駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

登田好美『学ランの中までさわって欲しい』(小学館&FLOWERフラワーコミックスα全2巻)

2020年11月06日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名た行
 ゲイの男子高校生・新見は、生徒会で一緒の澤根を誘ってセフレ関係を続けている。蓮根のことが好きだけど、ノンケの蓮根は普通に女の子が好きだから、この関係は男子校の中だけ。蓮根を好きだなんて伝えちゃいけない、いつか別れるときが来てもちゃんと受け入れるから、せめてそれまで体だけでも気持ち良くなって…

 小学館の少女漫画のコミックスレーベル名は「フラワーコミックス」ですが、ところでこれってどこから来ているんでしょうね…今も「flowers」という月刊誌はありかつては「プチフラワー」がありましたが、『ポーの一族』第1巻がフラワーコミックス第1号として出たときにはまだ「少女コミック」「別冊少女コミック」しかなかったのでは…? 今はちょっと前からアダルトめというか旧レディスコミック的な電子漫画サイト「モバフラ」(モバイルフラワーの略、かな?)もやっていて、最近少女漫画ラインの「&FLOWER」が始まりましたよね。これはその配信をまとめた紙コミックスで、漫画家さんはもともとは「Betsucomi」で描いていたようです。そこでは今ひとつ芽が出なくて、電子でBLにチャレンジ…となったのかもしれませんが、読んでみると(初めて読む漫画家さんでした、すみません)別に普通に少女主人公の男女恋愛漫画が描けそうに見えるけどな?と、やや不思議な感じがしました。たまに、あ、こっちの方が明らかに合うね!と感じられる、一般的な少女漫画を描くにはちょっとミソジニーがありすぎるような漫画家さんはいて、そういう人は無理して描いていてもやはり読者にはバレて人気が出ないものなので、こんなふうにジャンルを変えるなりいっそ版元を変えるなりしないとどうにもならず、そのままだともったいなかったりするものなのです。でも、この漫画家さんにはそんな感じはしなかった。とはいえこの作品には女性がほぼ出てこないのですが、でもそういうことで判別するものではなく、要するにそこは性別とかより人間性というか、人間や人間同士の関係性、その人が持つ感情なんかをどう捉えどう描くかということが大事で、この作品ではそこにちゃんと情が見えたのです。この作品はたまたま当たって続巻が出たような形だったようですが、このあとはどんな作品を描くのかな? 楽しみです。
 そういう意味では、1巻の表紙に描かれたオマケ漫画で語られる、そもそもこの作品が配信される経緯みたいなものもおもしろかったです。おそらくあまり経験のない、いい言い方をすれば偏見やこだわりのない男性編集者と組むことになって、なんとなく、しかしある種の勢いに乗って企画してしまったもののようで、雑なネーム(ネームなんてたいがい雑なものなのでしょうが)を解読できない編集にいちいち言葉で解説せざるをえない漫画家さん…みたいなくだりがめっちゃ想像できておもしろすぎました。よくがんばったよなあこの漫画家さん…!(笑)
 それで言うと(とどんどん話がズレていってしまってすみませんが)2巻のこの部分のオマケ漫画によれば、配信からは紙コミックス版はぶっちゃけ性器周り(笑)に多少の修正が施されているようですが、これはちょっと意外でした。最初から、美学として、見せないように、直接描かないように、あえて服や手や見る角度で隠して描いているのかと思ったからです。私はBL専門レーベルのコミックスなんかでよく見る、ペニスも睾丸も描いてあるけど白のアミトーンとかで伏せてセーフ(?)としているものにはどうも萎えるタイプで、こんなにまでして描きたいのかなとかでも見せられないんじゃ意味ないんじゃないのかなとかみんなそんなにソコ見たいのかなとかつい思っちゃうタイプなのです。なので描いてなくても全然いいし、むしろ安心だし(だって変にデカく描かれるのも逆に貧相では?と思われるようなものを描かれるのも、それこそ萎えません…?)、エッチかどうかってのはそういうところには宿らないんだと私は考えているのです。
 そしてこの作品は十分にエッチです。ときめきます、そそられます、濡れます。それはキャラクターとその感情と彼らの関係性がしっかり描かれているからです。デッサンもちゃんとしている方だし(身体が描くのが下手な漫画家が描く裸の濡れ場のまた濡れないことといったら…)、絵やネームが破格に上手いとかは特にないんだけれど、素直で、誠実で、奇をてらったりテレて日和ったり斜にかまえたりしていないのが、いい。まずはショートで、みたいなところから始まったようだし、漫画家さんが大事に、慈しんで、楽しんで、真面目に描いている感触を受けました。
 全2巻で対になるような、色味を抑えた(黒髪男子ふたりが学ラン着て絡んでるんだから肌色しか色味がないのも当然なんですが)カバーイラストも素敵だし、タイトルロゴデザインとカバーレイアウトもお洒落で素敵。タイトルは私の好みからするとやや直截にすぎる気もするのですが、まあキャッチーであろうとしたのかもしれないし、わかりやすくはあるのでいいっちゃいいのでしょう。
 ちゃんと作中で時間が経つところも好きでした。長々前振りめいたことを書き連ねてきましたが、要するに、好みの一作なのでした。

