっと幸せでいてください。


 最終話放送後、たまたま夜の観劇予定がほぼない一週間だったため、終業後は録画を再生してはちみちみ書き進めて…という日々を過ごせました。楽しかったです。
 一期のときも確かわりとすぐ田中圭の芝居を観たんですよね、今回も同じ世田パブの『メディスン』が待っています。この白井晃はどう出るか、勝負だ…!
 てか田中圭も吉田鋼太郎も林遣都も、ホントとにかく演技が上手くて、コメディでもシリアスでもなんでもできて、微妙な表情もオーバーアクションもなんでもござれだったというのが、このドラマの成功に大きく寄与しましたよね。ホント奇跡のキャスティングでした。特に吉田鋼太郎のヒロイン力はホントすごいよ…! 満足です。
 ブルーレイ・ボックスも予約したので、今テラサでやっている特別編も是非収録してください。私、ケチなんでああいう有料のものには手を出したくない派なんですよ…(><)(だが円盤は買う)そういえば劇場版も映画館で観ただけで円盤は持っていなかったので、今回ちゃんと買いました。そうだそうだこんなだったわー、とか思い出しながら見ました。あれもまあラストシーンのためだけの大騒ぎなんだけど、あれはそれこそお金を出して映画館まで行くファンのためのものだったので、それでよかったのでしょう。二期は、さすがにこの前評判このキャストこの宣伝で、一期を見てなかった人も見ただろうし、それでも十分楽しめたろうしそれで十分引っかかりもしたのでしょう。光が強くなれば影もまた濃くなる、そこからどうしていくかが勝負です。製作陣の今後にも期待しています。

 私のスマホのアラーム音は今でも一期のあの着信音です。今回なんで変わっちゃったのかな? 変えるのが面倒ってのもありますが、おそらくまだまだずっと、私はこのままにしておくと思います。好きになるとしつこいタイプです、熱しにくく冷めにくいの(笑)。はるたんとお揃の部屋着を(まだ届いてないけど)着倒して生きていきたいと思います。おしまい。




 ※追記※
 ところで『~in the sky』は未履修なんですよ、あそこにも萌えはあるのかな…?(田中圭ファンとしてはやはりちゃんと見ておくべきだったか…当時なんか存在時代に気づかなかった記憶なんですよね、なんでだろう…?)






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