世田谷パブリックシアター、2020年12月8日18時半。
1953年。アメリカでは共産主義者を糾弾するマッカーシズムの嵐が吹き荒れている。その一方で、テレビ業界は熾烈な視聴率戦争の真っ只中にあった。ニューヨーク、ミッドタウンの高層ビル23階に人気コメディアン、マックス・プリンス(小手伸也)の冠バラエティ番組『ザ・マックス・プリンス・ショー』のオフィスはある。新入りライター、ルーカス(瀬戸康史)にとってはまさに夢の現場。ここではマックスの才能を愛し、彼のためにコントを書き、認められようと集まった個性的なライターたちがしのぎを削っていた…
作/ニール・サイモン、翻訳/徐賀世子、演出・上演台本/三谷幸喜。1993年ブロードウェイ初演、96年ロンドン初演。全1幕。
出発はテレビの放送作家だった劇作家・脚本家ニール・サイモンは、ルーカスに投影されているようです。例によって笑う気満々の観客が一部いるのには閉口しましたが、ドッカンドッカン笑うというよりは終始クスクス笑うような、そしてラストはもの悲しい、実にニール・サイモンらしい作品だなと思いました。まあそんなにたくさんサイモン作品を観ているわけではありませんが。私は「8時だョ!全員集合」を見て育った世代なので、そのあたりを想定して観ました。でもなんにせよ、エキセントリックなキャラクターがわあわあ叫んでドタバタ暴れて笑いを取るような笑いは、さすがにやや古いのかもしれません。時節柄、唾が飛ぶがな…とヒヤヒヤしながら観た、というのもあります。まあもちろんそれだけの笑いではないのですが…
各キャラクターの配置はさすがだと思いましたし、役者も全員素晴らしかったです。ロシア移民のヴァル(山崎一)なんて、片言しゃべりで笑いを取るってのもこれまた今どきかなりグレーかと思うのですが、案配がすごーく良かったしとってもチャーミングでした。かつては神童と呼ばれたものの…というご老体(というのは言いすぎかな)ケニー(浅野和之)も実にバランス良く、素敵でした。ハリウッドを目指すブライアン(鈴木浩介)もとても上手い、ミルト(吉原光夫)もアイラ(梶原善)も上手い。そしてマックスの秘書ヘレン(青木さやか)がもったいないな?と思っていたら後半いいポジションで…! さらに紅一点キャロル(松岡茉優)も、本当にちょうどいい在り方だと思いました。脚本的にも、マックスがライターひとり誰を切るかというくだりのときの扱われ方が、意地が悪い言い方ですがちょうどいいなと思いました。フェミ的にちゃんとしてる、とまでは微妙に言えないところなんかが特に、という意味です。
お話の終わりはけっこうシビアでせつなく、でもドライというのがまたよかったし、そこからのラストがまたお洒落でした。そして『幸福論』のラムネ瓶もそうだったけれど、ラインナップが終わって役者が引っ込むと、空になった舞台には明かりのついた街灯だけが残されるんですよ。それは政治やら何やらのあれこれに立ち向かう、決して消されない、輝き続ける、エンタメの希望の灯ってことですよね。ほろりと来ました。
そうそう、作品が終わって、暗転の間に、板付きで残っていた役者が役を降りてラインナップの支度に移動してくれていて、再び舞台に明かりがついたら即お辞儀とラインナップで、私は安心して拍手ができました。個人的に、舞台で役者が役を降りる瞬間を見せられるのが大の苦手なので。
しかし、座席に設置された衝立については苦言を呈したい。感染予防のため、また隣席との会話を少なくさせたいのだという意図はわかります。でも単純に視界の邪魔です。連れと来ている人はこんなものがあっても隣としゃべると思うし、少なくとも前方で端の席からは撤去するかせめてもっと低くしてほしいです。私は実質最前列の最下手という席だったためか、上手3分の1が普通に座っていたら全然見えなくて、後ろの列の人に悪いと思いながらも、そこに役者が立ってしゃべったりアクションしたりするときには前に乗り出して見るしかありませんでした。めっちゃ疲れた…あれはどセンター席でもけっこうストレスだったんじゃなかろうか、人間の視野ってかなり広いので。
幕間もない舞台なんだから開演前のおしゃべりだけ制限すればいいんだし、アナウンスなりなんなりでもっとなんとかできたと思います。衝立がなくなったよ、というつぶやきを心待ちにしています…