 BLとしては、男子校で、生徒会で、ゲイの主人公とヘテロの彼氏のセフレ関係から始まる恋愛、という実に、ものすごく、よくあるパターンの物語です。残念ながら目新しいところは何ひとつないと言ってもいい(あ、なんかやたらと「準備」を語るところは「真面目か!」とつっこみたくなりつつなんかあまり他で見ない気がしたので、新鮮に感じました。要するに肛門性交をする前には浣腸して大便を出しておきましょう、ということなのだと思うのですが〈あえてこう表現しますが〉、ちゃんとしてるなーと感心もしました。いくらドリームでファンタジーだといってもあまり省略しすぎたり美化しすぎたりしてはいけないということはあると思うので。ちゃんとコンドームするとかも、ね)。だから私がこんなにも長々語っているのは、要するにただただ好みだというだけのことなのです。
 主人公の新見は中学生くらいからゲイの自覚があって、ゲイ動画を見て自慰するような青春で、最初はちょっと苦手かもと思った蓮根にやがて惹かれて、好きになって、でも告白なんてできないから誘ってセフレになって、「初めて好きな人と最後までやった」。
 新見は真面目で優しいというより気が弱くて、空気を読んで周りに合わせて我慢しちゃうタイプ。一方の蓮根は強面のイケメンで女子にモテてきたし非童貞で、周囲に一目置かれているけど孤高の存在、みたいなタイプ。身体を交わすようになっても、好きだからこそ負担をかけたくないと引こうとする新見と、好きになったからちゃんとつきあってみようと言う蓮根とですれ違うような、両片想いみたいな展開になるのもとてもベタで、でも繊細に丁寧に描かれていて、ああ恋愛ってこうだよなと思えるし、だから読んでいてときめくのでした。若さ故というのもあるけれど性欲ともセットになっていて、主人公が同性相手じゃなきゃダメなんだからそりゃBLにならざるをえないわけで、でも要するに単なる恋愛の物語なんです、と思えるのもいい。これは同性愛を貶めたりないものとして言っているのではなくて、でも要するにBLってヘテロ少女読者のためのラブ・ファンタジーなんだから、とにかく「恋愛」としてきちんと描かれる必要があるのだ、しかも身体を伴う性愛として、ということが言いたいのです。それができているからこの作品は気持ちがいいのです。新見と一緒だネ!(笑)
 そうそう、そのファンタジー性ですが、要するに同性同士なら完全に対等だろうという、異性相手では夢見られないドリームがBLには持てるわけです。だから最終的にはリバがいいんじゃない?と思わなくもない。攻め受けってやっぱり、男女や上下や支配と隷属みたいなものを想起させるので。でも実際には、というかいい作品はキャラクターでもちゃんとした人間として描こうとするのでそして人間なら当然なんですが、たとえものすごく明確じゃなくても性自認とか性指向とかはわりとちゃんとあるわけで、そりゃなんでも好きで楽しめるって人もいるんでしょうけれどそれは少数派なのかなと思うし、だから新見が「こっちでいい…/こっちがいい」と言ったのはBLではすごく新鮮に思えて、そしてすごくいいなと思いました。その前段として蓮根が「新見とできるなら/どっちでもいいから」と言うのもいい。それが愛だよね!と思うのです。で、「……1回だけなら…」って新見が言っちゃうのもホントいい。いじらしい。愛しい。
 これまたキャラとしていがちなんだけど、めがね先輩がまたいい味出してるんですよね。そこも好き。伏河くんは、キャラとしてもうちょっと大きく描き分けたいところだったけれど、ちょっと画力が足りなかったかな、みたいな印象はありました。
