駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

十二月大歌舞伎第三部『猩々/天守物語』

2023年12月26日 | 観劇記/タイトルさ行
 歌舞伎座、2023年12月25日17時45分。

『猩々』の猩々は松緑と勘九郎、酒売りは種之助。私は舞踊はさっぱりわかりませんが、格調高い千鳥足もあるものよ、と感動しました(笑)。酔っぱらいたるもの、かくありたい。猩々とは中国に伝わる、水中に棲むお酒好きの無邪気な霊獣なんだそうですね。あふれる愛嬌と品格、だそうな…クリスマスに観る松羽目物もめでたげで、楽しかったです。
『天守物語』は大空さんで観て以降、何度か観ていて、今回けっこう台詞を覚えている自分に驚きました。原作/泉鏡花、演出/坂東玉三郎で、長く玉さまが富姫をやってきたところを、今回は七之助に任せて自分は亀姫というのが趣向の舞台ですよね。で、これがもうホント可愛かった! キャイキャイしていて若くて可愛くていじらしくて、どーいう声なのあれは!? 三階席から観ても目がつぶれるかと思うほどのふたりのまばゆさ、艶やかさ、可愛らしさに痺れました…! ツーショ舞台写真、買いましたとも、ええ。しかし台所のことでなく「まあ、お勝手…!」と言ってスネてみたい人生でしたよ…
 図書之助は虎之介、彼も声が良くてよかったです! もしかしたらちょっと歌舞伎っぽくないのかもしれないけれど、すごくヒーロー声で、そら富姫さまも「帰したくない…」ってなりますわな!と思いました。
 薄は吉弥、舌長姥が勘九郎、朱の盤坊が獅堂。そしてこれまた声が良くて私が大好きな片岡亀蔵が小田原修理でしたウハウハ。
 七さまもホントしっとりお美しくて、堪能させていただきました。


 今年はこれが観劇納めでした。
 確か観劇始めも歌舞伎座で、今年は私にとって歌舞伎開眼の年だったのかなあ、などとも思います。今年一番素で泣いた舞台は『新・三国志』だったかな、とも思うので…
 ナウシカ歌舞伎以降、新作歌舞伎やスーパー歌舞伎を中心にゆるゆる観てきて、顔や声を覚えた役者も少しは出てきて楽しくなってきました。
 もちろん猿之助さんの事件は残念でしたし、宝塚歌劇の事件同様に命は取り返しがつかないのだけれど、反省し改善して復帰してくれるというのなら、やはり才能がある人なのは間違いがないので、見守りたい応援していきたい、と思うのでした。
 来年も乱歩歌舞伎と『ヤマトタケル』はすでにチケットを押さえ済み。ただ、BS放送を録画して観た『ヤマトタケル』が脚本としてはおもしろく思えなかったことが気がかりですが…改良されていることに期待!
 今年の観劇回数は183回、数え始めた2010年以降最多だった去年を11回上回ってしまいました。来年こそ…身長以下に抑えたい…お金がいくらあっても足りないよ…節制するのよ自分!と言い聞かせてはいます。います…が…さてどうなりますことやら。
 もう一本、今年の総括記事を書くかもしれませんが、書かなかったら年明けは雪組そして星組観劇からです。来年もどうぞご贔屓に…!








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『ジョン&ジェン』

2023年12月20日 | 観劇記/タイトルさ行
 よみうり大手町ホール、2023年12月19日18時。

 1985年、6歳の少女ジェン(この日は新妻聖子)の家に、ジョン(この日は森崎ウィン)が生まれる。弟を温かく歓迎するジェンは、暴力を振るう父親から守り抜くことを誓う。ふたりは支え合いながら成長し…
 音楽/アンドリュー・リッパ、歌詞/トム・グリーンウォルド、脚本/アンドリュー・リッパ、トム・グリーンウォルド、演出・翻訳・訳詞・ムーブメント/市川洋二郎。1995年オフ・ブロードウェイ初演、全2幕。

 男女ふたりの俳優によるミュージカルで、キャストは他に田代万里生と濱田めぐみ。組み合わせとして4パターンあるわけですが、なんとなくこの回を選んでみました。それぞれ違った味わいがあるのかもしれません。
 が、私はちょっと退屈したかな…楽曲は複雑でしたが歌唱は素晴らしく、歌詞が聞き取れないとかもないのですが、純然たる芝居パートはほぼないので、プログラムのあらすじにあるようなドラマが私には立ち上がって見えませんでした。そういうようなことを描きたいのかなー、とは感じられはしたのですが…
 1幕は姉ジェンと弟ジョンだったふたりが、2幕では母親ジェンと息子ジョンになる、というのがミソの舞台です。ジョンはイラク戦争で戦死し(この従軍やらマッチョ化やらが父親の影響だった、とあらすじにありましたが私にはわかりませんでした…)、ジェンはそのまま恋人と結婚して息子を産み、弟にちなんだ名をつけるわけです。1幕で姉の試合に弟が応援に行きたがったときに、ジェンはジョンに自分の弟だと周りに知られないように、と釘を刺します。それが2幕になって、息子の試合に母親が応援に行きたがったとき、ジョンがジェンに自分の母だと周りに知られないようにと言う…みたいな仕掛けが何回かあり、その趣向はおもしろいとは感じました。でも、考えオチ、企画倒れみたいな気がしちゃったんですよね…
 ふたりのジョンは別人なので、全体としてはこれはジェンの物語なんだと思いますが、私は弟はいても息子を持っていないからわからないだけかもしれませんが、ジェンに共感とか感情移入できないというよりはなんかあたりまえのことをやっているだけのように見えて、おもしろく感じられなかったのです。
 父親がDV男で、おそらく早いうちに母親が家を出て、姉弟ふたり支え合って生き延びて、大学で家を出たときは羽根が伸ばせたけれど、家に戻ってすっかり背が伸びた弟に再会したら強い愛情が戻って、でも弟は戦死してしまい、自分は結婚してカナダに移る。息子を産み、その父親とは別れ、やや過干渉な母親になり、だけど息子は弟とは全然違う人間になっていき、進学で家を出、ふたりは離れる。…あたりまえでは…? それでも家族だよ、とかはもちろんあるんだけれど…だから何?というか、何故そこまで、というのが、描かれていたのかもしれませんが私には読み取れなかったのでした。
 6歳から18歳までを二度演じる森崎ウィンと、6歳から44歳までを演じる新妻聖子は、そら達者でした。舞台中央に設えられたほぼ正方形のステージに上がって歌うとき以外は、その両脇のスペースで着替えだけして、基本的にずっと観客に見える舞台上にいる、大変でしょうが鮮やかな演じっぷりで、素晴らしかったです。これは残るふたりもそうでしょう。なので芝居が、ドラマが立ってこないのはあくまで脚本、演出のせいなのではないかと思うのですが…アメリカ政治の変遷なんかまで読み取って絶賛している感想ツイートも見たので、私の感じ方の問題かもしれません、すみません。
 小ぶりなB5判でまあちゃんとした厚みはあるもののごく普通の内容、装丁のプログラムが2500円もして萎えたのが悪影響だったのかもしれません…小さい人間ですんません……