1953年。アメリカでは共産主義者を糾弾するマッカーシズムの嵐が吹き荒れている。その一方で、テレビ業界は熾烈な視聴率戦争の真っ只中にあった。ニューヨーク、ミッドタウンの高層ビル23階に人気コメディアン、マックス・プリンス(小手伸也)の冠バラエティ番組『ザ・マックス・プリンス・ショー』のオフィスはある。新入りライター、ルーカス(瀬戸康史)にとってはまさに夢の現場。ここではマックスの才能を愛し、彼のためにコントを書き、認められようと集まった個性的なライターたちがしのぎを削っていた…
作/ニール・サイモン、翻訳/徐賀世子、演出・上演台本/三谷幸喜。1993年ブロードウェイ初演、96年ロンドン初演。全1幕。
出発はテレビの放送作家だった劇作家・脚本家ニール・サイモンは、ルーカスに投影されているようです。例によって笑う気満々の観客が一部いるのには閉口しましたが、ドッカンドッカン笑うというよりは終始クスクス笑うような、そしてラストはもの悲しい、実にニール・サイモンらしい作品だなと思いました。まあそんなにたくさんサイモン作品を観ているわけではありませんが。私は「8時だョ!全員集合」を見て育った世代なので、そのあたりを想定して観ました。でもなんにせよ、エキセントリックなキャラクターがわあわあ叫んでドタバタ暴れて笑いを取るような笑いは、さすがにやや古いのかもしれません。時節柄、唾が飛ぶがな…とヒヤヒヤしながら観た、というのもあります。まあもちろんそれだけの笑いではないのですが…
各キャラクターの配置はさすがだと思いましたし、役者も全員素晴らしかったです。ロシア移民のヴァル(山崎一)なんて、片言しゃべりで笑いを取るってのもこれまた今どきかなりグレーかと思うのですが、案配がすごーく良かったしとってもチャーミングでした。かつては神童と呼ばれたものの…というご老体(というのは言いすぎかな)ケニー(浅野和之)も実にバランス良く、素敵でした。ハリウッドを目指すブライアン(鈴木浩介)もとても上手い、ミルト(吉原光夫)もアイラ(梶原善)も上手い。そしてマックスの秘書ヘレン(青木さやか)がもったいないな?と思っていたら後半いいポジションで…! さらに紅一点キャロル(松岡茉優)も、本当にちょうどいい在り方だと思いました。脚本的にも、マックスがライターひとり誰を切るかというくだりのときの扱われ方が、意地が悪い言い方ですがちょうどいいなと思いました。フェミ的にちゃんとしてる、とまでは微妙に言えないところなんかが特に、という意味です。
お話の終わりはけっこうシビアでせつなく、でもドライというのがまたよかったし、そこからのラストがまたお洒落でした。そして『幸福論』のラムネ瓶もそうだったけれど、ラインナップが終わって役者が引っ込むと、空になった舞台には明かりのついた街灯だけが残されるんですよ。それは政治やら何やらのあれこれに立ち向かう、決して消されない、輝き続ける、エンタメの希望の灯ってことですよね。ほろりと来ました。
そうそう、作品が終わって、暗転の間に、板付きで残っていた役者が役を降りてラインナップの支度に移動してくれていて、再び舞台に明かりがついたら即お辞儀とラインナップで、私は安心して拍手ができました。個人的に、舞台で役者が役を降りる瞬間を見せられるのが大の苦手なので。
しかし、座席に設置された衝立については苦言を呈したい。感染予防のため、また隣席との会話を少なくさせたいのだという意図はわかります。でも単純に視界の邪魔です。連れと来ている人はこんなものがあっても隣としゃべると思うし、少なくとも前方で端の席からは撤去するかせめてもっと低くしてほしいです。私は実質最前列の最下手という席だったためか、上手3分の1が普通に座っていたら全然見えなくて、後ろの列の人に悪いと思いながらも、そこに役者が立ってしゃべったりアクションしたりするときには前に乗り出して見るしかありませんでした。めっちゃ疲れた…あれはどセンター席でもけっこうストレスだったんじゃなかろうか、人間の視野ってかなり広いので。
幕間もない舞台なんだから開演前のおしゃべりだけ制限すればいいんだし、アナウンスなりなんなりでもっとなんとかできたと思います。衝立がなくなったよ、というつぶやきを心待ちにしています…