映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

午後8時の訪問者(2016年)

2017-04-25 | 【こ】



 若い女性医師ジェニー(アデル・エネル)は、町の診療所で研修医のジュリアン(オリヴィエ・ボノー)を指導しながら、老医者の代わりに診療所を切り盛りしていた。診療所の責任ある医師として、また研修医を指導する先輩として、いささか気負っていたジェニー。

 ある晩、診療時間が終了する午後8時を過ぎてしばらくしたところへ、入り口のインターホンが鳴った。ジュリアンは急いで出ようとしたが、ジェニーは「もう診療時間は終わっているんだから出なくて良い。患者に振り回されてはダメ」と制止する。その後も、ジュリアンに厳しく当たったことから、ジュリアンは突然仕事を切り上げ帰ってしまう。

 翌日、警察が、診療所の近所で殺人事件があったので診療所の防犯カメラ映像を提供してほしいと訪ねてきたため、ジェニーは快く提供する。すると、そこには、殺人事件の被害者となった若い黒人女性が診療所のドアを叩く映像が……。その女性こそ、あの、午後8時過ぎに訪ねてきた女性だったのだ。ジェニーがドアを開けることを制止したことで、彼女は殺人事件の被害者になったのではないか?

 ジェニーは罪の意識に苛まれ、名前も身元も分からないという被害女性について調べ始める。果たして、事件の真相は、、、。


 
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 アデル・エネルが扉の隙間からこちらを見ているチラシの画像がとても魅力的な上、予告編を見て興味をそそられたので、劇場まで見に行って参りました。


◆久々のダルデンヌ兄弟監督作鑑賞

 ダルデンヌ兄弟監督作でこれまで観たのは『息子のまなざし』だけ。これが、良くも悪くも、私にとっては衝撃作で、正直なところ、その後、この監督作品はちょっと見る気になれませんでした。どう衝撃だったかは、いずれ機会があれば書きますが、みんシネにレビューを書けなかったくらい衝撃を受けたのでした、、、。

 でも本作は、なんとなくとっつきやすそうな感じがして。そして、その直感は当たっていた、、、というか、ちゃんと観ることが出来た、かな。

 ジェニーは、あの晩の出来事で、2つの罪悪感を抱いてしまったのよね。殺人事件の被害女性に対する罪悪感と、研修医ジュリアンに対する罪悪感。ジュリアンはその後「もう医者は諦める」と言って、田舎に帰ってしまうし、、、。

 あの晩は、もう一つ彼女にとって大きな転機になるはずの出来事があった。大きな病院で彼女のポストが用意されたことを祝うパーティに彼女は出席し、診療所の代理医師を切り上げてそちらへ移ることがお披露目されたのだった。

 でも、たった一晩で、彼女の人生は違う方向へ大きく動く。ジェニーは、名前も分からない被害女性のことを調べ始め、ジュリアンには翻意するよう話し合いに行き、診療所の老医師に「私がこの診療所を継ぐ」と宣言する。彼女は、あの晩の出来事を受けて、好条件の仕事を蹴ったのだ。

 ジェニーにとっては、生涯忘れられない、ある日の夜、になったのだ。


◆あの時、私がドアを開けていれば……。

 「彼女は償いをしたかったのです」と、リュック・ダルデンヌは言っている。確かにそれはそのとおりだけれど、ジェニーを見ていると、そんな単純な感情じゃないように思えたのよね。

 自分はどうしてあの時ドアを開けることを制止したのか、ジュリアンはどうして医師を諦めると言うのか、大きな病院に移ってどんな医師になりたいのか、、、そういう、医師としてのアイデンティティを問われることが、一時にドッと彼女を襲ったのだと思う。しかも、ゆっくり逡巡している時間はない。早く結論を出さなければいけない。

 ジェニーは、実に淡々と診察をする。無駄に笑顔を患者に見せないし、多くを語らない。一見、冷たくさえ見えるけれども、患者からすれば決してそんなことはないはずだ。それが証拠に、ジェニーの治療が終わる少年は、これからも往診に来てほしいと彼女に頼んでいる。

 そんな患者とのやりとりに、あの晩の後の数日で、彼女は何か手応えの様なものを感じたのではなかろうか。そして、その感覚が、一度に押し寄せてきた自らへの問いかけに対する、最大の答えだったのだ。

