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映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

フォックスキャッチャー(2014年)

2015-03-30 | 【ふ】



 世界屈指の財閥デュポン家の御曹司(?)ジョン・デュポンから、唐突にサポートの申し出を受けたロス五輪金メダリストのレスリング選手マーク・シュルツ。イマイチ、その申し出の本意を量りかねるが願ってもいないお話に、マークは乗る。しかし、同じく五輪金メダリストである兄のデイヴは乗らない。デュポンの狙いはディヴだったのだが、、、。

 ジョン・デュポンは“フォックスキャッチャー”と名付けたドリームチームを結成し、専用の練習環境を用意しマークをサポートする。が、やはりデイヴを諦められないジョン。マークとの関係も程なく悪化する。

 ジョンの熱心な誘いに折れたデイヴは、フォックスキャッチャーに参加する。が、久しぶりにマークを一目見て、異常に気付く。明らかに、ジョンとの間に何かあったのだと。

 、、、あとは、ジョンの勝手な思い込みによる男の三角関係(?)が暴走し、悲劇的結末へ。

 マッチョ男の絡み合う、男だけの恋愛映画(と見た)。、、、ビジュアル的に、かなりキツイ。  
  

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 マークがジョン・デュポンと、夜中(だと思う)に延々と2人きりでスパーリングするシーンがあるんだけど、もう、これ、ハッキリ言って、セックスシーンじゃん! と、思わず途中で目を背けました。

 そーしたら、帰宅後パンフを読んでビックリ。町山智浩氏が、まさしく「ほとんどセックスだろ!」と書いていて、やっぱ、そーかぁ、アタシだけじゃないんだ、そう思ったの、、、とホッとしました。

 ・・・というくらい、この作品は、男の男への熱い思いに溢れており、いささか引いてしまいました。別にゲイを否定する気はないし、決して直截な描写じゃないけど、それだけにかなり露骨な婉曲表現で、胸が悪くなりました。

 我がパートナー氏であるMr.P改めマルコ(、、、Mr.Pって、ちょっとセンスなさ過ぎなのと、キーを打つのがメンドクサイのでこのブログ上での名前を「マルコ」と、勝手につけることにしました。由来は大したことなくて、私の三大好きな映画の1つである『アンダーグラウンド』のイカレた主役の名前、というだけです。外見からイメージする感じは全然マルコじゃないけど、マルちゃんとか、呼びやすそうでいいかなと。本人はそんな風に書かれているとはもちろん知りません。当ブログの存在さえ知りません)は、子どもの頃から、空手をやっていたんだけれども、その前に、ちょっとだけ親に柔道教室に通わされたんだとか。

 で、柔道教室で初めて寝技を掛けられたマルコは、相手の股間が顔にギューギュー押し付けられて(もちろん相手は真剣勝負しているんですが)、かといって、手で押しのける訳にもいかず、もう気持ち悪くてどーしよーもなくて、早々にタップしたんだとか。小学3年生か4年生だったらしいけど、これがトラウマになって、格闘技は打撃系しか受け付けなくなり、空手を始めたらしい。

 だから、彼にとっては、レスリングなんてもってのほかなわけで、五輪中継とかで、柔道はまだ見られるけど、レスリングは気持ち悪いとかって見たがらないのよね。まぁ、確かに、私もレスリングはあんまりビジュアル的に好きになれない種目です(レスリング愛好者の方、すみません)。

 本作中でも、ジョンのお母さんが、レスリングを「下品なスポーツ」と決め付け、ジョンもろとも激しく拒絶するのだが、まあ、そこまでじゃないにしても、お母さんがレスリングを受け入れられなかったのも、ちょっとだけ分かってしまう、私には。

 格闘技と言う意味では、レスリングはもしかしたら最強かも知れない。少なくとも(今の五輪競技としての)柔道なんかより、ゼンゼン強いだろうと思う。しかし、そのプレイスタイルは、、、、。

 ここで、私はふと思ったのです。そもそも、ジョンはどうしてレスリングが好きになったのだろう、と。そういう描写は全くなかったので分からないし、想像もつかない・・・。どこに魅力を感じたのかしらん。彼のゲイという性癖がなにか関係しているのかも、というのは邪推かしら。