「機会的」と言われれば、そもそも近くにいて知り合わないと恋愛なんて始まらないので教室とか職場とかで生まれがちなものだろうし、環境が変われば解消されることが多いものでしょう。異性同士であろうと、学生時代の恋人と結婚してそのまま離婚もしない人ははっきり言ってかなり少ないはずです。だから「卒業後は目が覚めて終わり」なんて予言は意味がない。でも、それを乗り越えてカミングアウトのドラマや、「学校を出ても新見といたいよ」「ずっと澤根といたい」となる展開は美しい。伏河はアテ馬としてもやや描き切れていなくて、本当は蓮根が自分がゲイでないこと、女子とのセックス経験があることに引け目みたいなものを抱き、新見には伏河の方がふさわしいのだろうかと悩むような流れがあるべきだったんでしょうね。相手を好きすぎて相手のために身を引こうとしてでも好きすぎてできない、みたいな、私の大好物展開…(ヨダレ)大丈夫、妄想で補完できます。
 あとは、卒業が近づくにつれて、進路とかでもっとドラマが描けたはずなんですよね。そこがほとんどなくて、ラストの描き下ろし番外編でほとんどトートツに語られるのがちょっともったいない気もしましたが、まあこのあっさり具合もオツなのかもしれません。
 卒業式で新見が友達に「付き合ってるやつとかって……」って聞かれるくだりが、とても好きです。新見って本人は無自覚でも、クラスメイトたちにとても愛されていたんだと思う。蓮根の方が敬して遠ざけられ気味だったと思うんですよね(そして蓮根はそれを自覚できている)。でもみんな新見のことは友達として普通に好きで、だからカミングアウト後も変に突っついたりからかったりしないで見守っていて、でもやっぱり気になるから、それは冷やかし半分やっかみ半分かもしれないけどとにかく最後に出ちゃった発言で…って感じが、すごくいい。そしてそれに対して新見がさらっと「蓮根と付き合ってる」って言っちゃうところも、ホントいい。蓮根が全然頓着せず「…新見 帰ろ」ってなるのも。
 そうだ、何故かありがちな「下の名前で僕を呼んで」案件がなかったのも個人的にはすごく好きでした。蓮根にいたっては出てすらこなかったんじゃないかな? ずっとお互い名字呼び捨て。それもまた良き。
 そういえば、そんなわけで卒業後も「専門出たら/新見の所に行っていい?」「一緒に暮らそ」とはなるのですが、『同級生』とか『窮鼠』のラストにあった指輪、結婚みたいなモチーフは出ないままに終わるんだな、と思ったので、もしかしたらこの部分がやはり令和刊行の作品としての現代性なのかもしれません。選択的夫婦別姓も同性婚も認められていないような今の日本の婚姻制度に、もはや誰もドリームなんて持てませんもんね。こうやって捨てられることって、本当に終わりの始まりなんです。最近青年漫画や少年漫画にすら結婚モチーフの作品が増えてきて、男の方がしたがるんだから世も末だなとか感じていたのですが、そういうことだと思います。もう少女は結婚に夢を見ない、だから女になっても結婚しない、子供は産まれず、人類はゆっくり滅んでいくんだな、とホント思うのでした。愛はあるよ? 全世界を滅ぼしてでも愛を取るのが少女です。世界を革命する力を手にして、そうして革命された世界に人類はいなかった、ただそれだけ…
 そして「きれいだな」と微笑むしかないのだろう、と思うのでした。









