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映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

マジック(1979年)

2017-10-31 | 【ま】



 以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 コーキー(アンソニー・ホプキンス)はカードを扱う手品師だったが、スターダストというナイトクラブでは、客に受けず、やがてやめ、1年のちにファッツと名付けられた人形を操る腹話術師となって再び同じクラブに現われた。

 これが大受けし、スターとして、ベン・グリーン(バージェス・メレディス)というエージェントがつくまでになる。しかし、ニューヨークに進出したコーキーは、急にベン・グリーンと手を切り、クロッシンジャーという、彼の生まれ故郷に帰ってしまう。

 彼は湖畔にあるコテージを借り、その持主デューク(エド・ロータ)の妻で初恋の相手でもあったペギー(アン・マーグレット)と再会した。今は夫との愛もさめていたペギーは、コーキーの出現で、久方ぶりの性の歓びを感じた。

 しかし、縁が切れたと思っていたべン・グリーンは彼の跡を追って、突然姿を現わし、執念深く食いさがってきた。空恐ろしくなったコーキーは遂に人形ファッツの手をかりてベン・グリーンを殺し、さらに、旅行から帰ってきて、嫉妬心に燃えるデュークまでも殺し、自分も自決するのだった。
 
=====ここまで。

 若き(と言っても42歳)アンソニー・ホプキンスは、意外にイケメン……?? 

   
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 大昔にリストに入れておいたDVDが送られてきました。どうしてこれをリストに入れたのか、、、。でも、結構面白かった!


◆人形のファッツに操られていくコーキー

 アンソニー・ホプキンスというと、レクターのイメージが強烈過ぎて、何だか“怖い系”という勝手なキャラ設定をしてしまうのだけれども、本作で演じているコーキーはその設定のド真ん中ではないものの、端によってはいるものの、ややキワモノ的な感じで、かなり不気味。

 というか、ホントに不気味なのは、コーキーが操る腹話術人形のファッツなんだけどね。もちろん、ファッツとコーキーは表裏一体であって、コーキーの本音をファッツが担当している。でもって、このファッツ人形の造形が、不気味度をアップさせている。目がどろんとして、薄笑いを浮かべたような、ちょっと間の抜けた顔。一言で言うと“胡乱”。でも、そんなちょっと間の抜けた顔から飛び出す言葉はメチャメチャえげつない。

 考えてみれば、そらそーだよね。ファッツはコーキーが普通では口に出来ないような本音を、コーキーに代わって言葉にしてあげているわけだから、ファッツから飛び出す言葉の数々はえげつなくて当然。おまけに、間断なくしゃべり続けるから、ものすごくコーキー以外の人間の神経を逆なでする。あんな人形と、私は1分と一緒の空間にいられない、、、。

 でも、この、見た目と言動のギャップのおかげで、コーキーは売れっ子マジシャンになる。エージェントまでついて、テレビのシリーズ番組出演まで果たそうかというその矢先、コーキーは田舎にすっこんでしまう。もちろんこれには理由があり、テレビ局が健康診断書を出せと言ってきたからである。テレビ局としては、シリーズものである以上、出演者に病気で降板されては困るからだ。コーキーとしては、自分の精神的な歪みを自覚していたから、健康診断書を出すことによってそれが明るみに出ることを恐れたため、これを拒絶し、ベン・グリーンの前から突然姿を消したのだ。

 ううむ、、、千載一遇のチャンスを、こんなことで棒に振るなんて。アメリカの健康診断書がどんなもんか分からないけど、そんな精神科の検査まであるのかね? 日本だったら純粋に身体の検査だけじゃない? それに、精神科の病気なんてそんな簡単に診断がつくものじゃないだろうし、、、。

 でも、人間、弱みというか、負い目があると自意識過剰になっちゃうのだよね。それでますます卑屈になるというか、ドツボにハマるというか、、、。コーキーもまさにそれ。挙げ句、本当に、ファッツに操られるようになる。 


