映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

主戦場(2018年)

2019-05-22 | 【し】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv67510/

 

以下、上記リンクより内容紹介のコピペです。

=====ここから。

 映像作家、YouTuberとして活動する日系アメリカ人のミキ・デザキが、日本と韓国の間に横たわる従軍慰安婦問題に迫ったドキュメンタリー。ネトウヨの主張に好奇心を掻き立てられたデザキは、数々の疑問を胸に、日米韓で論争の中心にいる人物を訪ねる。

 ジャーナリストの櫻井よしこ、弁護士・タレントのケント・ギルバートなどが作中に登場。

=====ここまで。

 濃いメンバーが続々スクリーンに現れるドキュメンタリー映画。

 

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 10連休中の終盤、ラ・フォル・ジュルネのコンサートの合間を縫って見に行って参りました。連日満席の盛況ぶりだそうで、この日のこの回も満席で、立ち見の方々も。やっぱりネット予約って便利。

 さて、こういう映画の感想を書く以上、自分の立ち位置をあらかじめ書いておくべきでしょう。私自身は、従軍慰安婦について、軍の強制はあったと判断しているし、櫻井某や杉田某らは歴史修正主義者だと認識している。

 ……という前提で本作の感想を述べます。

 

◆世間の評価と、私の感想との乖離は激しい。

 本作は、この従軍慰安婦問題における問題点を挙げ、それについて一つずつ、否定論者、肯定論者双方の言い分を述べている箇所を切り貼りして編集し、まあ、バーチャル討論のような形式で見せている。実際、パンフを読むと、誰のどの発言をどこで使うかということについて、付箋をあちこち貼りまくってチームで考えたというようなことを監督は語っている。

 そして、ドキュメンタリーとはいえ、ドキュメンタリーだから、やはり制作者の意図は明確で、その結論に持って行くための作りになっている。つまり、軍の強制性はあり、否定論者は歴史修正主義者である、という結論。そして、そのこと自体に別に異論はない。

 なので、私の立ち位置と本作の制作意図は同じなのだけれども、鑑賞後、溜飲を下げることもなければ、賞賛する気にもなれなかった。なぜか、、、。

 まあ、やっぱり何よりも、自国の恥ずべき歴史を見せつけられた不快感というのはイヤでも感じざるを得ない。しかもそれを、監督による早口英語のナレーションで展開していく。これが日本人の手によるものなら、そんな気持ちにならなかったのかも知れないが。

 また序盤から、櫻井某等、否定論者たちを「歴史修正主義者」と呼んでいるのも、引っ掛かった。確かに彼らは修正主義者だと私も認識しているが、この映画を通して、慰安婦問題の何が問題なのかを洗い出して検証するというのなら、最初から「歴史修正主義者」とレッテルを貼るのはいかがなものか。やっぱり「否定論者」とかにすべきだったんじゃないか。

 そして何より、本作は確かに意欲作であり力作だが、申し訳ないが、これで何がどうなるわけでもないだろう、、、、という虚しさが一番大きかったかも。だって、本作は、これまで慰安婦論争で否定論者VS肯定論者がさんざんやり合ってきたことを、結果的になぞっただけだもの。否定論者の言うことはいつも同じ、と肯定論者は言うが、肯定論者だってそういう意味では同じだろう。つまり、この問題は、これまでも、本作でも(そして恐らくこれからも)、両者は平行線のままなのだ。

 話題になったことで、無関心だった人が本作を切っ掛けに問題意識を持つことがあるだろうし、それだけで本作の意義があるというのも否定はしない。何事も、どこから風穴が空くかは分からない。チリツモで、コツコツと活動を続けることの意味は確かに大きいと思う。

 ただ、こういう映画は、否定論者たちの多くは見ないだろうし、見ずに平気で批判をするだろう。まさに、本作内でも語られていた「(自分と立場が)反対派の書いた物など読まない」というのは、世間一般にもそのまま当てはまる。人は、見たいことを見るし、聞きたいことを聞く。

