作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67241/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
ニューヨーク州北部にある小さな教会ファースト・リフォームドの牧師トラーは、戦争で失った息子への罪悪感を背負っていた。
ある日トラーは礼拝に来たメアリーに、環境活動家の夫マイケルの悩みを聞いてほしいと頼まれる。仕方なくメアリーの家に出向きマイケルの話を聞くと、彼は地球の未来を悲観し、メアリーのお腹の子が産まれてくることに後ろ向きにいた。
説得にあたる反面、内心マイケルに共感し、自分の説明に納得できないトラー。さらに所属する教会が環境汚染の原因を作っている大企業から巨額の支援を受けていることを知り、次第にトラーの信仰心は揺らぎ、怒りにも似た感情が彼を蝕んでいく。
=====ここまで。
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実は、見てからもう2週間近く経っているので、本当は感想を書くのもやめておこうかと思ったんだけれど、、、一応、思ったことをつらつらと書き留めておくことに。
……まあ、何となく格調高そうな脚本と演出にごまかされそうになるんだけれど、この映画は、牧師の男トラー(イーサン・ホーク)が、一人で勝手に拗らせに拗らせた挙げ句、自爆テロに突っ走る、、、というだけのお話。
正直言って、信仰を持たない人間……というより、宗教に懐疑的、いやもっと言っちゃうと、胡散臭いとさえ思っている人間にとって、“トラーが悩んでいるの図”がどれほどの重みのあることなのか理解が及ばず、なんか気持ち的にかなり引いていた。
セドリック・カイルズ演ずるメガチャーチの生臭牧師は、トラーと対照的に描かれているんだが、むしろこの生臭牧師の方が、まだ理解できる気がする。教義と現実と割り切って生きれば良い、、、というのは、神に仕える者(?)としてはあるまじきことかも知れないが、裏を返せば、それくらい神の教えなんてものは建前論だってことじゃないのか。
だから、まったく笑顔のない、四六時中眉間に皺の寄った顔のイーサン・ホークを見ていて、彼が何にそこまで苦悩しているのか、頭では分かる様な気がしても、気持ち的についていけなくなっていた。
挙げ句、神よクソ喰らえ!! となるのなら分かるけど、まあ、ある意味そうなんだろうけど、教会に自爆テロしに行こうとするなんてのは、いい加減にしてくれ!と言いたくなる。
本作は『タクシードライバー』との相似性が言われているが、確かに終盤のトラーは、デ・ニーロ演ずるトラヴィスと同じこと(武装)をしている。私は、『タクシードライバー』もトラヴィスも好きじゃないけど、トラーよりはマシかも。だって、トラヴィスが武装に至る過程は、どこにでもありそうな話で、人間臭さ全開だけど、トラーの場合、神との対話が行き詰まったんだもんね。知るかそんなん、って感じだわ。
特に、アメリカのキリスト教(福音派)の異様さを日頃ニュースなどで目の当たりにしているだけに、宗教のネガティブな部分が、また私の中に刷り込まれた感じ。
信仰は自由だし、尊重されるべきものだけれど、信仰を振りかざして横車を押しまくり、常識を非常識と決めつけ、無理を通して道理を引っ込めるのはやめてもらいたいわ。科学的に正しいことは正しいと認めることも大事でしょうよ。
……というようなことを、終盤、有刺鉄線を身体にグルグル巻き付けているイーサン・ホークの姿を見ながら、ボーッと思っておりました。
『タクシードライバー』と違うのは、トラーは、実行に移さなかったってところ。で、あのラストシーンの意味は、、、? となるのだけど、私にとってはもうどーでもよいことでありました、、、ごーん。
宗教が腐りきっているなんて、何を今さら、、、な感じ。
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