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『尺には尺を』『終わりよければすべてよし』

2023年11月14日 | 観劇記/タイトルさ行
 新国立劇場中劇場、2023年11月3日18時(『尺には~』)、9日18時半(『終わり~』)。

 ウィーンの公爵ヴィンセンシオ(木下浩之)は後事を代理アンジェロ(岡本健一)に託して突然旅に出る。だが実はアンジェロの統治を密かに見届けるという目的があった。ウィーンではこのところ風紀の乱れが激しく、謹厳実直なアンジェロが法律に則りどう処理するのか見定めようというのだ。法律の中には婚前交渉を禁ずる姦淫罪があり、19年間一度も使われていなかったが、アンジェロはさっそくその法律を行使し婚姻前にジュリエット(永田江里)と関係を持ったクローディオ(浦井健治)に死刑の判決を下す。だがクローディオはジュリエットと正式な夫婦約束をしていて、情状酌量の余地はあったのだ。それを知ったクローディオの妹イザベラ(ソニン)は、助命嘆願のためにアンジェロを訪ねて…(『尺には~』)
 ルシヨン伯爵夫人(那須佐代子)のひとり息子バートラム(浦井健治)はフランス王(岡本健一)に召し出され、パリへ向かう。王は不治の病に蝕まれ、命は長くないといわれていた。伯爵夫人のもとには侍女として育てられた娘ヘレナ(中嶋朋子)がいて、その父は先ごろ他界した高名な医師だった。彼はヘレナに、万病に効く薬の処方箋を残していた。ヘレナは身分違いのバートラムのことを密かに慕い、妻になりたいと願っていたが、その想いを知った伯爵夫人はヘレナにバートラムを追ってパリへ向かうことを許し…(『終わり~』)
 作/ウィリアム・シェイクスピア、翻訳/小田島雄志、演出/鵜山仁。2009年から歴史劇シリーズを上演してきたカンパニーによるダークコメディ交互上演。いずれも全二幕。

 私は歴史劇シリーズの方は全然観られていないのですが、メイン4人はいずれも好きな俳優さんなので、チケットを取ってみました。
『尺には~』の方がおもしろく、『終わり~』はやや退屈したので、逆の順で観た方がよかったかな、イヤこの順の方が耐えやすかったかな…などと考えていたのですが、『終わり~』のラストに、話がオチたところで突然フランス王が王冠を下ろして中の人の顔になり、役者として観客の拍手を請う、みたいな挨拶のくだりがあり、ならこの順で観てこれで締められてよかったのかな、などと思いました。これはもともとの脚本にある台詞なのでしょうか、それとも2回公演の夜の回ではどっちの演目でも必ずやってる、とかなのかなあ? ともあれいかにもシェイクスピア、ですよね。
 どちらもソニンがよかったなあ。中嶋朋子もよかったけど、やっている役がどちらも「待て待て待てそんな男はやめておけ」一択だったので、ちょっと共感しづらかった…というのはあります。
 男優ふたりはいずれもあまりチャーミングな役とは言い難かった気がします。特にバートラムは観ていてしんどかった…アンジェロも後半はただのセクハラパワハラ親父になっちゃゃうんだけれど、彼にはまだ自省とか迷いとかがある描写があったので。
 ただこれもそもそも公爵の人の悪さが問題なんじゃんと思うので、彼が最後にイザベラの腕を取って結婚式へ向かうところで話は終わるんだけれど、ぜひイザベラにはただ困惑したまま引きずられていくんじゃなくて、オチのあとでいいのでその腕を振り払ってビンタのひとつもかまして修道院に戻ってほしい、と思いました。彼女がそもそも何故見習い修道女だったのかは語られていないし、こういう信仰とか教会のこととかは私はなんにも知らないんだけれど、要するに当人の生きたいように生きさせてくれよ、という言いたいということです。
 この時代には、女性にとっては結婚することはまさしく死活問題だったのでしょう。婚姻前に不名誉な噂でも立とうものならたちまち社会的に抹殺されるし、下手したら厳格な父親に殺されかねないわけで、まさしく生殺与奪の権限を他者に握られていたわけです。だから処女性にこだわらざるをえないし、ひとたび婚約が整えば必ず式を上げ、床入りもし、なんなら子種を得るところまでやってもらわないと、その後を生きて暮らしていけないわけです。だからこんなに必死になるのです。ほとんど好きでもない男を、たいがいはろくでもない男を…
 だから「そんな男はやめておけ」とは言えないのです、彼女たちには他に活路がないので。これはそういう時代の物語であって、そういうものだから、として観ないと整合性も共感も感情移入も何もない作品世界なわけで、なので観ていてイライラする私はシェイクスピアを観る資格がないのである、もう『ロミジュリ』だろうが『リア王』だろうが『マクベス』だろうが『ハムレット』だろうが、私は金輪際観るのはやめよう、と思うに至りました。現代視点で換骨奪胎するのはほぼ無理な世界だと思われますし、シェイクスピア作品の良さはおそらくそういうところにあるわけではないんでしょうからね。浅学な私めはさっぱりわかりませんが…というか原語で観て古英語の韻律を楽しめるような素養がないと、無理なんじゃないの? 知らんけど。観たかったけどチケットが取れなかったゆりちゃんのマクベス夫人も、評判は全然聞こえてこないし、きっと私が観てもあまりおもしろく思えなかったんじゃないかしらん…と、悔し紛れ半分に思います。
 この二作が喜劇でも悲劇でもない問題作、などと分類される、というのはわかる気がしました。まあでも、同じ役者が似ている、あるいは全然違った役を…というおもしろみは、あまり感じられなかった気がしました。というのも今の演劇界はミュージカル含めて、客が呼べるとされる役者はもう決まっていてどの舞台もそのメンツ内での組み合わせで編成されているにすぎない気がするので(私の観劇の方向性がそうだというだけかもしれませんが)、そんなのいつものことじゃんって気がするから、というのがあるからかもしれません。まして私は最近歌舞伎づいてきたこともあり、アレこそ似たメンツでいつも何かをグルグル上演しているので、あえてのダブルビルとか別に意味なく感じられてしまうんですよね…
 やっている方がただ大変なだけだった、とかでないといいのですが…
 ともあれ、いわゆる「ベッド・トリック」なんてリアリティの点でも人権としても問題外、と考えるし、そもそもロマンティック・ラブ・イデオロギーに染まっている私には、この作品世界は向かないものなんだ、と学べたので、それでよかったということにします。