 とまあ、レスリング談義はともかく、本作についての本題です。

 本作は、冒頭では男だけの恋愛映画、なんて書いたけれども、実際は、ジョンのマザコン映画、と言った方が正確かも知れません。ジョンは、物質的には何不自由ない身分だけれども、それが余計に、精神的な孤立感を際立たせ、彼が孤独を痛いほど感じてしまう環境だったのです。何より、一番、無条件に愛してくれるはずの母親に、拒絶されるのですからね。これは、彼の人格形成に、とんでもない影を落として当然です。

 母親は、どうしてジョンを愛せ(さ?)なかったのでしょうか。これも、本作での描写はありません。ジョンが幼いころ両親が離婚しているようですが、、、。私の勝手な想像だけれど、どうも、ジョンという子は、大人に愛されにくい子だったんじゃないか、という気がするんです。本作でのジョンはものすごく無表情で能面みたいな顔をしているんだけど、それは母親に愛されなかったから結果としてそうなったのかも知れないけれど、幼いころから、こういうツルッとした血の通っていない感じの、なんというか、可愛げを感じられない子だったのではないだろうか、と。それでも、大抵の母親は、我が子を可愛いと思うのだろうけど、そうじゃない母親がいても不思議じゃない。

 これは、最近、篠田節子の小説「青らむ空のうつろのかなたに」を読んだから、余計にそう思うのかも。ここに出てくる少年は、もう、理屈ではなく母親に愛されない子、なのです。こういう子、確かにいるんだろうな、と思ってしまう。ジョンもそうだったんじゃないか、と。

 でも、子どもに罪はないのです。そういう子に生まれてしまったのであって、自分の意思でそういう子として生まれてきた訳じゃない。なのに、親に理屈抜きで拒絶される。こんな悲しいことってあるでしょうか。生まれてきたことで疎まれるだなんて。

 ジョンは、結局、誰からも愛されず、誰からも必要とされず、孤独の淵を彷徨い続け、絶望を受け入れることができずに罪を犯してしまったわけだけど、彼がフォックスキャッチャーを興したのだって、詰まる所は、自分が必要とされていることを実感したかったのであって、生涯、愛情を渇望し続けた人生だったんだろうと容易に想像がつきます。渇望が激しいからこそ、絶望の底も深い。嗚呼、、、

 デイヴが、本当にイイお兄さんなんです。人間的にも非常にノーマル。片や、マークは脳みそも筋肉系、寡黙。マークとジョンが険悪になった直接の理由は、映画ではマークがジョンに練習方針等で逆らったから、みたいに描かれていたけれど、実際はマークがジョンに迫られ、それをマークが拒絶したからだ、ということらしい。なるほど、すごい納得。

 本作は、映画としては、とても素晴らしいです。セリフでいちいち説明しない。回想シーンで説明しない。全て、時系列で話は進み、きちんと余白を残した演出と構成がされていて、見る者を想像の世界へと誘ってくれます。とても重いテーマですが、キッチリ最後まで観客の心を掴んでくれています。鑑賞後感は、、、まあ、悪いですが。

 ジョンはどうしてああいう行動に出てしまったんだろう、としばらく考えましたが、答えは出ませんでしたが、ぼんやりと、絶望を絶望と認めたくなかったんだろうな、そしてターゲットがデイヴになった理由は、デイヴが自分が人生を通して渇望してきたもの全てを手にしている男だったからかな、と。だからマークじゃなかったんだろうな、と。

 あと、1つだけ疑問だったのが、マークがジョンにそそのかされてコカインをやってしまっていたんだけど、ああいうのって、ドーピングで引っ掛からないんですかね? 常習でなければ大丈夫なのでしょーか? 謎です。
  





いろんな意味で、もう一度見たいとは思えない佳作。




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ブルージャスミン(2013年)

2015-03-07 | 【ふ】



 富豪の夫との関係が破綻して没落セレブとなったジャスミン(ケイト・ブランシェット)は、たった一人の妹を頼ってニューヨークから、はるばる西海岸のサンフランシスコまでやってくる。ヴィトンのでっかいスーツケースをいくつも引っさげて・・・。

 なーんだ、、、これは、現代版『欲望という名の電車』じゃんね。
  

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 ガンガン宣伝していたのは見ていたけど、あんましそそられなかったので劇場へは行かず・・・。そうしたら、友人が見に行っていて「良かったよ~」と言っていたので、じゃあDVD鑑賞でもするか、と思って見てみた次第。あんだけ予告を見ていたのに、予備知識ほぼゼロで見たんですけれども、これ、ウディ・アレンが監督してたんですねー。