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珍しく、少女漫画時評…というほどでもない、けど、など。

2020年11月06日 | 日記
 私は漫画界隈の仕事をしているので業務として漫画誌やコミックスを読むのですが、担当分野と関係なくても好きで読んでいるものも多々あるわけで、ここ半年か1年ほど、ものすごく別マがツボです。別マはいつの時代もそれぞれに素晴らしい雑誌かと思いますが、私自身は実は買って読んだことはないんですよね。私は小学生時代は「りぼん」を買っていて、その後「LaLa」に進み、そしてコミックス派になって以後も別マの有名タイトルにあまり縁がないままにすごしてきてしまったので、世間的にはかなりメジャーな、一時代を画したような作家を意外に通っていなかったりします。愛蔵しているのは河原和音『先生!』くらい。でもこれも確か読んだのはもう大人になっていたはず…(今調べたら1巻は1997年刊行なので全然社会人でした)近年だと椎名軽穂『君に届け』は楽しく読んでコミックスも買い集めていましたが、無事大団円完結したところで手放してしまいました。でも今は『君に届け番外編 運命の人』の続巻を楽しみにしています。
 なのに、何きっかけかわからないのですが見本誌として届く別マをパラパラと眺めたり、新刊コミックスの1巻で好みの絵っぽそうなのを読んでみたりするうちに、何作か気になる作品ができ始めて、今は発売日の前日か前々日くらいに職場に届く見本誌を楽しみにしている始末なのでした。ちなみにコミックスを買っているのはオザキアキラ『うちの弟どもがすみません』、柳井わかな『シンデレラ クロゼット』、湯木のじん『ふつうな僕らの』。さらに最近ではマーガの日下あき『はやくしたいふたり』、吉田夢美『彼女が可愛すぎて奪えない』にも夢中です。
 このあたりの少女漫画って、ヒロインが女子高生で、恋愛とか家族とか青春を描く…って大枠は古来まったく変わっていなくて、その中でいろんな細かい設定が手を変え品を変え繰り出されてバリエーションを生み出しています。親の再婚で姉弟になっちゃってとか、ガリ勉くんとヤンキー娘が出会っちゃってとか、悪魔男子が人間の天然娘を誘惑しようとするんだけどとか、まあベタベタです。その中では、異性装をする男子がメインキャラとして出てくる『シンデレラ~』とか、ヒロインが心臓病のサバイバーで相手役の男子が耳が聞こえない設定の『ふつうな~』は目新しいというか、現代的かもしれません。他の版元の少女漫画や、もっと読者層が上の少女・女性漫画と別マのコードはおそらく明確に違うと思われるので、そんなにとんがりすぎることなく展開されていくのでは、と思っていますが、期待と不安を抱きつつ見守っています。とにかく私はラブを読むのがとにかく大好きという意外と(?)ナンパな読者なので、ちゃんとラブいと嬉しいのでした。

 こうした、好きで買い集めているコミックスとは別に、とりあえず1巻なので読んでみよう、と目を通した最近のいくつかの作品について、いくつか思うところがあったので、今回はちょっと書いてみようかなと思ったのでした。別に論評ってほどのものではないのですが。続巻が見本として届いたらまた読むけど、いろいろな理由で、買って自分の本棚に愛蔵するほどではないかな…というような作品です。


●ウオズミアミ『三日月とネコ』(集英社マーガレットコミックスココハナ)