 本作の感想を、Twitter上でジャーナリストの江川紹子氏が述べていたが、それが、本作への批判であったことから、肯定論者やリベラル派から猛烈なバッシングを浴びていた。江川さんはその一つ一つには対応していないが、彼女を「極右の片棒担ぎ」とか「ネトウヨの味方」などとこき下ろしているコメントも少なくない。江川さんの普段の言動を見ていれば、そんな思想の人じゃないことなど明らかだし、自分とモノの見方がある部分で違うからといってその相手を全否定する言動は、リベラルが毛嫌いしているネトウヨのそれと全く同じで、ここにこの問題の根っこを見る思いだ。

 確かに江川さんの本作へのツイートには??という部分もあったが、彼女の言いたいことは私でも何となく分かる気がした。彼女の「アンフェア」という言葉は、中立性を保っていないことを指したのではないと思う。ドキュメンタリー=中立じゃないことはジャーナリストとして弁えているはず。彼女が感じたのは、本作の作り方の“意地悪さ”に対する不快感ではなかろうか。

 例えば、江川さん自身がツイートしているが、「国家が過去を謝罪する問題について、米国の戦時中の日系人強制収容問題という国内問題を対比させて、日本を批判するのはアンフェアの一例」とあるように、否定論者が謝罪不要と喋っている映像とレーガンが謝罪のスピーチをしている映像を交互に見せるところなどは、それは同じレベルで語ること??と私も感じた。原爆を落としたことをレーガンが謝罪している映像なら、それはアリだろうが。そう言えば、きっとアメリカは「こっちは戦勝国だぞ」と言うのだろう。しかも本作の監督は、日系とは言えアメリカ人である。アメリカが正義と言われているみたいで、苦笑したのは私だけじゃないはずだ。じゃあ、アメリカが負けたベトナム戦争のあれやこれや、、、一つでもアメリカが外国に謝罪したことあるの??とかね。ああいう映像の見せ方は、肯定論者からでさえ、そういう余計な反感を誘発する、あまり賢くない作りだと思うんだけどなぁ、、、。それを指摘したら、ネトウヨなんでしょーかね??

 あと、意地悪の最たるものは、否定論者の人選。まあ、確かに否定論者たちに、あんましマトモに話せる人はいないかもだけど、秦郁彦氏には取材を断られたそうだから、そうなると、ああいうメンツになってしまうのか、、、。とにかく、選ばれた否定論者たちの論調のお粗末さは、肯定論者から見れば隙だらけなのである。ケント・ギルバートはその中では割とロジカルな物言いだったと思うが、その他の方々は精神論とかただの妄言(「日本軍がそんなことするはずないと直感で分かった」とか「日本人は嘘を言うことがいけないと教えられているから嘘は言わない」とか「フェミニズムを始めたのはブサイクな人たち。見た目も心も汚い人たちだ」とか、、、アタマ大丈夫??と思わざるを得ない)が続き、こんなことしか言えないような人たちばかりを選び、ラスボスに加瀬英明氏を出してきて、彼のトンチンカンな受け答えを嘲笑う、、、、。陣営の人材不足を差し引いても、そしてそれが陣営の実態を表しているとしても、その構成には底意地の悪さを感じてしまった。加瀬英明氏の喋っているシーンでは、劇場内で笑いが起きていたが、私は到底笑える気分じゃなかった。彼らが安倍首相を先頭にした日本の主流派だと世界に思われるのだとしたら、日本人として恥ずかし過ぎる。……こういう思考回路もネトウヨと同じとか言われちゃうんでしょーか?  

 

◆何と闘っているの??