◆ファッツより怖いのは、、、

 しかし、そういう隠したいことほど、すぐにバレるもの。コーキーが、ファッツと共に狂ったように部屋の中で喚いているところを、グリーンにバッチリ目撃されてしまう。グリーンは瞬時にコーキーが自分の前から姿を消した理由を悟り、コーキーを医者に診せようとする。が、コーキーは、例によってファッツに間断なくマシンガントークをさせてしまう。そこでグリーンに言われることが、、、、

 「ファッツを5分間黙らせろ!!」

 コーキーは、何だそんなことくらい、とファッツを自分から離してソファに置くものの、1分も経たないうちに観念してしまう。このときの、ホプキンスの演技が凄みがあって怖い。冷や汗をかき、もういてもたってもいられない、というのが画面からヒシヒシと伝わってきて、こっちも手に汗握ってしまう。

 ファッツはコーキーの腹話術人形だけど、明らかに、コーキーを操っているのはファッツで、コーキーはファッツを制御できなくなっている。最初はファッツに本音を言わせていただけのつもりが、いつのまにか、コーキー自身でさえ思考の及ばない言葉を発するようになっている、、、。

 結局、こうして、第三者にファッツとの異常な関係性を知られたことを機に、コーキーはどんどんエスカレートしていき、コントロール仕切れなくなったファッツを腕にグリーンだけでなく、ペギーの夫デュークまで殺し、最後は自分も破滅するわけだが、ラストシーンが今一つピンとこないというか、、、。

 自分の腹を刺して虫の息のコーキーを訪ねてくるペギー。コーキーのコテージに歩きながら「決心したわ。あなたと町をでるわ、コーキー」と笑顔で叫ぶ。そして、ファッツの口調でこう言うのだ。「こんなうまいチャンスってないぜ」

 ペギーは、このとき、デュークの死を知らないはずで、あくまで駆け落ちのつもりでコーキーに「あなたと行くわ」と言っているはずなんだけど、見ようによっては、もしかしたらデュークをコーキーが殺したことを察しているのかも、、、? という気もしてくる。いや、多分、そうなのだろう。ということは、彼女は、人殺しと駆け落ちしようとしていることになるわけだ。

 このペギーという女が、正直なところ、本作の中で一番解せない登場人物だった。夫との関係は破綻していて、コーキーと関係を持つんだけれども、でも、夫と別れることにも躊躇し、、、と、非常にどっちつかずなのだ。それに、中盤で、コーキーに、カードを使った読心術を、「やってみて、自分にやってみせて」と執拗に頼み、コーキーを追い詰めるシーンがあるんだけど、どうもそういう“オカルト”的なものをイイ歳して信じているっぽい、ちょっと頭がよろしくない感じなのである。

 下半身が緩く頭も緩い女、、、。これが最後のシーンで高笑いしている。……って、結構怖くない??


◆その他もろもろ

 この、ファッツの腹話術だけれども、てっきり私は、後から音声を被せたのだと思っていた。見終わってから調べたら、何と、ホプキンス自身が腹話術を完璧にマスターし、自らが演じたのだという。……まあ、彼ならそれくらいやりそうだけど、すげぇ、、、。いっこく堂も真っ青だね。

 42歳のホプキンスは、まあ、それなりにイイ顔しているけど、どうしても役柄のせいもあるんだろうけど、ちょっとイッちゃってる感じが上手すぎてイイ男には見えないんだよなぁ。ジャケットの写真だけ見て、ホプキンス主演と知らされなければ、これがホプキンスと分からない人も多いのでは? 顔が丸くなくて細面だもの。

 バカっぽい女を演じたアン・マーグレットは中年女の色気全開でセクシー。なかなかの豊満バディで、あれなら、コーキーでなくてもイカレちゃうのは分かる。顔も美人だし、不可解な女を上手く演じていたと思う。