 webで連載されて、それがまとめられて紙のコミックスになって刊行されて、けれど続きを「ココハナ」で描くことになったのでコミックスも新装版として集英社から出し直した、という経緯のもののようです。まあ、特に最近はよくあるケースですよね。ただしカバーイラストは違うもののイラストの構図、コンセプトは同じで装丁も似せていて、収録作も同じようなので、今までの読者に買い直させないよう気を遣っているところが好感が持てます。私が愛蔵しているタイトルだと藤田貴美『EXIT』がそのパターンで二度ほど版元を変えましたし、装丁のイメージは踏襲していましたがなんせ判型が違っていたので、私は最初のものを買い換えました。懐かしい。というか頼む続きを描いてくれ、完結させてくれ…
 生まれながらの家族ではなく、また結婚して夫婦になることでの同居でもない、ラブ抜きの同居ライフへの憧れというものはだいぶ根強いらしく、昔からそれこそ手を変え品を変え少女漫画では描かれます。もっと若い層向きの学生寮漫画(これはラブありの場合が多いけど)とかもこれに当たりますよね。
 でも私は個人的にはあまり食指が動かないのでした。就職してひとり暮らしを始めてずっとひとりで、特に孤独で寂しいとかの不足を感じたことがないからです。とはいえいろいろあって2年ほど同棲を経験したこともあり、それは「私も他人と住めるんだなあ」と自信になったりもしました。だから他人となんて暮らせない、絶対にひとりがいい、とも、たまたまひとり暮らしだけど寂しいなあ、孤独がつらいなあ、早く結婚したいなあ、とも、結婚とかは面倒だけど誰かがそばにいてくれないかなあ、とも思っていないのです。だからこういう、大人向けのラブ抜きの同居設定みたいなものにあまりシンパシーを感じず、ときめかないのでした。さらに猫より犬派で、かつそれこそペットの面倒なんて見るの無理、好きだけど絶対めんどそう、と思ってしまうタイプなので、この作品も雑誌でもチラチラ見てはいましたが遠巻きにしていました。
 が、読んでみました。
 ヒロインは44歳の書店員、灯。店内でお客の女子高生に「オバさん」と声かけられて自分のことだと気づかず、気づいて驚きのちに落ち込みでもそりゃそうかとも思う、そんなお歳ごろです。そんな彼女が熊本の地震をきっかけに、同じマンションに住む34歳の精神科医・鹿乃子と29歳のインテリアショップ勤務・仁と、鹿乃子の猫・ミカヅキとともに暮らすようになり…というお話です。連載と言っても引き引きではなく連作短編集みたいな構成で、1巻ラストはオチているようでもないようでもあり、好評を受けて続きが描かれることになったのでしょう。
「歳を重ねれば自然とオトナになるもんだと思ってた」「何か欠けたまんま/ずっとオトナになりきれなくて」(いずれも「オトナ」には傍点あり)と言う灯に対し、鹿乃子がズバリと「欠けてるんじゃないよ満ちる途中でしょ?/人生なんてさいごまでずっと」(「欠けてる」「満ちる途中」に傍点あり)と言う。それがタイトルの意味です。
 オトナになりきれない大人たち、というのは目新しくないモチーフです。また、こうした同居がラブ抜き、要するに異性愛排除の方向で進められるのも目新しくなく、この作品では鹿乃子はレズビアン女性で仁はゲイ男性(灯にパンだと言い灯が意味をわかっていない描写あり)とされています。ただ、ゲイ男子に比べてレズビアン女子は実際の人口比率の問題ももちろんあるかと思いますが作品のメインキャラクターとして登場する頻度はこれまでごく少なく、近年顕著に増大してきているので、そこが目新しくかつ現代的だと言えるでしょう。こんなに都合よく集まるかい、というつっこみはやめておくべきです。
 鹿乃子には彼女がいますが、彼女とは暮らしたくない模様。仁にも彼氏がいますが、今のところときどき泊まりに行っているだけでやはり同居は考えていない模様。生活時間帯もライフスタイルもけっこう違う3人が、それでも3人で暮らすのが一番楽で幸せで「マトモ」(仁のセリフ、傍点あり。仁くんはラブ的にちょっとヤンチャしていた時期がある設定っぽいのです)、というのは美しい。そしてそこにはもちろん猫の存在も大きくて…というお話で、実に良くできていると思いました。性別も性自認も性指向も違っても、人として気が合うなら楽しく暮らしていける…というドリームが、上手く描けていると思います。
 愛蔵するには私の好み的にはラブが足りないのでアレなのですが(笑)、続きも読んでいってみたいです。あと、適度なところでテレビドラマ化とかされるんだろうなーとかも思います。版元が売ろうとしている、とかではなくて、ドラマ制作側がこういう原作を探しているんだと思うので。オリジナルでやれ、と言ってやりたいですけどね。


●みかんばこ『モフモフでムコムコ』(白泉社LaLaコミックススペシャル)