 否定論者たちの話を聞いていて、途中から思っていたことは「この人たちは一体、何と闘っているんだろう?」ということ。

 彼らも慰安婦がいて慰安所があったことは認めているが、それが、日本軍(or日本政府)の管轄下にあったことを頑なに否定している。

 そもそも、肝心の強制性について、否定論者は、安倍首相が国会で答弁したように「身体的拘束」を伴うことを強制と定義しており、肯定論者は身体的な拘束がなくても、そうせざるを得ない「精神的な抵抗抑制」「物質面からの誘導」を強制としている。定義が違えば、両者の議論が噛み合わないのも当たり前。ただ、彼らの言う「強制じゃなきゃ良い」というのは、昨今、世間を賑わせている性犯罪無罪判決で抵抗できたか否かに焦点が当たるのと同じで、性暴力の事実を矮小化したいだけにしか見えず、他国には卑劣そのものに映ると、なぜ気付かない?

 彼らは、現在の価値観で当時のことを裁くのはオカシイとも言う。確かにそういうこともあるだろうが、少なくともこの問題(女性の人権侵害)で、戦時下であることや、女性の地位が世界的に(現在より)低かったことを理由に、慰安婦・慰安所の存在を肯定し、「それのどこに問題が??」と全世界に向かって開き直るのは、彼らが死守したい、日本という国の尊厳を著しく傷つけていることに、なぜ気付かないのか。否定論者が反論すればするほど、人権侵害を肯定しているのよ? だって、彼らは、慰安婦や慰安所の存在自体は認めちゃっているのだから。それすらなかったと言い張るのならまだ分かるが、、、。戦争自体が人権侵害そのものだ、とか言うのは、論理のすり替えでしょ。

 そしてまた、彼らは、慰安婦や慰安所などは日本だけじゃなく、他国でも有ったと言う。有ったかも知れない。しかし、例え戦時下でも、当時から国際的に表向きは人道に背くものとして対処されていたのであり、「他でもやってたのに何でウチだけ……?!」というのは、「だってアイツもやってたもん!」とダダをこねるガキンチョのセリフと同じで、これも、言えば言うほど、言う者たちの幼稚さ・愚かさを露呈する論理であることに、なぜ気付かないのか。

 認めることは彼らにとって何だというのだろう。屈辱? 自尊心の問題? でも、戦争も慰安婦問題も、現在に生きる私たちのとった行動ではないし、そういう史実に対して私たちは為す術もないのだから、恥ずかしさは否めないにしても、過剰な屈辱を感じる必要はないのでは? 自尊心は大事だが、少なくとも彼らの自尊心は、日本という国の尊厳を守ることに貢献していない。

 つまり、彼らが闘えば闘うほど、彼らの意図とは反対に、日本の尊厳を貶め、国際的地位も低下することになっている、、、のだけれど?? 彼らの言動が、相手を悪い意味で刺激し、頑なにさせ、過剰な反応を誘発しているのだけれど? ……彼らは何と闘っているのか? もしかして、日本では彼らはその闘いに勝ったとでも思っているのか??

 何と闘っているのか分からないが、自分たちの主義主張や自尊心を守ることに血道を上げる前に、もう少し、“国益”とか“日本にとって損か得か”といった現実的な判断力が欲しいよね。この問題を否定することは、慰安婦=女性の人権蹂躙を肯定していることになる、その損失の大きさをもう少し冷静に考えてもらいたいのだが。当時の価値観なんて、時間が経てば経つほど現代人からは見えなくなり、現在の価値観がますます優先されていくことに、いい加減気付けよ、と言いたい。

 潔さって大事よね。多分、否定論者たちの誇る、日本人の精神性(?)の一つに「潔さ」はあると思うが、彼らの言動には、その潔さがまるでないのが皮肉。

 かと言って、本作を絶賛している肯定論者たちも短絡的だと思う。

 日韓双方の肯定論者と否定論者が、同じ土俵に上がって、何が事実で何がデマなのか、一つ一つ検証することから始めるしかないと思うのだけど、両者の姿勢を見るに、まあムリだろうね、、、と絶望的な気持ちになって劇場を後にしたのだった、、、ごーん。

 

 

 

 

 

「終わりなき論争に、この映画が終止符を打つ」という予告編の惹句は、ほとんど詐欺。

 

 

 

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