 アッテンボローというと、私の中では、ドリトル先生という刷り込みが強い。子どもの頃、よくテレビで放映されていたと思う。だからだろうけど、ああいう、自然の映画の人、みたいなイメージが勝手に出来上がってしまっているのだよね。でもそれは、同じアッテンボローでも、お兄さんのデヴィッド・アッテンボロー……。









ホプキンスのイカレっぷりをご覧あれ




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マイ ビューティフル ガーデン(2016年)

2017-04-30 | 【ま】



 ベラ・ブラウン(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)は、生後まもなく親に捨てられた過去が原因なのか、予測不能なことが大の苦手である。物の並べ方や食べ物の配置、スケジュール通りの行動などにこだわり、規則正しいことで安心するのだった。図書館司書をしながら、童話作家を目指して童話を書く毎日であったが、正直なところ、こんな融通の利かない性格の自分を変えたいとも思っていた。

 そんなベラの最も苦手なものは、植物。植物こそ、予測不能な自然の営みであり、ベラにとっては恐怖でさえあった。今の部屋を借りる際、庭の手入れをすることも契約項目に入っていたが、全く契約を履行できていなかった。そのため、隣家の老人アルフィー(トム・ウィルキンソン)には文句を言われるわ、部屋のオーナーからは退去を命じられるわ、で、ベラはやむなく庭造りに取り組むことに、、、。

 庭造りを通して、内気で変人のベラが成長して王子様に出会うという、激甘ファンタジー。


 
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 劇場で予告編を見た際には、「潔癖症で、かなり屈折した女性が、ガーデニングに目覚めてその道を極めるハナシ」的なものだと思いました。病みかけた女性が、自分に合った道を見つけて、ひたすら極める(色恋ナシ)という、職業物語的な話は割と好きなので、見てみようと思い、劇場まで行きました。

 ……が。


◆シンデレラ物語

 正直、中盤辺りから、「なんだかなぁ、、、」という感じになってしまい、後半は少々拷問でした。

 後で気付いたんだけど、本作の宣伝キャッチには「ガーデニングから始まるシンデレラ物語」なんてのがあったのですね。これを知っていたら、わざわざ劇場まで行かなかったと思うなぁ。我ながら、読みの甘さにげんなり。

 何が嫌って、このヒロインは、周りの人にことごとくお膳立てされて、直面する問題が勝手に解決されていってしまうところ。まあ、シンデレラ物語ならそうなるわなぁ、、、と納得したけど。

 呆れるほどに予定調和な展開で、何のためにこの映画作ったんですか? と監督に聞きたくなる気分。ベラが追い詰められる状況が全くないんだもんね、、、。本作をぶっちゃけて説明すると、、、

 植物が嫌いで庭を放置していたけど、優しいおじさんとおじいさんのおかげで、庭いじりの楽しさを知りました。ついでに、イケメンの青年にも出会って、結婚相手を見つけることも出来ました! ヤッタ~~!!
 
 って感じかな。こんなん見て喜ぶの、結婚相手に白馬の王子様を待ち望んでいる“オメデタイ他力本願女”くらいなもんじゃないでしょーか?


◆ベラとG子

 そもそも、ヒロインのベラのこと、あんまし好きになれないんですよねぇ。

 ちょっとイラッとくるキャラだなぁ、と思いながら見ていたんだけど、特に、規則正しさが性癖であるベラが、遅刻常習犯という設定ってどーなの? 矛盾してないか? ……と思ったんだけど、見終わってから矛盾していないことに気付いたのでした。

 それは、職場に似た様な女性がいたからです。仮にその女性をG子とします。G子は、ちょっと病的なまでの几帳面さなのに、毎朝始業時間ギリギリか数分遅れてくるんです。そして、仕事も遅い。そーなんです。几帳面さと、時間のルーズさは同居し得る性質なんです。

