映画 ご(誤)鑑賞日記

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ホフマニアダ ホフマンの物語(2018年)

2019-04-21 | 【ほ】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67375/

 

以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 今や作家、作曲家として大成したエルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンは、自分の人生と作品を振り返り、過ぎ去った日々を思い起こす。

 若い頃、ドイツの小さな町で裁判官見習いとして働き、質素な家の屋根裏部屋を借りて音楽家を目指していた日々。昼間は官庁で退屈な仕事をこなし、仕事の後は近所の居酒屋に足を運び、夜は芸術的な創作活動に熱中する。彼の目には、官庁の官僚たちが灰色で卑劣なネズミのように映っていた。まるで食べ過ぎで退屈な獣のような習性を持った心のない操り人形のように。

 そんな日々の中、突然、エルンストの目の前に開く空想世界アトランティス。そこでエルンストは、学生アンゼルムスに変身する。そんな彼を翻弄するのは、3人の若い女性たち。上流階級のヴェロニカ、無口で神秘的なオリンピア、そして美しいヘビ娘のゼルペンティーナ。どの女性も、それぞれアンゼルムスにとっては理想の姿を持っていた。

 アンゼルムスがニワトコの木の下で出会い、恋に落ちたヘビ娘は、若く美しいゼルペンティーナに変身する。だが、彼女の父親は現実社会では、枢密文書官サラマンダー・リントホルストだった。さらに、市場では年老いた魔女と出会い、砂男だと確信する父の友人の弁護士コッペリウスがエルンストの前に現れる……。

 上流社会の無関心、虚栄心の強い官僚たちの醜さ、偽物の美しさによる策略の罠と日々対峙するエルンスト。彼はそんな現実社会をアンゼルムスの純粋さと熱意によって切り抜けていくが……。

=====ここまで。

 あの『チェブラーシカ』のソユーズムリトフィルムによるパペットアニメ。制作に15年かかったとか、、、。

 

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 基本的にアニメはあんまり興味ないんだけど、なぜかパペットアニメは別。自分でも、なんで人形アニメになると俄然そそられるのか分からないけど、つい見てしまうのだよね。本作も、たまたまチラシで知って、上映期間が短いので、ヘロヘロな身体にむち打って(?)頑張って見に行って、大正解!

 

◆気が遠くなりそう、、、。

 現実と妄想(というか、ホフマンの小説)を行ったり来たりする幻想物語なので、不思議な感じがするけど、ストーリー的には破綻もなく、このジャンルにしては分かりやすい方だと思う。

 ホフマンが書いた物で日本でもよく知られているものといえば、バレエにもなっている「くるみ割人形」の原作、「くるみ割り人形とネズミの王様」ですかね。私は、ホフマンについては全くの無知なんでここで解説を書くつもりはさらさらなく、詳しく知りたい方は、公式HPをご覧いただきたい。

 いずれにしても、本作は、そのホフマンが書いた物をいくつか融合させた物語が、エルンストの妄想として視覚化されているという、二重構造になっている。

 3人の女性が出て来て、そのうちの1人ゼルペンティーナと永遠の愛を誓っておきながら、上流階級の娘ヴェロニカに恋をしたことで、なんとアンゼルムスは瓶に閉じ込められてしまうという、、、。何か、夢野久作の小説みたいだと思ってしまった。

 おまけに、もう1人の女性オリンピアは、なんと人形なのである。パペットが、実は人形だった!なんて、なんかギャグみたいというか、シュールというか、、、。でも見ている間はまるで違和感もなく。人形は人形でも、人間みたいに自由に動く人形なのよ。まあ、AIアンドロイドみたいなものかしらね。しかもこの人形娘をアンゼルムスと他の男と奪い合いになって、挙げ句人形が壊れるという、、、。壊れるときも、オリンピアは無表情でね。まあ、人形だから当たり前というわけね。

 ちなみに、上流階級の娘ヴェロニカは、あっさり成金男と結婚しちゃうんだけど、その男が、まんま“馬”なんだよね、顔が。そのあからさまな風刺が笑っちゃったんだけども、後でパンフを読んだら、これはホフマンの実体験であるらしい。彼が恋をした名家の令嬢が、下劣な男と結婚しちゃったのだとか。……なるほどねぇ、こうやって、モノ書きは現実の憂さ晴らしをペンでしているのだね。こんな絵に描いたような馬キャラにしてもらって、さぞやホフマンもあの世でほくそ笑んでいることでしょう。

 エルンストは、アンゼルムスに自分の夢や希望を投影することで、現実をどうにかやり過ごそうとしているわけだけど、それはそのまま、ホフマンが小説を書いて現実をやり過ごそうとしていたことなわけで、そういう意味では本作は三重構造でもある。

 つまりこの映画は、エルンスト(=ホフマン)の脳内にある想像や妄想の映像化を試みた、とも言える。そしてそれは、成功していると思う。現実と妄想の危うい融合は、パペットアニメだからこそ出来たことかも。

 まあ、ストーリーというか、内容的にはそういうことだけど、本作の見どころは、やっぱりそのアニメーションと世界観でしょう。公式HPにはメイキングの動画もあるが、これを見ると、もう気が遠くなりそう。そりゃ、15年かかるわ。

 本作の監督スタニスラフ・ソコロフは本作についてこう言っている。

 「現実の人生のネガティブな側面を創造のエネルギーに変えること、下品さには高い芸術性で対抗し、富や権力を得ることよりも偉大な別の目標を自覚することです」

 

◆カップリング上映された作品について。

 ところで、本作の上映前に、こちらも人形アニメなんだけど、『マイリトルゴート』という作品も併せて上映された。これは、東京芸大大学院の卒業制作らしいが、これがね、、、何とも言えない作品で、正直言ってドン引きしてしまった。本作を見る前に、なんとも鑑賞意欲を萎えさせるアニメだった。

 10分くらいの小品だが、内容がエグい。児童虐待、しかも、実父による性的虐待を描いており、かなりグロテスク。グリム童話『オオカミと7匹の子ヤギ』をモチーフにしていて、襲われた子ヤギたちのパペットの造形も不気味そのもの。私は、かなり不気味なものや、エグい・グロいものに免疫がある方だと自負しているが、これは少々受入れがたいものがあった。

 私の理解力不足なんだろうが、残念ながら制作の意図が分からなかった。別に、虐待を茶化すようなふざけた作品ではもちろんないが、これは実際に虐待経験を持つ被害者が見たら、どう思うのだろうかといささか懸念してしまう。

 オオカミと虐待者を重ねているのだけど、それってどうなのか。オオカミは、生きるために捕食するのであり、それと虐待者を重ねるのは、私にはどうにも抵抗がある。『オオカミと7匹の子ヤギ』のオオカミは悪者扱いだが、それとて、本を正せば弱肉強食の自然の摂理に基づく行動であり、本来する必要のない行動を相手の弱さにつけ込んでする虐待とは次元の違うものではないか? まあ、オオカミ(とキツネね)は童話の中では大抵“悪者”扱いされているから、そんなに深い意味はないのかも知れないけど。

 この作品は、いろいろな賞を受けていて、海外でも評価されているらしい。なんか、それもビックリだけど、……まぁ、私が考え過ぎなだけなんだね、多分。制作者の他の作品もネットに上がっていたので(1作品のみ)見てみたが、そちらもあまりピンと来なかった。相性の問題かしら。

 

 

 

15年の制作期間に納得。

 

 

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