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宝塚歌劇雪組『双曲線上のカルテ』

2023年09月16日 | 観劇記/タイトルさ行
 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ、2023年8月28日15時(初日)。
 日本青年館ホール、9月13日15時。

 イタリアのナポリにある個人病院、マルチーノ・メディカル・ホスピタルに勤務するフェルナンド・デ・ロッシ(和希そら)は、外科医として優れた腕を持ち、かつては大学病院で将来を嘱望されていた。その彼が約束されたエリート・コースを捨て、何故民間の病院で生きる道を選んだのか、その経緯は謎に包まれていた。今も第一線で活躍し、患者からの信頼も篤いフェルナンドだが、夜勤中の飲酒行為や女性との火遊びを繰り返す姿が問題視されていた。特に、医師としての理想に燃えるランベルト・ヴァレンティーノ(縣千。序盤の代役は眞ノ宮るい)は彼に反発し、何かにつけて衝突していた。一方、院長の愛娘で秘書を務めるクラリーチェ・マルチーノ(野々花ひまり)は、フェルナンドの良き理解者として批判的な同僚たちから彼を守っていた。新人看護婦のモニカ・アッカルド(華純沙那)もまた、数少ないフェルナンドの理解者のひとりだったが…
 原作/渡辺淳一、監修・脚本/石田昌也、潤色・演出/樫畑亜依子、作曲・編曲/手島恭子、中尾太郎。渡辺淳一の医療小説『無影燈』をイタリアに舞台を移してミュージカル化し、2012年に雪組で早霧せいな主演で上演された作品の再演。全二幕。

 初演の感想はこちら
 当時も全然、まったく、評価しない作品でした。むしろ怒り狂った記憶があります。なので再演の報にも「は? なんで? たとえばどうしてもそらでチギちゃん作品の再演を、ということなら『ニジンスキー』とかの方が良くない? すわっちとかディアギレフができそうじゃない?」とかまで考えたのですが…なのでそらファンの親友と、初日に観てわあわあ腐そう、と意気込んで出かけたのでした(嫌な客…)。
 …ら、なんか…よかったんですよね…ちゃんとしてたんですよ…どういうことなの、カッシーマジックなの…?
「イシダは『死んだ』と思って自由にアレンジして下さいとお願いしました」と言うダーイシが潔かったのかもしれないし、当時の悪評ないし再演発表時の「は? アレを?? なんで???」の大合唱がさすがに届いてのことなのかもしれませんが、イヤしかしこの態度は立派です。某植Gにも是非『ベルばら』に関してこの姿勢を見せていただきたいものですが…ホント頼むよ……
 それはともかく、それを受けてカッシーが本当に絶妙な微調整、ブラッシュアップをしてきたんだと思います。探せばスカステの録画ディスクがうちのどこかから出てくるとは思うのですが、わざわざ初演を見直したりはしないので、どこにどう相違が、というのは検証できていないのですが、一幕はほぼママだったと聞きますね。二幕はチャリティー場面始め、かなり改変されているそうです。
 私が覚えているのは、モニカとクラリーチェのキャットファイトめいた場面が不快だったことと(何故男は女にこういう喧嘩をさせたがるのか…)、そのクラリーチェの病気が判明し移植できる骨髄を探そうってところにアントーニオ(咲城けい)の存在が発覚して、院長(夏美よう)がちょうどよかった、みたいな反応を見せて話が進んだところだったんですよね。父親として医者として人として、ホントどうなんだ、こういうキャラクターを描いて平気な作家って人としてホントどうなんだ、と絶望的な思いがしたことを覚えています。このあたりは、微妙に順番を変えたり会話の言い回しを変えたりして、いたってナチュラルかつちゃんとしたものに改変されている気がしました。イメージだけで語っていてすみません。でもクラリーチェがモニカに喧嘩売っちゃうのも共感できる流れでしたし、それに対してモニカが毅然と対応していたこと、あとでフェルナンドとその話になったときもきちんと対応していたことにすごく好感が持てました。そしてマルチーノ家の家庭争議に関しては、これもロザンナ(五峰亜季。『カルト・ワイン』のときはだいぶ痛々しかった脚が全快していて、安心しましたよ…)の好演もあって、すごくまっとうな対応、展開になっていたと思いました。
 もちろん、アニータ(希良々うみ)、ちゃんと養育費はもらいなさい、当然の権利だよ、お金は大事だよ、とかのつっこみはある。というかカッシーマジックをもってしても話のおおもとは変えられないのであって、たとえばモニカみたいなヒロイン像の在り方とかフェルナンドの生き様、というか死に様はどうなんだ、というつっこみはもうつっこんでも不毛で、変更するならそもそももうお話ごと全取っ替えした方がいいようなものなのでした。なのでどんなにそらが素敵でも、かすみちゃんが大健闘していても、作品自体がモヤるしクソだし嫌いだ、という意見が多いのもうなずけます。まあ渡辺淳一の昭和ロマンだからさ、それをイタリアに移しても作ったのはダーイシだしさ、そりゃそこからの挽回は無理ですよ…
 でも、私は、宝塚歌劇でやっている分、ギリギリ成立しているかなー、と思いました。リアル男優のフェルナンド、リアル女優のモニカは受け付けなかったろうけれど、この作品はつっこみはつっこみとして、それとは別にうっかり感動したしじんわり泣いちゃったりなんたりしちゃったな…というのが本音なのでした。