 まあ、のっけからケイト・ブランシェット演ずるジャスミンがイッちゃってるのは分かるので、これはツラい。

 大学中退して、一度も働いたことなく、贅沢三昧の生活をしていた女。これほど、世間で使い物にならない存在ってあるでしょーか。大学は卒業していなくても行ったことがあるから「高卒」ではないというプライド、働いたことがないというMax世間知らず、贅沢三昧を「人の金」=「夫の稼いだ金」によってしてしまったために金とはどこかから自然に降ってくるものだと勘違いしているオメデタぶり、こんな三拍子そろった人間、どーすりゃいいのさ。

 そんな、どーしようもないジャスミンが自立の手段に選んだ資格が、これまた、ものすごく「らしい」選択で、笑えるどころかドン引きしました。はい、その資格とは、い・ん・て・り・あ・こーぢねーたー、でございます。うー、これほど、彼女のプライドを傷付けず、「それっぽい」オシゴトってあるでしょーか、、、いや、ない。ウディ・アレン、さすが、、、。

 もちろん、上手くいくはずありません。なにせ、パソコンもろくに使えないのですからね、イマドキ。

 (余談ですが、セレブじゃないけど幸せ一杯の生活から夫婦関係が破綻して、一気にどん底に突き落とされる、という話としては『微笑みをもう一度』という駄作映画と共通していますが、あっちは、もう、ホントにあまりに頭の悪い映画でイヤになりましたが、そういう意味では、本作の方が百倍リアリティがあると思いますね。ま、ホントに余談なんですが・・・)

 で、ジャスミンに執拗に辛く当たるのが、妹の恋人チリですが、コイツがまたウザイというか、嫌らしい。確かに、ジャスミンを見てりゃイラつくのは分かりますが、お前がそこまで彼女を罵る権利はねぇだろ、と言いたくなるのよ。しかも、顔が濃くて暑苦しい、、、。うー、ウザっ。

 そう、この構図は、あの『欲望という名の電車』のまんまでござんした。もっとも、『欲望~』の方がジメッと暗くて陰湿ですけどね。マーロン・ブランドが演じたスタンリーに比べりゃ、チリなんて、まだまだ甘い。でもって、ジャスミンも、ブランチに比べればまだまだマトモ。

 まあ、途中、ヒロインが別の男との結婚に活路を見出そうとするところとか、ラストに救いがないところも、まんま同じです。

 『欲望という名の電車』は、私は、正直言って嫌いな映画でして、それは、登場人物誰にも共感できなかったからなんだけれど、今回、この『ブルージャスミン』は、それほど嫌悪感は抱きませんでした。、、、はて、何でだろう。と、自分なりに考えてみました。

 まず、ヒロインのジャスミンが、ブランチよりも、まだ可愛げがあるような気がします。ブランチは、もっともっとエキセントリックで、なおかつ妹への気遣いなどまるでなかったですもんね。それに比べれば、ジャスミンはまだ、居候には違いないけれど一応バイトにも行くし、社交の場に自ら出ようと、能動的な部分を垣間見せます。

 あと、ヒロインの妹の描き方です。ジャスミンの妹ジンジャー(サリー・ホーキンス)は、ブランチの妹ステラより、よっぽどだらしないし、スキだらけの、まあ蓮っ葉おばさんです。ステラみたいに、ちょっと大人しそうな控えめっぽい感じではゼンゼンありません。だから、ジャスミンのイカレっぷりが緩和されているのだと思います。

 あと、出てくる男がどいつもこいつも、まるで魅力がないヤツばかりで、正直、反吐が出そうでした。ジャスミンの元夫も拝金イカサマ野郎だし、新たに出会った政治家の卵は妻をパートナーではなく自分のお飾りとしか見ていない男尊女卑野郎だし、義理の息子もエキセントリックな自己陶酔野郎で、一体どーなってんのさ、と思っちゃう。こんな奴ら、纏めて捨ててやりゃぁいいんだよ、ジャスミン!!