 さらに、G子は、実はかなりの“面倒くさがり屋”であることも思い出しました。例えば、、、

① 職場の共用の紙タオルが切れていても、次の人のために補充しない。
② 自分がゴミ当番の日でも、誰かがやってくれないか様子見している。
③ 書棚の整理をする際に、古いものから順にまとめてしまうべきものでも、「どうせ使う可能性低いんだから、古い順に仕分けなくてもいいんじゃない?」と言う。
④ (③において)それどころか「いっそ捨てちゃえば」とさえ言う。
⑤ 自分が他部署の仕事を頼まれた際、第一義的な責任者は他部署の人なんだから、自分が「これはマズイ」と気付いたことにも、手を出したら面倒なことになるので見て見ぬふり、、、。

 等々。……で、ベラにもそれを感じたんですよねぇ。つまり、ベラは、身も蓋もない言い方をすると、極めて要領の悪い人間で、でも、自分の興味のあることは突き詰めることを厭わない。そして、それ以外のことは、彼女にとって“どーでもいいこと”なんだろうねぇ。だから、庭が荒れ放題でも、自分は困らないし興味ないからいいや、、、と。

 身近に、ヒロインのキャラを理解するのに最適な人がいたので、妙にベラに対してイラッとくることに納得してしまいました、、、ごーん。


◆その他モロモロ

 本作を見て喜ぶのは、他力本願女くらい、と書きましたが、それだけじゃないですね、そういえば。

 ガーデニングが好きな方は、楽しめると思います。私は、ガーデニングはあんまし興味ないけど、植物は好きなんで、アルフィーが庭造りや植物についてベラにアドバイスしてくれるシーンなどは、まあ面白かったかな。植物やガーデニングが好きな方は、もっと楽しく見られるんじゃないでしょうか。

 あと、アンドリュー・スコット演じる、ハウスキーパーのヴァーノンが作る料理が実に美味しそうなんです。料理の皿が出てくるシーンも楽しい。

 ……でも、見所はそれくらいでした、私には。

 ホント、ラストのラストまで予定調和というか、いがみ合っていたベラとアンドリューは仲良くなり、仲良くなったところでお約束、アンドリューは亡くなる。そして、実は、ベラの部屋のオーナーはアンドリューで、ベラに庭ごと部屋を遺贈する、アンドリューの家はヴァーノンに名義を書き換えるという、、、ベラとヴァーノンには、あまりにも分不相応すぎる棚ボタなオチに唖然としました。王子様はいらんけど、きれいな庭付きのステキな家を難なく手に入れられるなんて羨ましい。、、、ま、だからファンタジーなんですけど。

 ベラを演じていたジェシカ・ブラウン・フィンドレイは、「ダウントン・アビー」のシビル役を演じていたお方。シビルとは大分イメージが違います。本作での方がキレイに見えました。

 アンドリュー・スコットは、相変わらず上手いです。ベラにちょっと好意を抱きつつも、ベラの若い恋を応援する切ない役どころでした。エプロン姿が板についていて、さすがでした。







ガーデニングにご興味のある方はどうぞ。




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真夜中の招待状(1981年)

2016-12-30 | 【ま】



 精神科医・会沢吉男(高橋悦史)の下に、若い女が訪ねてくる。その女は、稲川圭子(小林麻美)と名乗り、自分ではなく、婚約者・田村樹生(小林薫)がノイローゼ気味だから、一度診て欲しい、というのである。

 ノイローゼの原因は、樹生の兄2人が次々に蒸発しており、その原因がまったく分からないからだという。7年前に長男・原田順吉が熊本で、そしてつい先日、二男・捷平が沼津で、いなくなってしまったのである。

 そうこうするうち、東海村の原子力施設で技術者として働く3人目の兄・原田和生(渡瀬恒彦)も遂に蒸発してしまう。兄たちと樹生の姓が異なるのは、四男の樹生だけ、幼い頃に田村家に養子に出されたからだという。