 とはいえ本当に男のドリーム満載の作品ではあり、ホント「ケッ」の連続ではあります。フェルナンド、自身の病気を知ってそりゃショックだろうし、けれど研究に使って未来の医療に生かそうという志は高潔で素晴らしいですよ。でもそう決めても心が乱れるときもある…というのも、わからないでもない。だから酒や煙草には逃げてもいい。だが他人を利用するな、玄人だろうが何をしてもいいわけではない。カタリーナ(莉奈くるみ)もそこまで本気ではなかったかもしれない、でも気にかけ心配してはいたでしょう。人の心をいたずらにかき乱す権利はたとえ末期癌患者だろうとない。そこは作家はわかっているべきです。
 末期癌患者にも恋をする権利はあります。でも恋とはそもそも権利とかなんとかよりただ落ちてしまうものなのであり、本人にも、誰にも止められるものではありません。だからフェルナンドがモニカに惹かれたと思うなら、それは真実の恋なのでしょう。
 でも、黙っていることはできる。想いを告白したり、抱きしめたりせず、つきあいを進めないこともできるはずです。大人なんだし、自分が遠からず死ぬとわかっているならなおさら、相手のことを考えてそこで踏み留まることもできたはずなんです。ましてセックスしないことは選べたはずです、本能だなんて言わせません。チェーザレ(桜路薫)が死ぬのが怖くて看護婦にしがみついちゃうのはとわけが違います。避妊もできたはずだし、けれど百%の避妊手段はないんだから(セックスするためにパイプカットをする、とまで言うのならむしろ推奨しますが)セックスしないに限るんです。もちろんモニカの同意はあったのかもしれない。彼女は彼との未来を夢見ていて、結婚も子供を持つことも望んでいて、順番なんか多少どうでもいいや、と避妊なしのセックスを受け入れたのかもしれない。その上での、納得の、希望した妊娠なのかもしれない。でも、フェルナンドが早晩死ぬことは知らされていなかったわけで、未婚の母になり父なし子をひとりで育てる覚悟まではできていなかったはずなのです。フェルナンドが死んでもモニカの人生は続き、普通に考えてそのあとの方がずっと長い。それを、自分の子供を育てさせることで縛る権利はフェルナンドにはない、それだけは断言できます。
 この大人げなさ、男のエゴを、男の可愛さなどといって許すようなことはできません。もうできない。これまでさんざん許し譲歩してきちゃったからこそ、今、世界はこんななんです。特に本邦。男の悪いところが全部出て、滅びかけているわけじゃないですか。その道連れにされるのはごめんです。ダメなことはダメと言っていかなければなりません。フェルナンドの弱さもわかるよ、愛しいよ、でもダメです。
 あと、自殺もどうかと思うけれど、自殺するにしてもせめて遺体は残して献体しろよ、とも思いました。てか真の死に際まで記録させてこその研究だろう。さんざん研究云々言っておいて、最後だけナニ綺麗にバッくれちゃってんの?と思います。こういう男のロマンチシズムも、令和の世には撲滅していきたいですね。そらの、湖の水底でらしきダンスが素晴らしい、というのとはこれは別問題です。そらの色気と上手さにホントやられそうになり、見ている間はつい許しちゃうわけですが、しかしダメなものはダメなのです。ホント、リアル男優にやられたら途中で席を立つレベルでしょう。
 モニカも、このキャラクターをカマトトにも白痴にも見せずに可憐に演じきってみせたかすみちゃんの娘役としての技量は素晴らしかったですが、そもそもこのキャラクターがどうなんだ、という問題がありまくりなワケです。飛行機にも乗ったことがない、おそらく田舎育ちの、若く純粋な、明るく優しい、ひまわりのような少女…幻想です。というかいないことはないんだろうけれど、そうした存在は男に都合良くつきあってなどくれません。男たちとは関係ない領域にひっそり生息している存在なのです。みだりに触るな。
 こういう女性に母親や聖母や神を見てすがる…気持ちはわからなくはありません、だがやるな。仕方ないもの、むしろ美しいものとして描くな。そこをこそ戦え。そこに人間の尊厳はある。死に際なら何をやってもいい、ということなどないのです。かすみちゃんは可愛い、我々だって抱きつきたい、しかしそれとこれとは別問題なのです。もともと歌抜擢だった印象の新進娘役さんですが、新公ヒロイン経験も経て、芝居も立派に務めていました。コスプレ感ある、設定いつなんだ?とアタマかきむしりたくなるナース服も可愛かったからいいですが…これまたリアル女優にやられたら「すぐやめろー!」と席から立ち上がって叫ぶレベルだと思いました(観劇マナーとは)。

