映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

絞殺(1979年)

2016-02-01 | 【こ】



 超有名進学校に通う秀才の息子・勉。大人しかった勉が、ある日を境に突然、親に反旗を翻し牙を剥く。驚いてなす術ナシの両親。挙句の果てには母親を犯そうとまでするわ、家中メチャメチャに壊しまくるわで、ただただ両親は怯えるばかり。

 酒を浴びるように飲んで寝てしまった勉を、父親は「やっちまおう」と妻に向かって言うと、勉の部屋へ上がって行く。自分の浴衣の紐を解くと、片方の端を手首に縛ってしっかり固定し、余った長い部分を勉の首の回りに二重に巻きつける。そして、、、、。

 1977年、東京北区で起きた“開成高校生絞殺事件”を下敷きに、新藤兼人がオリジナル脚本を書き監督した作品。後味は悪い、、、というか消化不良。
  

  
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 ちょっと前に『観ずに死ねるか!傑作絶望シネマ88~総勢70人が語る極私的トラウマ映画論~』(鉄人社刊)という本を読みました。表紙があの『炎628』のフリョーラのドアップだったのもあって、興味を持ちまして、、、飛ばし読みでしたけど。おまけに図書館で借りたんですけど、、、。

 その中で紹介されていたウチの1本が本作でした。で、見てみようかと思いまして。

 正直言いますと、ヒジョーにつまんなかったです。ショッキングな実話をベースにした衝撃的な内容ですから、退屈することなく最後まで見られますけれども、これはダメでしょう。ものすご~く既視感のある、類型的なオハナシです。音羽さんのヌードや、近親相姦、義父殺し、童貞喪失等という、言葉にするとそれなりに好奇心を掴むものがちりばめられているけれど、話題性先行で中身が伴っていない、ってヤツです。

 つまり、新藤さんの筋立てはこうです。権威を振りかざす中身の伴わない父親と、その父親の言いなりになっている優しい母親の下で、秀才の息子は、父親の言動に矛盾を感じてそれが許せない思いを募らせていたのが、ある日突然決壊、暴発した挙句、父親が思い余って息子に手を下してしまった、、、。でもって、新藤さんの脚本は、勉が突然暴れ出した理由を、この時期の青年にありがちいな“性の問題”を引き金として描いているのです。

 何が不満って、勉がどういう青年なのかが全然描かれていないこと。最後まで分からずじまい。優秀だ優秀だ、って親のセリフと、進学校に合格&通学しているシーンくらいでしか描いていないので、どんくらい優秀なのか不明だし、どういうことに興味があってどういう性格でどういう毎日を過ごしているのか、という大切な描写は一切ありません。

 それに本作では、勉が大暴れしたのはたったの2回です。2回目の後、父親は「やっちまおう」と。そんな簡単に我が子を殺す決断、そうそうできませんよ。ま、この親父さん、情状酌量で釈放された後、罪悪感にかられて苦悩の様子も見せず、実にサバサバしてたので、そういう人なのかも知れませんけど。

 勉の父親は、学歴は不明ながら(一応セリフで「大学の門をくぐった」とあるので大卒かと思われるが、仕事はスナック経営)、絵に描いたような昭和な父親像を地で行く“えばりんぼ親父”です。食事しながら勉に、やれ「東大行け」だの「エリートコースから外れるな」だの「お前の爺さんは立派な人だった、一流ではないが二流の上といったところだな」だの、もうメシがまずくなるような話を延々。そのシーンを、勉の背後から映しているんだけど、勉がみじろぎもしないの、ご飯食べてるはずなのに。丸いちゃぶ台を両親と勉が囲んでいるんだけど、喋っているのはほぼ親父、時々合いの手を入れるのが母親。勉は一言も発さない。すんごい不自然。
 
 勉は母親とは比較的良好な関係の様なんだけど、ある晩、母親が父親とセックスしているときの声を襖越しに聞いてしまうんですよね。まあよくあることですが。で、さらに、勉には同じクラスに好きな女子生徒がいるんだけれど、この女子生徒が、実は義父(実母の再婚相手。実母は病死していない)に性的暴行を受けていることを現場を目撃しちゃって知るわけです。で、このとんでもない女子生徒の義父と、自分の親父を同類項と見なし、「お前ら下等だ」となるわけです。

 、、、ちょっとそれって飛躍が大きすぎやしませんか、新藤さん。いくら多感な高校生とはいえ、夫婦の営みと、義理の父娘の相姦じゃ、訳が違うことくらい分かるでしょ。いくら親父が中身のないえばりんぼ親父だとしても、何か、18歳くらいの少年の葛藤としては、あまりに浅い描き方だと思います。

 勉を演じているのは新人の俳優さんらしいですが、セリフがあんまりないし、彼の演技(といっていいのか、、、)の拙さも大いに影響していますが。すごい濃い顔というか、妻夫木くんをさらに濃くした感じですかねぇ。喋り方もぎこちなく、どうして彼を起用したのだろうか、と疑問。

 先日、「「子供を殺してください」という親たち」(押川剛著/新潮文庫)という本を読んだんですが、それはもう、壮絶というか、想像を絶する世界がそこにはありました。だから、本作で描かれているのは、ホントに薄っぺらくしか思えません。実際にあった開成高校生絞殺事件も、こんなもんじゃないでしょう。

 本作では勉が「七つの大罪」と題した散文で父親を罵って(罰して)いるんですけど、そんなふうに、胸の内を言葉にできている段階では、正直こんな事件にはならないんじゃないかという気がします。その時点で子どもは子どもなりのSOSを親に出しているはず。でも親は見過ごしてしまう。本作ではそういう親の“見過ごし”によって、子が何度も味わわされる絶望が完全に欠落している。

 さらにいうと、子が暴れたり引きこもったりという“身体を張った”段階ではもう、言葉で悶々とする段階はとっくに超えてしまっているんです。だから、体当たりになるんです。なのに、あくまでも新藤さんの脚本では、理屈で話が進んじゃっている。そこがもの凄く物足りなさを感じるんだと思います。
 
 本作の見どころは、唯一、音羽信子さんの熱演です。勉が死んだ後、音羽さんが演じる母親・良子は、外出する際に必ず大きな黒いサングラスをかけるようになります。なぜかというと、人に顔を見られたくないから。夫の「サングラスをかけたくらいじゃ顔は隠れまい?」との問いに「隠した気持ちになれば良いんです」と言う良子。

 昭和な親父を演じたのは西村晃さん。頭の悪い、イヤな親父を、実に巧く演じておいでです。さすがです。

 というわけで、絶望と言えば確かに絶望シネマだけど、トラウマにはならないかな。私にとっては、歯応えのない、消化不良映画でした。





雪の林の中でのセックスが寒そう




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