 ・・・とエールを送りたいけれども、肝心のジャスミンは自立を知らないだけでなく、男を見る目がまるでないおバカ女なので、もう、お手上げです、ハイ。

 そりゃ、『欲望~』の時代なら、女性が自立するのは今よりかなりキビシイだろうから、ブランチみたいな女性は、ある意味、時代の徒花として、まだしもその存在が認められていたでしょうが、現代においてそりゃアカンでしょ。

 オメデタイ思考回路とはいえ、とりあえずインテリア・コーディネーターとして自立しようと一念発起したのに、ちょっと条件の良い男が現れると、途端にそいつにすがりつこうとするジャスミンお姉さま。こういう人って、学習能力がないんだろうね、多分。自分の力で何かをする目先の大変さより、カネがどこからか降ってくるであろう何の保証もない未来が、彼女には明るく見える訳だ。だからこそ、ああいうラストになる訳だ。そう、ウディ・アレンの選択は、正しい。

 でも、私は、やはりジャスミンが気の毒でならない・・・。彼女の今後を思うと、胸が痛い。何とか、彼女を救う道はないのだろうか・・・。やっぱり、金満男しか、彼女がすがるものはないのだろうか。彼女が自分の足で立つ日は、永遠に来ないのだろうか・・・。

 神様、どうか、彼女に自立の機会をお与えください。・・・ま、その前に彼女の精神状態を治すのが先ですが。



稼ぎが良いからって、そんなヤツに自分の全人生預けちゃって大丈夫?




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ブレッド&ローズ(2000年)

2015-02-16 | 【ふ】



 不法移民のマヤが、移民としての権利に目覚め、仲間とともに闘い、勝利を得ながらも、自分の犯した罪から本国へ強制送還されるという苦いお話。

 マヤを目覚めさせるのは、エイドリアン・ブロディ演じる、アメリカ人の白人青年サム。ま、2人は恋仲になるんですけどね、お約束通りに、、、。

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 『戦場のピアニスト』のパンフを読んだら、エイドリアン・ブロディが、自身の役者人生に影響を与えた監督として、ローチの名前を挙げていまして、彼の出演したローチ作品が本作でした。何と、脚本も見ないで出演を決めたとか。そんなの、これが初めてだったと、書いてありました。

 エイドリアン・ブロディの出演作は、実は、何気に見ていたのですが、彼を認識していなかったのですね、私。『戦場のピアニスト』で、初めて名前と顔をしっかり認識した俳優さんだったのです。

 ローチ好きの私ですが、本作のことはあんまりよく知らなくて、当然、エイドリアン・ブロディが出演していたことさえ知らず、パンフの記事を見て、ようやく見てみようと思った次第。

 社会派、社会派と言われるローチです。私は、彼へのそういう呼称は実はあんまし好きじゃないんだけど(リベラル=社会派、じゃないと思うんだけどなぁ)、こういう作品があると、まあ、そういうレッテルがベッタリ貼られるのは、致し方ないな、と納得せざるを得ませんでした。そういう作品でした、これは。

 なんつったって、扱っているテーマが労働運動ですからねぇ。しかも、不法移民のです。移民というだけでもハンディなのに、不法とくれば、もう何をか言わんやです。

 正直、主人公のマヤが、私はあんまり好きじゃないのね。なんつーか、最初からアマちゃん丸出しなんです。実の姉、ローサに翳があるので、これは何かある、と思って見ていたら、案の定、、、。もちろん、マヤは若いので、仕方がないのです、アマちゃんなのは。若さゆえに、正しいことが好きだし、それを主張するし、自分の欲望にも正直です。怖いものなしなんだよね、ある意味。自分も通って来た道だけに、見ていて嫌悪感を催すのだと思います。

 ですが、マヤは頭も良い。サムが彼女たちの権利を主張し、立ち上がろうと鼓舞するのだけれど、そんな彼に冷や水を浴びせます。「あなたのリスクは何?」、、、これは、言われたサムは堪えるでしょう。実際、ガツンと来ていた様子です。

 でもって、サムには猛烈果敢に挑み、まさしく肉食女性で、こういうところは、正直羨ましいというか、私にもこれくらいのガッツがあればなぁ、というか。・・・ま、それなりに当たって砕けてきた訳ですが、ここまで猛然と挑んだことは、ありませんでした、はい。

 痛いのは、ローサの人生です。彼女は、本当に苦労してきたのです、自分のためではなく、家族のために。彼女の感情が爆発するシーンは、涙なくして見られませんでした。

 ローチが描きたかったのは、こういう、不条理でしょう。これは、彼の全作品に通底するものです。出自で人生が決まっちゃう不条理。でもって、弱者への眼差しに欠ける社会への怒り。ローサのあの哀しい告白は、ローチの怒りそのものだとも思います。