 …というように、根本的に解決困難な問題がある作品ではあるものの、役者がみんな大健闘していて、セットがお洒落で(装置/稲生英介)、歌はやや昭和チックなメロディが突然始まる感じがあり、ダンスも二幕冒頭とかお洒落なものもありつつ手術室ダンスとかちょっとおもしろすぎで、二幕は細切れの暗転も多くてもう一歩工夫が欲しいところではあると思うものの、五年後の場面の清々しさや、ラストシーンのほぼ卑怯なんだけれど美しい演出に、うっかり泣かされ満足させられてしまうものに仕上がっているな、と私は感じました。カッシーマジックというより、宝塚歌劇マジック、といったものなんでしょうね。女性がやっている男役がやっているフェルナンド先生だから、ギリギリ受け入れられる。彼女が他者を妊娠させその後半生を縛ってしまうことは決してない、という担保があるからです。女性でも女優でもない娘役というフェアリーがやるモニカだから、すべて受け入れて微笑んでくれるんだ、と思えるのです。欺瞞かもしれない、けれど宝塚歌劇でしか描けないこうしたある種の愛の形、というものもあるんだと思います。だが「※個人の感想です。」と常に付け加えるように、これは現実ではなく観客の真の理想のロマンスでもなく、「※宝塚歌劇においてのみ成立する世界観です。」という注意書きが必要だな、と感じました。
 ところで本編のラストシーン、私が『1789』の本編ラストにやってもらいたかったのはこれなんですよね。かりんちゃんはどこかのインタビューか何かで、ここはすでに全員死んだあとの死後の世界の場面なのだ、と語っていたそうですが、フツーの解釈では白いお衣装でセリ上がってきたこっちゃんロナンだけが蘇った死者の魂で他は全員まだ生者、ただしこんなふうに一堂に会するわけはないからイマジナリー集合…という場面だと思うのです。だからそこで最後にロナンがひっとんオランプをバックハグしてしまうのは違う、と私は思う。ロナンからはオランプが見えていて、オランプもロナンの存在を感じているかもしれない、けれどふたりは存在する次元が違うんだから、ふたりの視線が合い手が触れ合うことはないはずなのです。湖畔のモニカとフリオ(清羽美伶。これがまた必ず男児なんですよ、せめてこれが女児なら…でもそういう発想が男性作家には本当にないのでしょう)はフェルナンドの存在を感じ、なんなら超自然的な力(笑)で転びかけた体勢を支えてもらったりします。でも、見えない、触れない。伸ばした手はすれ違う。でも、感じる、愛してる。涙、笑顔、幕…これが正しい。相手が死んでも愛は残る(こともある)、しかし肉体はもうないのだから物理で触れ合うことは二度とない…そういうものでしょう。政府が科学を軽視しても、創作は科学を軽視してはいけません。

 というわけで、俺たちのソラカズキは素敵でした。確かに男役としてはやや小さいんだけれど、スタイルは良くて脚も長いのでスマートで美しい。そして声もいい、歌も芝居もダンスも上手い。メガネ姿も事後姿(笑)も注射打つ様も見せてくれる、素晴らしいですね。『夢千鳥』『心中~』とクズ男の役で作品はいい、という、なかなかの作品運を持ったスターなのかもしれません。フィナーレもホントかっけー!のひとことでした。ちゃんとリフトもあって、小さくても男役さんなんだなあ、と感動しましたよ…本公演でのますますのご活躍を期待しています。
 かすみちゃんも初・別箱ヒロイン、かつ東上とめでたいがデカいところをしっかり務めていて、とても好感を持ちました。なんかもっと顔がデカい印象だったんだけど(すみません)、鬘が似合っているのか可愛くてそらともお似合いで、よかったです。初めてだろうデュエットダンスもとってもよかった! 青年館で私が観たとき、床に座り込む振りでそのまま片脚がつるりと滑って体勢を崩しかけたときがありましたが、ちょうどそらが手を伸ばす振りでさっと引き上げていて、お互い満面の笑顔で、もうきゅんきゅんしました。雪娘の二番手格争いもはばまいちゃん一辺倒じゃないところがいいし、厳しくもありますよねー…がんばれー!
 そしてまさかの、アタマ数日が代役上演となったランベルト先生ですが…あがちんももちろんよかったし素敵だったけれど、はいちゃんの上手さが際立っちゃったかなー、と個人的には感じました。てか本役だとはいちゃんはほぼモブの看護師じゃん(オペダンサー〈…ってナニ?〉Aはあるけど)、もったいないよ…初日のソロこそ震えていたように見えましたが、芝居はしっかりしていて役作りがくっきり見えたし、そらとの相性が、ちょっとタイプが似すぎているかな?とも思ったんですが、むしろ芝居が揃っていてすごくよかったのです。あと、フィナーレのセンターで踊るパートもめっちゃよかった! やっぱやらせればできるんですよ、ホント『CH』新公主演ははいちゃんがよかった、とは私は一生言っていきたいと思います。
 あがちんも、クールとまでは言わないけれど真面目でお堅くちょっと朴念仁なランベルトをすごく上手くやっているなと思いましたが、やはりニンって出ちゃうものなので、ちょっとだけうるさいかな、と感じたんですよね…初演ともみんなんで正しいとも言えるランベルト像でしたけど。でもはいちゃんランベルトは五年後、クラリーチェかモニカと結婚していてもいいかも…と思ったけどあがちんランベルトだとナイな、と感じちゃいました(笑)。あとフィナーレ、楽しそうに踊りすぎ!(笑) まだまだ楽しいだけでやっていて、ファンや観客に見せる感覚がないのかな、と最近やっとそのあたりのスイッチが入ったように感じるかりんさんと比べて思いました。イヤ楽しそうでいいんだけどね、でもそれだと「素敵ッ!」とはならないでしょ…? もちろん本人比で上手くなっているとは思うんだけれど、そもそもさっさと真ん中に置いちゃった方が粗が目立たずハマるタイプのスターかな、とも思います。あーさトップのあがた二番手時代なんて、どうなることやら…(そらはどこかでやめちゃうんでしょ?と私は考えているので)
 クラリーチェのひまりは、素晴らしかったー! 描かれている以上に役を魅力的に演じていて、でももちろん作品の邪魔はしていない、むしろ作品の質を深めていて素晴らしい、と感じました。ヒロインじゃない女性キャラクターってどうしてもこうした悪役令嬢チックな役回りにされがちなんだけれど(それはあくまで男性作家の引き出しのなさのせいなんだけれど)、クラリーチェは単なる意地悪お嬢様みたいな女性じゃないところがよかったと思うのです。そもそも母親が病院の家付き娘で、でも当人が女医になるという発想はまだない時代だったのだろうし、それで医者を婿養子を取っていて、旦那は院長で自分は社交に明け暮れていて、旦那の火遊び浮気も知っていて放置黙認しているような、さりとて冷め切っていていがみ合っている夫婦というわけでもなく、まあまあ仲の良い家族なんだと思うんですよねマルチーノ家って。そこに一粒種として育ったクラリーチェも、だからきちんと愛され育てられていて、決してただのワガママお嬢様なんかにはなっていないのです。母親同様に女医にはなっていないんだけれど、病院の仕事はしたいと考えて院長の秘書をやっているのは、おそらく単なるお嬢さん芸ではなく本当に有能なのでしょう。婦長(愛すみれ)始めスタッフからも煙たがられるどころか信頼されている感じがちゃんと出ている、素敵な役作りでした。父親とは腕を組んでハケるくだりもあったけれど、ないだけで母親ともちゃんと仲が良くて、やや派手めな私服とかもお揃い感がある、姉妹みたいな母娘なのでしょう。ロザンナはおっとりしていて、クラリーチェはもう少しシャープでスマートだけれど、とにかく素敵な女性です。
 フェルナンドとの交際がどう始まったのかは語られていませんが、クラリーチェの方は単なる大人の関係にする気はなく、ちゃんと彼を能力も性格も愛し、もっと知りたい、支えたい、ともにいたい、信頼されたい愛されたい…と願っていたのでしょう。変にプライドが高すぎず、黙って察されるのを待ったりしないところもよかった。ぶつからないと得られないものってありますしね。その流れでモニカに嫌味を言っちゃうところもとても自然だったんですよね。いじらしくて、可愛くて、悲しかった…
 五年後、親元を離れてバリバリ働く姿のまぶしいことよ…! 彼女の今の幸福を願わないではいられません。
 そのクラリーチェとの車椅子の芝居も絶品だった愛すみれ、役姿でやられてちょっとエッ?となるエトワールをすぐさま納得させられる力量もさすがでした。変にオールドミスとか、院長の愛人とかの面ばかりで描かれていないのもよかったです。
 にわさんのクレメンテ教授(奏乃はると)もマルチーノ夫妻と同様に初演からの続投だそうですね。慈愛あふれる父親代わり役のおじさま像、素敵でした。あすくんがアニータの兄でレントゲン技師のジョルダーノ(久城あす)を演じていて、これは新設された役だとか。技師がレントゲンを読めないはずはないとのことなので、ここはなんらかのフォローをしてあげてもよかったかと思いますが、要所を押さえるいいサポート役でさすがでした。アントーニオがあんなにいい子に育ったのは、この伯父の導きもあったことでしょう。そのさんちゃんも、『ボニクラ』ではちょっと足りてないなと感じてそれこそはいちゃんテッドで観たかったと思ったくらいだったんですが、今回はちょうどいい感じでした。ちゃんといい子に見える、というのも立派な強みです。
 桜路くんはいつでもなんでも上手いけれど、その妻ボーナ(杏野このみ)もよかったなあぁ。単なる美人娘役さん、ってだけでなくて、上級生になるとホントいい仕事をし出しますよね…パレードにしか出てこないピザ屋のエプロンを夫とお揃いできて出てくるのも良きでした。
 あとはモニカの同僚のサンドラ(千早真央)がキュートで、彼女も本公演だと歌起用ばかりですが、芝居もできるぞと見せていて吉。歌起用のアマーリア(白綺華)も、台詞もちゃんとしていてよかったです。りなくるもちょいちょい使われていたし、男役さんはマフィアたちも飲酒少年たちも(ジェッツのスタジャン…!)みんな台詞や演技が明瞭で、しっかりしていました。おそらく最下級生にまで台詞があったんじゃないかな? 全ツ『愛短』もそうでしたが、別箱公演はそうあるべきですよね。よかったです。

