駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『天日坊』

2022年02月19日 | 観劇記/タイトルた行
 シアターコクーン、2022年2月16日17時45分。

 平家一門を都から追い落として、源頼朝に先んじて上洛した木曽義仲は、横暴な振る舞いの末に頼朝方の軍勢に討たれた。その死後、都では化け猫騒動が起き、修験者の観音院(片岡亀蔵)らが退治するが、その際に弟子の法策(中村勘九郎)は「生き延びよ」という不思議な声を耳にする…
 演出・美術/串田和美、脚本/宮藤官九郎。幕末に人気を博した河竹黙阿弥の歌舞伎を練り直して2012年に初演、その再演版。全2幕。渋谷・コクーン歌舞伎第18弾。

 コクーン歌舞伎、いくつか観た気でいたのですがこれが初めてだったのかしら私…めっちゃ楽しかったです。歌舞伎ってそもそもかぶいているものだと思うから、どのあたりがコクーン歌舞伎らしいかぶき方なのかわからないくらいでしたが(「虚空雲座」って表記、素敵ですよねえ)、現代の流行り言葉やジョークも交えつつ軽快に進む舞台で、わかりやすくとっつきやすく、とてもチャーミングなピカレスク・ロマンで、とてもおもしろかったです。
 原作はおそらくもっと大部な、そしてやや大味なもので、江戸時代や幕末の観客はそれを飲み食いしながら日がな一日観たような、そういう作品だったのではないかしらん。それをなんとか絞ってまとめて、さらに今回の再演では初演より30分ほど尺を巻いたそうです。でも「今風に言えば、承認欲求の物語。あるいは、好きじゃない言い回しですが、親ガチャの物語」とまとめてしまえるほどシンプルな、あるいは痩せたものにはなっていなかったと思います。おそらくもともとあったのであろう「人間だもの」と言いたくなるようなしょうもなさや、おかしみや悲しみが豊かに残った作品になっていたと思いました。
 確かに法策は産みの親も氏素性もわからぬみなしごで、でも拾ってもらえて育ててもらって、師匠もいい人で、そう不自由なく暮らしている、いい子でした。それとも17歳というのはもう大人かなあ、でもちょっと幼い、のほほんとした役作りになっていましたよね。でも、そんな汚れを知らぬおぼこい少年でも、お三婆(笹野高史)から娘が頼朝のご落胤を産んでいたと聞くと、その子供になりかわれるかな、と考えてしまう。そして婆を手にかけてしまう。根っからの悪人というわけではないのに、今の暮らしになんの問題もなく、自分はどこの誰だろうなんて今まで深く考えたこともほとんどなかったのに、何者かになろうとしてしまう、欲に目がくらんでしまう。その魔の差しっぷりがすごいです。
 でも人間なんてそんなものかもしれないな、と思わせるかのように、お話は素軽くひょいひょい進んでいく。悪いことやったるで!みたいな熱い気負いも、悪いことをしてしまった!みたいな重い罪悪感もない。いや法策はオタオタはするんだけれど、なんかちょっとのんびりしているというか、あまり悲壮感がないのです。勘九郎がまたそういうキャラにめっぽうハマり、上手いんです。だからノセられて観てしまう。この主人公が嫌いになれない、憎みきれない。さりとてどうにかしてあげたい、というほどにもならない。なんかやってることが、というか本人の心情の在り方がほややんとしていてしょうもないからです。腹をくくりきっていない、そこがまた人間臭い。
 彼に絡んでいく地雷太郎(中村獅童)もお六(中村七之助)も、けっこう雑に悪事を働くワルなんだけれど、これまた飄々としていて、悲壮感やワルをがんばっている感がない。仇討ちみたいなことも、口では言うけどそれほどの真剣さや執着がなさそうに見えます。行き当たりばったりのいい加減さが本当に人間臭いのです。これまた人ってそんなものかもしれないなあ、と思わせられてしまうのです。
 けれどお話は彼らをどんどん絡め取っていきます。詮議の場に出ていく三人の決まり方ったら、どこの組のトップトリオかと思いましたよ…! さらに大詰めの大立廻りの鮮やかさ、もう目が覚めるようでした。ことに七之助、本当にすごい! というか女形ってすごい!! これは普通の女優さんではできないでしょう。あんな重そうなお衣装で、あれだけ俊敏に動いて、体幹がものすごく強くてブレもせず美しく、バンバン魅せて、そして散っていく…圧巻でした。ハケはどこの『WSS』かと思いましたよ!(笑)捕手たちも素晴らしすぎました。
 さらにもう一押し、最後は主役の大立廻りで魅せまくる! 自分が何者か、自分が何をやっているのかわからなくなっちゃった法策が、泣き笑いしながら暴れまくる…おかしいやらもの悲しいやらアクションがすごすぎてあきれるやらで、胸が詰まりました。
 そして意外にも静かな幕切れ…美しい物語でした。

 暗転後に幕まで降りたのに、幕が上がったら勘九郎が板付きでまだ同じポーズを取っていたのは個人的にはやっぱり残念でした。ハケていてくれてよかったし、そこにいるにしてももう正面向いて猫抱いてニコニコしてたらよかったと思うんですよ、カテコなんだから! そこだけは本当にしょんぼりでしたが、あとは本当に大満足な観劇でした。舞台の使い方もとてもおもしろかったです。
 平蔵の小松和重とか、歌舞伎役者でない人が入っているのもとてもよかったと思います。あとバンドがとても素敵でした。こんなにトランペットを多用することもそうそうないような…とても効果的だったと思います(音楽監督/平田直樹、Dr・kyOn)。
 初演の千秋楽にはラストのトートみたいな(笑)お役をサプライズで勘三郎が演じ、それが彼の最後の舞台となったそうですね。「あれは頼朝なの?義仲なの?」「……頼朝でいきましょう」ってのもすごい。ちなみに私は観ていて義仲なのかなと思っていました。このエピソードは観劇後に帰宅してプログラムを読んで知ったので。シシィは最期にトートを見たわけですが、法策が見たのは誰なのか、誰を求めていたのか、これくらい定かではない。それすらあいまいなくらいに、自分は誰か、何を望んで生きているのかなんて本当はあいまいなことなのかもしれません。「その答えを探す旅こそが人生」というのは、ちょっと綺麗にまとめすぎた言葉だと思います。本編の、笑って泣けて驚いてワクワクしてざらりとしてほろりとしてぞっとして…というような揺さぶられた感情全部が、人生そのものなんじゃないかしらん、と観劇の醍醐味を味わったのでした。




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