 とはいえ、ローチの厳しいところは、マヤにキッチリ落とし前をつけさせているところです。弱者ならオールオッケーとはさせない。マヤが犯した罪が原因で、彼女は権利を獲得しながら、その勝利に酔っている真っ最中に、強制送還を言い渡されるのですね。この辺がローチらしい、かな。

 エイドリアン・ブロディは、なるほど、良い俳優さんです。本作を見て、それは非常によく分かりました。オスカー後は見ていないので、彼がその後、どんなふうに脱皮したのか知りませんが・・・。いや、『グランド・ブダペストホテル』で見ていたのだった、そーいえば。でも、ほとんど記憶ないなぁ、、、。あの作品自体、あんまし残るものがなかったもんなー。ごめん、エイドリアン君。
何が別の作品で見てみますわ。

 


「ケン・ローチは社会派」と言われる所以はこういう作品があるからだね




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フォー・ウェディング(1994年)

2014-12-10 | 【ふ】



 結婚したいわけじゃないが、ずっと独身ってのもなぁ、、、というありがちな思いを抱いていた男チャールズが結婚に踏み切り、そして、自分の結婚式で自分の結婚をぶち壊すまでの顛末。

 ・・・まぁ、ちょっと違うけど、『ブリジット・ジョーンズの日記』の男性版ってとこでしょーか。「結婚」がメインディッシュってのが。

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 主人公が女性で結婚に悩む話は星の数ほどありますが、これはその男性バージョン。正直、あんまし面白くなかったです。

 大体、男性がずっと独身でいると、どーして「ゲイ」が必ずキーワードに出てくるんでしょうか? これ、お約束ですけど、いい加減ウンザリします。

 ・・・と思って見ていたら、なんと、ずっと独身の女性フィオナ(クリスティン・スコット・トーマス)に対して、あるお婆さんが言うのです、「あなた、レズビアン?」 って、、、。フィオナは唖然としておりました。あんましこういう展開って現実でもありませんものね。男は結婚しないとゲイとほぼ100%言われますが、女性の場合は、むしろ珍しいのでは、そんなこと言われるなんて。

 と書いていて思い出したのですが、若い頃、見合い話を頑なに断る私に向かって、母親が言ったんでした。「あんた、もしかしてレズビアンなん?」 ・・・そうでした、私自身が、しかも母親に言われていたのだった!!! ごーん、、、

 ま、そんなことはどーでも良いのですが。

 本作のつまらなさの要因の一つは、恐らく、アンディ・マクドウェル演じるアメリカ女性キャリーの魅力が薄いからでしょう。悪女の設定だけど、佇まいは、なんというか、割とフツーな感じで。見た目もまあキレイではありますが、目を見張るほど、チャールズが一目で心奪われるほどのオーラを放ってはいないのですね。なので、ただの「イヤな女」になっちゃっているのです。これはダメでしょう。

 個人的に、チャールズには最後フィオナを選んでほしかったなぁ。男ってどーして本物の「イイ女」が分からないんですかね。

 キャリーが悪女、ってことだけど、それは恐らく、彼女がチャールズと出会ったその日に寝ちゃったり、かなりの年上男性と婚約した後もチャールズと寝ちゃったり、結婚式にチャールズを呼んで当てつけたり、チャールズの結婚式の直前に離婚したことを打ち明けたり、、、しているからでしょうねぇ。

 でも、これくらい、悪女でなくてもある話じゃないでしょーか? キャリーがおじさまと婚約したその心理が分からないけれど、「愛している」と彼女は言っていたが、本当はそうじゃなかったんでしょう、恐らく。何か、結婚に踏み切らざるを得ない彼女なりの事情があったのだと思います。だから、チャールズと寝た。だから、結局離婚した。、、、悪女じゃないよ、別に。

 その辺をもう少し丁寧に描いていれば、もうちょっと見所があったかも。でもこれは、男が結婚に悩む、というところをフォーカスする映画だから省略されちゃったんでしょうね。