これも白泉社系の漫画アプリ「マンガPark」で連載されているものをまとめて紙のコミックスにしたもので、著者初の紙コミックスとのこと。最近はこうした形でのデビューが増えましたね。
 お話はなんというか、『美女と野獣』の男女逆版、とでもいうのかな…なんちゃって明治か大正か昭和の、裕福な家の四男坊が主人公。兄三人は学者とか軍人とか公務員とか、まあ詳細はわかりませんが出来が良くてちゃんとしていて、主人公・藤二郎は一応小説家として細々と身を立てているのですが父親には「仕事と言えるほど稼いでいないだろう」と認めてもらえず、せめて家族を安心させるためにも、と母親の知人から来た跡取りのいない地主の婿養子に、という縁談を承諾します。ところがいざ行ってみると地主というより土地の主、山神さまの婿になるのだと言われ、「きっと美人で多分細身の/すてきなお方だろう」と「全部想像」で説明されて山奥に置き去りにされ、半ベソで屋敷らしき廃墟に向かうと、そこにいたのは…狐みたいな鼻筋の通った、きゅるんとした目をした、長くフサフサの二本の尻尾を持つ、モフモフした熊みたいな大きな獣で、「初めましてっ山神のツキミと申しますっ」としゃべり、ニコニコもてなしてくれて喜ばれて、「家族に見限られ/行く宛もなくなったはずの私は/神様に救われました」。
 で、なんかほよよんとしたのんきな青年と、モフモフでフカフカでルリルリしたヒロイン(?)とのラブラブした新婚生活が始まるわけですが…私は当初、『白鳥の湖』のオデットとかのように、ヒロインが人間の姿になるときもあったりするのかな…?と思っていたのですが、ツキミはずっとモフモフのフカフカの獣姿のままです。まあ神様なんだから人間なんぞの姿にならないのもあたりまえなのかもしれません。で、人間の藤二郎はこの熊のようなヒロインに抱きついてモフモフすることやギュッと抱きしめること、モフモフにくるまれるように共寝(?)することにあっという間に慣れて、ふたりはラブラブなのでいいっちゃいいんでしょうが…そ、そういうもの!?と思っててしまう私はやや古い人間なんですかね…
 そして、なんか「えっ、そっち!?」って方向にエロいんですよ。ツキミは山の獣たちの守り神として獣たちの世話を焼いたりなんだりしているのですが、子狸に今までのように体をよじのぼられて、それが胸を揉まれているみたいなのかなんなのか「そっそういうのは旦那様とだけって決まってるのっ/旦那様とだけしたいのぉっ」と真っ赤になりながらもだえ抗います(狸相手に…)。あと、風邪を引いて看病ってネタのときに「ネギをお尻に刺しましょう」ってのがかなりマジでプレイものだったり(「油で滑りやすくしますし」って…仮にも白泉社の少女漫画で…)、慰労の温泉だってネタのときにはツキミが恥ずかしがって藤二郎に手ぬぐいで目隠しします。「普段から服着てないのに」、ホントだよ! なのに藤二郎があちこち揉んでマッサージするとよがるんですよツキミが…! で、「ほらツキミさん/あと/どこを洗いましょうか」って仮にも白泉社の以下同文…!
 ケモ耳とか人外ジャンルが最近人気だとか聞いてはいるのですが、私のイメージは大海とむ『禁断の恋でいこう』とかでこれは多分正確には違うんだろうな…というか微妙に古いんだろうな。だから私はこのジャンルの、この作品の本質が実はよくわかっていないだけなのかもしれません。これこそがナウで新しくて萌えでツボなのかもしれない。でも…ゴールはどこなの?とつい思ってしまうのでした。
 『美女と野獣』の野獣は呪いで獣にされた王子さまだから、呪いが解けて王子に戻ったら人間女性のヒロインとハッピーエンド、です。『白鳥の湖』のオデットもしかり。でもツキミは最初から最後まで山神さまだから…今まで何人もの人間男性が生贄として婿に捧げられてきて、特に前の「旦那様」は短命だったから、ツキミとしては藤二郎になるべく長生きしてもらいたい、そして幸せに暮らしていきたい…ということだけが望みなのでしょうが、藤二郎側はそれでいいのか?というのが気になるし、これは少女漫画で読者の大半は女性だと思われるので、どこに共感や感情移入してどこに萌えて読んでるんだ? 物語がどうオチれば読者はハッピーになれるんだ??と私は疑問なのでした。ツキミがやがて人間女性に生まれ変わることを願うようになり…とかな展開なのかなあ? でもそれでラストにツキミが本当に人間女性になってみせたら、『美女と野獣』のラストで野獣の王子さま姿にちょっとガッカリして「野獣のままでもよかったのに…」と思ってしまった一部の(あるいは意外と多くの?)人々と同じように、あまりにもちょっとフツーでちょっとガッカリしたりするんじゃないかしらん…
 そもそも異種族間の禁断の恋、というモチーフにありがちな、あるべきせつなさが全然ない、しごくほややんとしたのんきなラブコメなだけに、今後どう展開するのかが読めない作品なのでした。


●ミユキ蜜蜂『野良猫と狼』(白泉社花とゆめコミックス)