 三連休明けまでの公演ですが、どうぞご安全に。カッシー、新作期待しています。ダーイシは別の再演があるならそれも是非お任せで…(嫌いになりきれない作品はたくさんあるので)あがちんも次はまた別のタイプの主演作が来ますように。
 見守っていきますね…!






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『新・水滸伝』

2023年09月14日 | 観劇記/タイトルさ行
 歌舞伎座、2023年8月8日18時(八月納涼歌舞伎第三部)
 南座、9月7日11時(九月花形歌舞伎)。

 時は十二世紀初め、広大なる中国大陸。北宋の国は乱れていた。梁山泊に根城を構え、悪党を束ねて暮らす好漢の晁蓋(市川中車)は、役人たちの不正に憤り、「こんな国はぶっつぶそう」と思い立つ。牢を破り悪人たちを解放することで、毒をもって汚い国家を壊してやろうというのだ。そんな中、かつて兵学校の教官まで務めながら、数多くの罪で牢につながれた天下一の悪党である林冲(中村隼人)の噂を聞いた晁蓋は、彼を仲間に引き入れようと李逵(中村福之助)らとともにその牢を訪れ、今まさに打ち首の刑に処されようとしていた林冲を助け出す。林冲は襲い来る警護兵たちを容易くあしらうと、後日の再会を約束して、晁蓋に言われるまま逃げていくが…
 作・演出/横内謙介、演出/杉原邦生、スーパーバイザー/市川猿翁。中国の歴史小説「水滸伝」を原作に、2008年に二十一世紀歌舞伎組により初演された三代猿之助四十八撰の内、5度目の上演。全二幕。