 かくして、会沢は本格的に4人兄弟の抱える問題の真相に迫るのだが、、、。

 主演は小林麻美なのに、全く活躍しないでただそこにいるだけの役という不思議な作品。 
 
 
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 またまた、リストに入れた記憶のないDVDが送られてきました。やたらと豪華な出演陣なのに、中身はスカスカのハリボテ映画でござんした。でも、違う意味でイロイロと見どころの多い作品で、それなりに楽しめました。


◆蒸発の真相

 “蒸発”って、最近あんまり聞きませんよねぇ。昔は、TVや新聞・雑誌とかで時々見聞きしたように思いますが。今時は、“失踪”っていうんですかね。人間が蒸発する、ってある意味すごい表現ですが、なかなか言い得て妙だなぁ、と。忽然と姿を消した、という意味がよく表れているというか、、、。

 兄たちが蒸発した理由は、最初は、ちょっとオカルトチックで失笑ものだったんですけれど、最終的には、一応まあ、それなりの理由になっていました。その理由とは、、、。

 熊本で薬局を営んでいた長男の原田順吉が、客の久世(米倉斉加年)に、強力なステロイド剤を処方したことにより、久世の息子は容貌が激変して症状が重篤化し、元の身体には戻らなくなってしまった。そのことによる、久世の恨みが引き金になっていた、、、というオハナシ。

 なんで、順吉のことで、他の兄弟にまで影響が及ぶのか? ステロイド剤を使うことを勧めたのが二男の捷平だった。三男の和生は、それらの事実を知って久世に謝罪に来たのだが、久世の息子の姿を見て、兄たちの所業に心を痛め自殺(?)ということらしい。和生の死の真相についてはあんまり明確な描写がなかったので、イマイチよく分かりませんでした。

 ……などという内容は、なんだかどーでもよい感じです。かなり破綻しているオハナシですよねぇ。ツッコミどころが多過ぎで突っ込む気にもなりません。


◆豪華キャストが泣くゼ

 本作の見どころは、上記のような謎解きとかストーリーではなく、役者さんたちそのもの、ですね。豪華キャストを、非常に贅沢に使っています。

 大体、三男役の渡瀬恒彦なんて、ホント、チョイ役で、出演時間にして5分くらいですかねぇ。後は、死体になって後半出てくるだけ。もったいないなぁ。

 芦田伸介も、圭子の父親役で、まさしくチョイ出。なんと贅沢な。

 途中、心霊写真が小道具で出てくるんですけど、会沢と圭子が、その写真を「心霊研究所」なるところに持ち込んで鑑定してもらうわけです。その研究所の主(?)みたいなオバサンが、なんと、黒々としたボブスタイルのズラを被った北林谷栄さま。かなりビミョーな若作りでギョッとなります。最初、一瞬分からなかったけど、声を聞いて「ん??」とよく見たら、谷栄さまでした。その後、研究所の一室で“降霊術”なるものが行われるんですが、まあ、この辺の描写はバカバカしすぎてひきつった笑いが浮かびます。

 あと、東大の教授役で丹波哲郎御大がご登場。本作では霊界研究者ではなく、単なる催眠療法の研究者ってことでした。ここでも御大の出演時間は、ものの5分程度。催眠療法している以外は、セリフらしいセリフも大してなく、こちらももったいない。

 久世を演じた米倉斉加年は、結構ハマっていたかも。私、米倉さん、結構好きだったんですよねぇ。スゴイ渋い役者さんだなぁ、と思っていました。善人も悪人も見事に演じられる、素晴らしい役者さんだと思います。彼のおかげで、本作の後半も、どーにか見られると言っても良いでしょう。

 宮下順子さまは、やはり大胆な濡場を演じておられます。彼女は、蒸発した長男・順吉の妻ミツの役なんですが、久世の息子の世話をさせられ、なおかつ久世の慰み者になっており、ミツが一番気の毒かも知れません。