 だから、彼女は、診療所を継ぐと決心し、ジュリアンに医者への道へ戻ってほしいとはるばる田舎まで訪ねていって自分の思いを打ち明けるのだ。彼女の淡々とした仕事ぶりとは裏腹に、彼女には確固たる決意が芽生えたのだと思う。

 裏返せば、それくらい、彼女にとっては殺人事件は衝撃的な出来事だったということだ。それは、医師としての矜持を問われた事件だった、ということよりも、もっと根源的な「自分は何者なのか」という部分まで掘り下げるざるを得ない様なことだったのではないか。たとえ、警察官に、「あなたがドアを開けなかったことは正当です」と言われても、ドアを開ける開けないのレベルではなく、なぜあの時自分はドアを開けなかったのか、を考えるとき、自らと正面から向き合うことを余儀なくされたのだと思う。

 自らを許せるか、自らのプライドが許容できるか、、、。結局、人生とは自己満足の集大成だけれども、自己満足とは言え、そこには、自分に恥じない生き方であること、という最大の難関が立ちはだかる。傍からどう見えようが、一つ一つの言動が、自らに恥ずべきものではないか、、、。この問いかけは非常に辛く厳しいものだ。

 恐らくジェニーは、これまで分かったつもりになっていたこの辛く厳しいものから逃げてはいけないことを、実感を伴って体得したのである。

 人生には、誰しも、こういう出来事が若い時期のいずれかに訪れるものだと思う。そして、自分の甘さや醜さに直面し衝撃を受けるのである。でも、この経験を生かすも殺すも自分次第なのだ。

 少なくとも、ジェニーは、この先、生かすことが出来るだろうと思わせてくれる展開だった。


◆アデル・エネル

 本作については、昨今のフランス事情(移民問題や格差、分断等)が描かれている、というような論評も目にしたけれど、確かにそういう側面もあるだろうけど、前述の様に、人はどう生きるか、という人間としての根源的な問いを描いている様に感じた次第。

 なので、本作のサスペンス的な部分については、興味としては二の次だった。被害女性は誰だったのか、どうして殺されたのか、一つ一つ明らかになっていくけれど、謎解き的な描写ではないし、そこに比重が置かれているとも感じなかった。

 サスペンスとして見ると、もしかすると拍子抜けするかも。途中、ジェニーがヤバい人に追い掛けられたり、往診に行っていた家庭から「もう来るな」と言われたりするけれど、あくまでそれは従である(と思う)。

 ジェニー自身のバックグラウンドについても、ほとんど描かれていないので、彼女が何を志して医師になったのかも全く分からない。けれども、結局彼女の出した答えが全てなのだ、と思えば、そういう余計な描写は必要なかった、ということだとも言える。

 あるレビューで、「ジェニーが無表情で冷酷でムカつく、ラストの被害女性の姉とのハグも形式的で見ていて何の感動もない」というようなことが書かれていたけれど、そういう見方をする人もいるんだなぁ、と驚いた。どう見ようが正解はないけれど、あのアデル・エネルの演技からそんな風に感じるなんて、ちょっと信じがたい。

 それくらい、アデル・エネルの演技は素晴らしく、顔の表情が少ないのに、彼女の全身から彼女の感情が表れていることに感嘆した次第。この辺りは、パンフを読むと、ダルデンヌ監督は相当リハーサルを重ねたと言っているので、演出の素晴らしさでもあると思う。

 アデル・エネル、あの『黒いスーツを着た男』に出ていたのね、、、。あの映画はちょっと、、、、という感じだったけど。何の役だったんだろう? と思って公式HPを見たけど、主要キャストに名前なし、、、。で、wikiを見たら、なんと、主人公のアラン(ラファエル・ペルソナ)の婚約者の役だったのね~。えー、「アルの婚約者もイマイチ魅力に欠ける」と、私はみんシネに書いている……! そうか、、、そうだったのか。

 でも、本作での彼女は、本当に魅力的です。今や、フランスきっての人気女優だそうですが。彼女も最近、女性映画監督をパートナーにしているとカミングアウトしたとか。フランスには魅力的な女優さんがいっぱいいて羨ましいわ。



 



アデル・エネルに尽きる。




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