 番付(歌舞伎では、特に関西ではプログラムのことをこう呼ぶそうな)の猿翁丈のコメントによれば、「新作・スーパー歌舞伎十番」でもあるそうな。「明治以降の“新歌舞伎”が歌(音楽的要素)と舞(舞踊的要素)に乏しい伎一辺倒になって楽しくないと感じていたので、“新・新歌舞伎”をつくろうと思った。隈取りなどの扮装やツケ入りの見得や立廻り、黒御簾的な音楽の使い方を積極的に取り入れたのだが、それが“スーパー歌舞伎”と呼ばれることになった」のだそうで、なるほどね、と思います。古典も勉強したいけれど、私のようにビギナーでミーハーな者にはやはりとっつきやすくわかりやすく、何よりエンターテインメントとして楽しいので、上演があればまずはここから観ていこう、と考えていて、お初のハコにも行ってみたかったので南座遠征までキメてきてしまったのでした。
 おかげさまでお友達にお誘いいただいて、先に歌舞伎座1階上手真ん中くらいの列のサブセンターブロックで観て、南座は二等席3階正面前方列どセンターを取りました。いいバランスだったと思います。南座の方がコンパクトで、芝居も密に仕上がっていて、音の抜けも良く、歌舞伎座ではくぐもって聞こえたりよく聞き取れなかった台詞も明瞭で、ややバタバタしていた芝居もまとまっていて、こちらもおちついて楽しく観られました。まあお隣がお茶の間感覚でちょいちょいボソボソしゃべるおばさま3人組だったのには閉口しましたが…薄暗い中でチラシと付け合わせて誰が誰かを確認しようとずっとしていましたが、だったらちゃんと番付買って? それか識別できるようになってから来て? てかその役を誰がやってるかなんて、作品を観る上ではあまり関係なくない? あとで、あの役をやってた人がよかったわ、誰だったのかしら、とか復習するんじゃダメなの? ボソボソガサゴソやってて台詞聞いてないじゃん、話の展開についてきてる? お話がわかんなきゃおもしろくなくない? …と、脳内でずっと呪いをかけていました。もうちょっとうるさかったら「静かに観てください」と言ってやったんだけどなあ…
 まあ私だってまだまだ誰が誰とか全然わからないし血縁関係もてんで覚えられていませんよ、でもキャラとストーリーはわかったし、楽しめました。とてもおもしろかったです。
 スーパー歌舞伎の何がいいかって、台詞がテレビドラマの時代劇程度のほぼ現代口語でわかりやすいとか、キャラクターやストーリー展開や演出がキャッチーで派手でわかりやすいとかもありますが、一番はその精神性なんだな、と思いました。根底にある、人間観とか、世界観といったもののまっとうさが、心地良いのです。そこが猿翁さんの素晴らしいところなんじゃないでしょうか。
 もっとスピーディーで鮮やかな場面展開をする舞台とか、複雑なキャラ、ドラマが絡み合う深遠な展開をする舞台とかは、外部にももっとたくさんあります。そのあたりは、比べれば正直、チャチだなとか拙いなとか子供っぽいなとかは感じなくもないわけです。暗転多いな、単調だな、とかね。でも、この精神性のまっとうさが本当に素晴らしいのです。
 原作小説にももしかしたら、多少はその素養があるのかもしれませんが…どうだろう? 私は多分、子供用の詳録版みたいなものも読んだことがない気がします。お上に逆らう悪党たちだけど、義侠心がある正義漢揃いで、腐敗したお上に逆らう荒事をやってみせるピカレスク・ロマン…なんだよね?というのが私のイメージです。たくさん出てくるだろうキャラクターや有名なエピソードから取捨選択し、上手いこと翻案したのが今回の舞台の脚本なんだろうな、という理解です。で、その取捨選択とかそもそもの作品の方向性とかには、脚本家の特性ももちろん出るだろうけれど、やはり猿翁さん自身のものの考え方が反映されているんだろうと思うのです。
 たとえば、お頭の晁蓋が、偉そうでふんぞり返っているようなタイプじゃないのがまずいいんですよね。もちろんリーターシップはあるし面倒見が良くて、みんなに慕われ懐かれているしみんなをよく束ねているんだけれど、それでいい気になっちゃうようなところはないし、むしろしょっちゅうみんなをおいて次のスカウトの旅に出ちゃってる、気ままなところがある人、という描写です。その自然体な好漢っぷりがとてもいいんですね。
 で、彼が留守居を頼んでいくのが姫虎(市川笑三郎)なんです。もとは居酒屋の女将、今は女親分という人ですが、彼女は晁蓋と義兄弟の契りを交わした、れっきとした腹心でありナンバーツーなのでした。単なる女房役、とかじゃないの。この時代の男性に女性と兄弟分になる、という発想があるとは思えないんですが、晁蓋はいいと思ったら相手の性別なんかに頓着せずただ仲間になる、そういう男だ、と描こうとする猿翁さんの性根が、たまらなく素晴らしいと思うのです。
 梁山泊には他にも女性の仲間たちがたくさんいて、それぞれ世間では悪人なんでしょうが、腐った世の中を嫌い晁蓋の理想に心酔してここに参加しているのは男性と同じなのです。腕力は男性には敵わないかもしれないけれど、気が強くて弁が立って、元気な女性たち揃いです。男たちに負けていないし、男たちの面倒を見たりもしていません。つまり煮炊きや掃除、洗濯をやってあげているような描写がないのです。ここでは男も女も自立して、自律してかつ自由に暮らしていて、同じことだから一緒にやるとか人の分もやるとかはあっても、性別で家事を役割分担しているようなことはないんだなと感じました。でも家事なんてそういうものです、大人になったら男でも女でも自分のことは自分でやるのが当然なんです。女たちは子供たちの面倒は見ているようでしたが、別に育児が女の仕事とことさらにされている感じもありませんでした。成人までは共同体全部で面倒を見る、という、あるべき社会の姿が梁山泊にはある、というだけのことなのです。
 この清々しさがたまらないのです…!