 『○○男子と××女子』みたいな、○○と××のところにはキャラというか属性というか特徴というか、そういう単語が入って、それでだいたいの設定なり世界観がわかる、というタイトルの付け方をした作品の一群が最近散見されますよね。これもそのパターンで、ロックバンドのギタリストで狼という名の爆モテ青年と、田舎から出てきた都会擦れしていなくて神経質でちょっと天然な野良猫っぽい気性のJKがひょんなことから同居することになって…というお話です。連載しているのは「ザ花とゆめ」で、連載中の別の作品もあるようだから、それは本誌でやっているのかな? 増刊掲載だから攻めているとか尖っているというようなコードやノリの違いは特には感じられないので、単に連載ペースの問題なのかもしれません。なんならなんの目新しさもない。これまでさんざん量産されてきたこのジャンルの、同工異曲の一作だなと思いました。
 残念なのが画力の足りなさで、ヒロインは学校では自分は浮いていてだから友達がいないのだと考えているのですが、実はその美貌と孤高さから周りが「姫」と呼んで敬して遠ざけているのだ…という設定なんですが、その美貌を絵で全然表現できていないんですね。そしておそらく相手役男子の方も、もっととんがった美貌と才能と狂気をかいま見えるようなキャラに描いているつもりなんだろうな、と思うんだけれどもやっぱり画力が追いついていないよな…と思うのでした。バンドのメンバーにも設定がいろいろありそうで、そちらはこれからいろいろ展開していくんでしょうけれどね…
 狼のGF・世莉の存在はちょっとおもしろくて、元カノではなくセフレ、なんなら未遂と逃げて環と友達になっていくような流れなんでしょうが、でもその「逃げ」がなんだかなあ、と個人的には思うしなあ…つまり、ヒロインの多くは未経験者に設定され、相手役男子の多くは経験者に設定されると思うのですが、その場合、本当はそれはそのふたりが巡り会ったのがそのときだったというタイミングだけの問題にしかすぎないのですが、でもその経験の差がなんかちょっと不公平じゃない?みたいな問題が噴出するときがあると思うんですよね私はね。そこをどう解決し乗り越えていくかってひとつのドラマだと思うんですけれど、というか乗り越えることなんて出来ないしタラレバ言ってても仕方ないんだからその後ずっとつきあっていく限り背負ってかなきゃいけない問題なんですが、そういう展開をこの版元のこの手の少女漫画がやってくれるとは私には思えないのでした…残念。
 あと、今こういう作品を読むと、少女が顧客の商売で、少女を搾取することを肯定する商品を提供しちゃいかんのだけどなあ…という思いがします。いや思春期の少女はほぼ誰しも、実際に家庭で虐待も何も受けていなくても、家を出たい家族がうっとうしい別の誰か自分を真に愛し守ってくれる人と暮らしたい、みたいなことを夢想するものです。そしてそれに応えるものとして、少女漫画はこういうタイプの物語しか提示できていない。でも本当は、帰る家がなくて夜中に街をふらついているような子供を見かけたら大人は、その子供の男女もその大人の男女も関係なく、しかるべきところに連絡して庇護してもらうべきなのであって、間違っても自宅に連れ帰ったりしてはいけないのです。ましてキスもセックスもダメ絶対。優しかろうと親切だろうと誠意があろうと相思相愛で合意があろうとダメなんです。いや私だってかつては、私は体の成長が早いませた生意気な子供だったので、「もう大人と同じことはたいがい出来る、なんでまだ子供扱いされなきゃいけないの?」と思っていた小学四年生でしたよその感覚は未だ忘れていませんよ、でもダメなんです。子供は子供だから自分自身の身体にも責任が持てなくて、保護者が庇護しなければならないものなのです。のちの子供自身のためにもね。きちんとした処置を執り、なんなら保護者を介して交際し、子供の成人を待てる大人でなければ恋愛その他なんらかの関係を結ぶに値しない人間なのです。そういう教育を男女ともに子供にしていかなければならないのです。だから間違ったドリーム、嘘の救い、安易な物語を与えてはいけないはずなのです、本当は。でも、描いてしまう、掲載してしまう、刊行してしまう。他にいいドリームが描けないからなんです。
 この問題は、根深いです。「りぼん」の付録に婚姻届がつくこととはまた別の問題が、ここにはあります。


●酒井まゆ『ハロー、イノセント』(集英社りぼんマスコットコミックス)