 でもって、それがつまらないもう一つの要因で、本作は、とにかく人物の背景がゼンゼン描かれていないので、いろんな事情が全く分からないのですね。それでも、何とかストーリーにはなっているところが逆にスゴイけれども、凄く薄っぺらいです。チャールズが何でそこまで結婚に後ろ向きなのか、という一番のキモが抜けているんです。

 そこは、ヒュー・グラントのあのルックス&キャラで説明させちゃってる、ってことなんでしょうかね。ヤサ男のおこちゃま、ってことで。

 本作は、大昔に見ているはずなんだけど、まったく記憶になくて、大分前にBSで録画したのをようやっと見た次第。終盤、キャリーがずぶ濡れでチャールズを訪ねてきたシーンだけは覚えていたので、やはり見ていたのでしょう、前に。

 エンドロールで、フィオナとチャールズ皇太子が結婚した(もちろん合成)写真が出てきて噴き出しました。こういうのって、イギリス人は笑えるんでしょうか。本作のチャールズと、皇太子のやっていることがほとんど同じ、ってのも、皮肉もいいとこ。日本でやったら、宮内庁に待ったかけられるだろうなぁ、多分。




結婚に悩む人のお話、、、の男性版。




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ブロンテ姉妹(1979年)

2014-08-27 | 【ふ】



 BSでオンエアしていたのを録画して見てみました。見るまでフランス映画とは気付かず・・・。イザベル・アジャーニだから予約したんだけど、タイトルからしてまさかフランスによる、フランス語の映画とは、だれが想像しましょうか・・・。がーん、、、。

 というわけで、のっけからショックを受けたわけですが、まあ、イングランド北部っぽい雰囲気(って行ったことないんだが、あくまでイメージ)は出ていた気がします。灰色の空とか、ジメッとした感じとか。でもって、話もすごーく暗いんですね、これが。見ているだけでウツになりそうです。ハッピーな要素と言えば、最後の方にシャーロットがちょっとだけ報われるところくらいですかねぇ。いやぁ、これはシンドイです。

 当時の(今もか・・・)階級社会の国で、決して裕福とは言えない家に生まれた人々ってのは、こんなもんなんでしょうか。こんなんでも恵まれた方なんでしょうか。何のために生まれてきたのだろう、と素朴な疑問が頭から消えません。なんというか、「希望」というものが見出せない生活なのです。

 彼女たちは、それでも才能が有ったので、後世、こうして存在を示すことができていますが、そうはいっても生きている間はせっかくの才能も埋もれる環境です。一体、彼らが何に喜びを見出して生きていたのか、この映画からは、全く読み取ることができませんでした。

 、、、だからこそ、「ジェイン・エア」にしろ、「嵐が丘」にしろ、ああいう話が書かれたのだろうと、ズーンと胸に重く納得させられてしまい、それはそれで非常に苦しい思いがします。書くことだけが、物語の中の世界だけが希望だった、なーんて陳腐だけど、まあ、そんなとこなんじゃないでしょうか。少なくとも、本作を見るとそう思わざるを得ません。

 話は変わりますが、ちょっと前にNHKで「ダウントン・アビー」という、時代こそ違えどイングランドの階級社会そのものを描いたドラマをオンエアしていたんですけれども、上流階級の生活は希望に満ちていたのかというと、まあ、物質的には恵まれてはいましたが、彼らは彼らでもの凄く生きにくそうでした。自由がないんですよね、根本的に。一番自由そうなのは、強いて言えば、中産階級でしょうかねぇ。それでも、天井は歴然とあり、選択肢は当然限られているわけです。

 そうしてみると、階級社会って何なんでしょうか、ってことです。だれもハッピーじゃない社会。何のために誰が作ったの、と聞きたくなっちゃう。いろいろ問題は山積でも、今や風前の灯か、あるいは幻のアメリカン・ドリームとやらを信じられた国の方がまだしも良かったのでは、と思っちゃいますねぇ、これじゃ。

 イザベル・アジャーニは、やはりため息が出るほど美しかったし、イザベル・ユペールはまだまだ若いけれども存在感があり、どちらも素敵でした。しかし、いかんせん、フランス語で「フランス語はよく話せない」とかいうセリフを吐いているのは、いかにもヘンで、見ている間中、居心地悪かったです。2時間そこそこの映画なのに、異様に長く感じたのもマイナス。

 あー、今度は、もっと明るい作品を見よう。

だから、彼女らはああいう作品ばっか書いたのか・・・