 梁山泊の対岸の村、独龍岡の女戦士・青華(市川笑也)も素敵なキャラクターで、跡取りの祝彪(市川青虎)の許嫁ですし、本来はいいところのご令嬢なのでしょうが、くわしくは語られないものの纏足がされていない、という設定です。なので祝彪は彼女を女のなり損ないだ、家同士が勝手な決めただけの縁組みだ、などと口さがなく言います。この男がまた、武芸は素晴らしいのですが朝廷の重臣・高俅(浅野和之)の腰巾着みたいな男で、いい悪役設定なのです。で、青華の方は、言い返すこともなくおとなしくしている…たとえば生理が来ない、あるいはいわゆる石女といった、妊娠・出産機能のない女性が男性と同じく戦士として働き手側になる、という文化の集団がかつては世界のあちこちにあったものだと聞いたりしますが、纏足はもっと小さなころからするものだろうから、青華の父親には何か娘の育て方に関して思うところがあったのかな…だから青華の身体にどんな事情があったのかなどはくわしくは語られないのですが、とにかく纏足されていないので、小さな歩幅で楚々と歩き歌い踊り宴席にはべるような女性の生き方をしていません。それで祝彪はそんなものは女じゃない、などと言うわけですが、しかし青華は男同様に大股に歩けるし、日々武芸を磨いていて男勝りの凄腕で、でも美人で、でも寡黙で、婚約者に悪し様にされるのに耐えている、美しく悲しい女性なのです。そんな彼女に一目惚れしてしまうのが梁山泊の山賊上がりの王英(市川猿弥)で、彼は髭モジャの豪傑で決して二枚目の色男ではないのですが、真っ赤になりつつ真摯に口説く、いじらしい恋心を展開させていくのです。たまらん!
 王英の恋を冷やかすやら応援するやら、と動くのが梁山泊の美貌の殺し屋・お夜叉(市川壱太郎)です。ピンクのべべ着てぴょんぴょんしてて可愛いんだけど凄腕で、これがもじもじへどもどする王英を焚きつけるやら唆すやらで、この男女の友情がまたいいんですよねー! ここでどっちがどっちかを好き、とかは全然ないの。対等な友人同士なんですよ。こういう設定ってなかなかないし、でもアリでしょ?って入れてくる猿翁さんの感覚が本当に好きだし信頼できるのです。
 少年漫画っぽい熱い仲間意識や敵とのバトルから、少女漫画的きゅんきゅんラブ、男女の友情、差別や貧困の問題、衣食足らないと礼節なんて知らないよという社会問題、権力の腐敗、本当に望ましい政治や社会の在り方、天に恥じない生き方、志、義侠心、友愛、勇気、理想…そういったことが真面目に描かれている作品です。その感覚がいちいちまっとうで、ツボで、「そう! そのとおり!!」と膝を打ちたくなるもので、清々しく気持ちよく、ノーストレスで観られるのです。
 現政権批判の視線ももちろんあります。エンタメですもの、そうでなくっちゃね! なんにも考えないでアタマ空っぽで観られておもしろおかしい…ってのがエンタメじゃないんですよ、おもしろい中に批評性があってしかるべきだと私は考えます。ニヤリとさせられるし、フィクションで観ているだけで満足するんじゃなくて現実を戦いがんばらにゃいかんな、と奮い立たされます。エンタメの力って、そういうことだと思うのです。
 そういうテーマを浮かび上がらせていくストーリー展開、そのためのキャラクター布陣とその造詣が本当に的確です。朝廷の重臣で、そのくせ裏で軍用金を着服し私腹を肥やし、それを見とがめた部下の林冲が邪魔で、濡れ衣を着せて処分しようとし、逃げられてどうにか捕らえて口封じせねば…とわたわたしている高俅の小悪党っぷり、たまりません。それに踊らされる祝彪も愚かで哀れだし、でも悪チームがそれで終わらないところがまたいいのです。高俅の側近・張進(中村歌之介)はまた素敵なキャラクターで、凜々しくもみずみずしい若武者っぷりが素晴らしく、ちょっと前までは高俅のお稚児さんだったのかな、とかも思わせます。でもやっと歳がいってそこからは解放されて、そんなことがなくても有能で敏腕で主君のために役に立ちたいと考えていて、本当はその主君が実はどうもたいしたことのない小悪党であるっぽいところも気づいていなくもないんだけれど、「俺はもう後戻りできないんだ!」(『太王四神記』@ヨン・ホゲ)とばかりに林冲と斬り結んでいく圧巻のクライマックス、素晴らしい…! 次の再演では團子たんにココやらしてください…!と思いましたよね…!! いやぁいいお役、いいお芝居でした。
 その團子たんは林冲のもと教え子・彭玘(市川團子)で、朝廷の兵士として働きつつも、かつての師の変節が信じられず、梁山泊に忍び込んで真意を質し、さらには師の窮地に飛び込んで身替わりとなって命を落とす、これまた美味しい役どころです。一幕も二幕も幕開け仕事を任されていて、今なら月組でわかがやらされるようなあたりですよねちょっと前ならありちゃんねわかります上げたいんですよね、ってなもんです。でもまた似合うんだこういう青いお役が! これまでは弘太郎だった青虎がやっていたお役、というのもまたたまりません。
 彭玘に慕われることといい、晁蓋に一目置かれむやみに悪党仲間に引き入れられないと遠慮されることといい、姫虎たちからは武術指南役になってくれと懇願されることといい、みんなから総受けのビッグ・ラブを向けられる林冲は本当にザッツ・ヒーロー!な主人公です。脱獄の際に素晴らしい立廻りを見せますが、あとは基本的にグレてスネて飲んだくれているだけの役なので、カッコよく見せるのがなかなかに難しいお役だとも思いますが、隼人さんはさすがでしたよね。タッパと華があって、いかにもセンターが似合うんだよなあぁ。これは誰でも惚れちゃいますよね。姫虎との友情や、李逵にむやみと懐かれるところなんかも微笑ましく、とてもよかったです。てか福之助さんはまたこういうお役が上手いですよね。
 盆も回るし、一幕ラストはイケコばりの全員集合で歌まで歌っちゃうし、正しい和製ミュージカルで、「歌舞伎」とは本来こういうものなのである、という主張も確かにビンビン伝わります。
 宙乗りは梁山泊の七つ道具・飛龍という大凧に乗る、という趣向。そこからの怒濤の、これでもかと言わんばかりの大団円と、パレードまでついたゴージャスさが本当に大満足でした。
 偉そうな物言いで申し訳ありませんが、中車さんは南座では格段に良くなっていたと思います。
 あとは青華の新しいお衣装が、桃や橙色だと姫虎やお夜叉と被るんで避けられたのかもしれませんが、それでもそういう娘っぽい色味、せめて山吹なんかがよかったかなと思いましたし、青や緑にするにしてももっと濃く鮮やかな色のものにしてほしかった、とは思いました。今の薄いライムグリーンみたいなお衣装だと、怪我の治療の間に着ていた寝間着みたいなお衣装とあまり差異が感じられなくてもったいなかったので。細かいところにうるさくて申し訳ない…
ヤマトタケル』の発表もありましたし、コロナで全公演中止となった『新版 オグリ』もどこかで上演の機会を探っていることでしょうし、これからもたくさん観ていきたいです。松竹座にも行ってみたい! 御園座でも歌舞伎が観たいし、あちこちの小屋に出かけてみたいです。夢が広がるなあ…
 千秋楽までどうぞご安全に。私も引き続き感染予防対策して、健康にすごします!






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