駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『Op.110』

2020年12月17日 | 観劇記/タイトルあ行
 よみうり大手町ホール、2020年12月14日18時半。

 舞台の上に一台のピアノ。音楽の中、人々が思い起こすベートーヴェンの記憶。ピアノ・ソナタ31番(Op.110)の旋律からひとりの女性が浮かび上がる。その人は「不滅の恋人」、アントニー・ブレンターノ(一路真輝)。ウィーンのビルケンシュトック伯爵家に生まれた彼女は、まるで人身売買のごとく実業家フランツ・ブレンターノ(神尾佑)のもとへ嫁ぐ。だが進歩的な女性ベッティーナ(万里紗)の計らいによって、アントニーはベートーヴェンと交流を始め、芸術の光と力によって結びつくが…
 原案/小熊節子、演出/栗山民也、脚本/木内宏昌、音楽・演奏/新垣隆。ベートーヴェンが残した「不滅の恋人」への手紙の宛先は誰か…青木やよひの著作をもとにした、手紙とモノドラマと対話と日記と歌による追憶の舞台。全2幕。

だいもん&きぃちゃん退団公演の予習に、というのもあって出かけてきました。先日のヤンさんコンで初めて訪れた会場で、室内楽とかリサイタルに最適っぽいと思ったものでしたが、こういうお芝居にもいいですね。静かにしみじみと、しかし奥底に深く熱いものを感じさせるような、ちょっと変わった音楽劇ともいうべき作品に仕上がっていて、とても楽しく観ました。
 たまたまなのか、あえてなのか、ものすごくソーシャルディスタンス・キープな舞台で、それもあって静かというか粛々と、淡々と進むんですけれど、でもとてもスリリングでドラマチックでした。
 物語は、ベートーヴェンの愛弟子であるフェルディナンド・リース(田代万里生)が伝記の執筆のためにあちこちを取材し、歴史の陰に埋もれた真実を紐解く…というような構成になっていて、彼がある種の狂言回しのようになってええ声で語り進めます。実際に日記やら手紙やら証言やらはかなりの数が残されているようですが、そういうものだからかはたまたわざとなのか固有名詞は隠されたり省かれたりしていることも多く、史実としてこれが正しいのかどうかは確定していないというか、わからないようです。でも、この作品ではひとつの解釈として、こういう物語を立ち上げた、ということです。
 零落しかけた貴族の娘が、芸術を愛し、その作り手である芸術家をも愛し、しかし親の命で意に沿わぬ実業家に嫁ぎ、子供を産まされ、しかし自分の手で育てることも許されず、籠の鳥で鬱屈して暮らし、そこに十年ぶりに芸術家と再会して…メロドラマです。私はこの言葉を、いわゆるソープオペラ、昼メロという意味で使うことが多いのですが、そもそもはクラシック音楽用語で、このメロは旋律のメロスを語源としているそうですね。妻は夫に金で買われたようなものだと思っているけれど、夫はそれなりに妻を愛していて、しかし仕事も忙しく、妻を十全に愛し守れたとも言えない負い目を感じている。そこに妻から芸術家への愛を告白されて、外聞もはばかりプライドも邪魔をして、離婚は承諾せずただ三人で旅行しようなどと切り出す。芸術家は最愛の人との新しい生活を夢見て歓喜の旋律を創造するも、彼女は夫の子供を身籠もってしまい、一方で自分は弟子のジョゼフィーネ(前田亜希)を身籠もらせてしまう…このこじれっぷりよ…! 別れられない夫妻は芸術家のパトロンとなり、音楽を貴族階級のものに独占せず市民に開放するよう努め、合唱つきという奇跡のシンフォニー「第九」が世に出る…
 つらすぎます、しんどすぎます。聴力を失って久しいベートーヴェン(声は段田安則)がアントニーに「不滅の恋人よ、私の言葉が聞こえるか?」と訴える手紙がせつなすぎます。彼の耳鳴りを表すようなハウリングがときおり鳴る舞台がまた不気味すぎます。そんな中でも彼は自分を叱咤し、鼓舞し、作曲を続け、芸術に身を捧げ、生涯独身を貫き、死したのです。芸達者な出演者たちがそれぞれの役の視点から語るだけで、舞台には出てこないベートーヴェンの姿が浮かび上がる…とてもおもしろい趣向の舞台でした。台詞も歌曲もとてもよく響く会場で、イチロさんのリリカルな歌唱も万里生くんのドラマチックな歌声も、よく通り素晴らしかったです。
 このベートーヴェンをだいもんがどう演じるのか、くーみんがどう描くのかも楽しみ…!となりました。私は有名どころのCDを数枚持っている程度ですが、いろいろ聴いておきたいなと思いました。

コメント
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