 私が小学校に上がるか上がらないかくらいの時期に読み始めた当時の「りぼん」にも一条ゆかり『砂の城』が堂々と連載されていたので、読者ターゲットを小学四年生にきっちり絞って少女漫画誌というよりは女児向けホビー誌としてきっちり舵を取って今やそのジャンルでひとり勝ちした「ちゃお」とはそもそもの編集方針が違うのだろう、とは推察されるのですが、それでも最近の「りぼん」はだいぶ想定読者年齢を上に設定しているようです。この作品も、絵柄は明らかに「りぼん」なんだけれど、男の子主人公なこともあって「別マ」か「Betsucomi」に掲載されていてもなんらおかしくない気がしました。子供にはやはり、自分から遠く離れた主人公に自分を仮託して物語を読むことは難しいと思うからです。あ、妖精とか魔法使いとか宇宙人は別ね、それは女児たちの自己イメージにあるものだから。でも男の子主人公の視点から男女の恋愛の物語を眺める、というのはけっこう高度なことで、もう少し年齢がいかないと無理だろうと思うのでした。
 この作品は、文武両道でイケメンで新入生代表の、でもなんかちょっと天然な男子・雪灯が、不登校のヤンキー美少女・結以とひょんなことから出会って…というようなお話です。こういう作品を今読むと、だいもんコンのパロディ場面じゃないけれど、「貧乏」「貧困」って今のこれくらいの年齢の読者にどれくらいのリアリティを持ってししまうのか、はたまたまだまだエンタメとしてのドリーム設定にすぎないのだろうか、とか考えざるをえません。
 私自身は、中卒で共働きの両親が作った核家族に育ち、ひもじい思いをしたことこそなけれ、ピアノやバレエを習っていておうちには革張りの応接セットがあって百科事典を並べているようなクラスメイトはお金持ちでうちとは違う、という意識が明確にあった子供でした。16年間の学校教育をすべて国公立でまかなったのは、私の矜持でもありますが家庭の経済的事情によるところも大きいです。でも、実は私にとっての「貧しさ」ってその程度で、その後新卒で就職できて未だ転職も倒産もせずおそらく定年まで勤められそうなザッツ・昭和の終身雇用世界を生きていられて、親も弟も健康で元気に働き(両親が楽隠居せずシルバー派遣とかパートとかをしているのはほとんど趣味だと思われる)持ち家に暮らし借金はなく多少の蓄えはある暮らしができている、のです。けれど今増えていると聞く、親の収入が400万円だとか200万円だとか言われているように家庭に育つ少女たちは、もしかしてそもそも漫画なんて読めていないのでしょうか…
 物語には欠損家庭(という言い方もたいがいだとは思っていますが、ここではわかりやすさのためにあえてそう表現します)とか貧しい境遇の主人公、というものはずっと長く描かれ続けてきました。雪灯も両親はなく、病気がちの祖母と幼い妹を抱えていて、だからこそ特待生になるべく優等生にならざるをえなかったのだ、とされています。そして結以の方は、裕福だけれど家庭を顧みない父親を嫌って家出していて、知人の情けにすがり身売りギリギリの荒んだ暮らしをしている設定です。雪灯の父親は遺影らしきものが描かれますが母親はそうではないので、死別しているのではなく離婚したのかもしれません。今後登場することもあるのかもしれない。結以も父親からの過干渉を逃れるために登校するようになりますが、では母親はどういうスタンスなのか?など、ふたりの家族の動きは今後ひとつのモチーフとなっていくことでしょう。
 こうした家族の「貧しさ」、経済的事情は物語の装置として、設定として、ふたつの純粋な魂が惹き合い寄り添っていくためのひとつのきっかけとしてとても有効ですが、そういう「物語のためのもの」として楽しめている読者が、現在を生きるローティーンから20代くらいの少女たちの中にどれくらいの割合でいるのだろう…と、ふと、心寒く思えるくらいに、日々のニュースは暗く経済は傾きまくっているなと思う昨今です。この作品が、「貧乏ナメてんじゃねえ」みたいなキレで読者から忌避されるような世の中でないことを祈っていますし、ありがたくもそんなに貧しくない大人として世のためにわずかでもできることをしたいと思っています。
 作品自体は一巻ラストまでではまだまだとっぱしで、今後どう転ぶ作品なのかはほとんど見えていないと言っていいと思います。タイトルにある「イノセント」という言葉は英語としては実はそんなにいいイメージばかりのものではない、つまり「純粋」とか「無垢」とかよりむしろ「ピュアすぎて愚鈍な」みたいな意味の言葉である、という認識が、なんの漫画で読んだかは忘れましたがとにかく漫画から覚えた知識として私にはあるので、不安と言えば不安ではあります。でもまあこれで『ピュア恋』(と書いて「ピュアラブ」と読ませる)みたいなタイトルをつけさせないのが「りぼん」なんだろうな、という謎の信頼もあるので、しばらくは見守りたいと思っています。それに私はメガネくんと同じくらい優等生キャラに弱いので、雪灯にけっこう萌えモエなのです。
 ちなみに作者はデビュー20年のまあまあベテラン(少女漫画界では意外に珍しくないと思うんですよね…)さんのようですが、欄外コメントなんかの正直さになかなか好感が持てました。
 ただ惜しいのは、主人公ふたりは超絶美形という設定なんだけれど、遙夏も十分可愛く描けてしまっていて、というか可愛くしか描けていないという、この設定を生かせるだけの画力が作者にないことです。まあこういう少女漫画の絵柄は老若男女美醜を描き分けることを不得手にしているので、仕方ないんですけれどね。そして遙夏というキャラクターがきちんと描けていることはこの作品においてとても大事なポイントだと思うので、うまく進めてほしいなと思っています。幸せにしてあげてね…!(ToT)


 長々書いてきましたが、推敲したりなんたりしている間にさらにまた別の出会いもありました。それはまた改めて。









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