 あと、感激だったのは、久々に見た中島ゆたかさんですね。一昔前は、2時間ドラマとかでしょっちゅうお目にかかっていたように思うのですが、、、。今、どうしていらっしゃるのでしょうか。悪女役が多いですけれど、ちょっと謎めいた感じの美人で、存在感あります。でも、ゆたかさんも、和生の妻役で、またまたチョイ出。

 小林薫は、さすがに若い。カッコイイ、、、というのとはちょっと違うけど、確かにイイ男。まあ、でも個人的には、もう少し歳とってからの薫氏の方が好きだなぁ。神経症になった男の役で難しかったんでしょうか、ちょっと、んん~~、な感じでした。、、、というか、相手役の小林麻美のせいかもね。
 

◆小林麻美と家事手伝い

 その小林麻美さまですが、、、。彼女が人気あったことは何となく覚えていますが、当時から、私には彼女の魅力がゼンゼン分かりませんでした。確かにモデル体型で、雰囲気美人ではあるけれど、よく見ると顔もフツーですし、歌も歌ってましたけれど、お世辞にも上手とは言い難く、、、。♪とーめてぇ、あのぉショパン! の部分しか耳に残っておりませんが、、、。

 彼女、今年、女性雑誌か何かに、久々の登場をされたとか。きっと、相変わらずおキレイで、、、っていう展開なんでしょうね。

 本作での彼女は、まあ、なんというか、もしかして記念受験ならぬ、“記念主演”だったのかしらん、と思っちゃいました。とりあえず人気あるから、彼女主演で行こうや、、、みたいな。セリフ回しも拙く、表情もほとんどなく能面のようで、、、。

 そもそも、彼女は謎解きに奔走する割に、何か、いてもいなくてもいい感じの役なんですよねぇ。別に彼女が動いたことによって、事態が動く、というわけでもなく。彼女に危険が迫る、というわけでもなく。ただ、その場に居合わせている人、なんです。なんだかなぁ、、、。まあ、彼女の演技力を考えて、そういう脚本にしたのかも、という気もしますが。

 強いて見どころを挙げれば、とっかえひっかえの衣装と、バストを晒したベッドシーンくらいですかねぇ。このベッドシーンは当時話題になっていたのを覚えています。こう言っては失礼ですが、痩身で胸も貧弱なお体なので、あんまし官能的な画ではなかったです。宮下順子さんの方がよほど色っぽいし艶がある。ま、比べては気の毒ですけれど。

 田舎に調査に行くのに、もの凄いファッショナブルな服装でお出ましの圭子嬢。……というか、化粧も濃くて、正直言って、お嬢と言うよりホステス、って感じです。時々、あのロングパーマヘアーにバンダナをするスタイルがあるんですけど、戦後の東京とかを描いた映画やドラマに出てきそうなパンパンに見えてしまう。なんでこんな下品なスタイリングにしたんですかねぇ、、、。バブル前夜の時代って、あんなファッションがウケてたんですかねぇ?

 ところで、圭子嬢は一体、何をしているお方なんでしょう? 今で言う、“家事手伝い”ってやつですかね? 序盤で、芦田伸介演ずる父親とのシーンで、彼女がなにやら作業している描写があるんですけど(アクセサリー作り?)、ハッキリ言って、何しているのかさっぱり分からず。もの凄い豪邸に住んでいるので、ヒマを持て余しているお嬢、ってことなんでしょうか。

 ……イイ歳して、働けよ。81年といえば、まだ均等法施行以前の時代だし、働く女は腰掛け扱いが主流だったとは思うけれど、それにしても、この時代にこの女の描写はいかにも後れており、呆れてしまいます。


 

 

 

 



オープニングの新宿高層ビル群の映像は、、、??




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招かれざる客(1967年)

2016-12-09 | 【ま】



 ハワイに遊学(?)していた22歳の白人女性ジョーイ・ドレイトン(キャサリン・ホートン)が、ある日突然、知り合ってわずか10日しか経っていない男性ジョン(シドニー・ポワチエ)と結婚したいと言って、ハワイからサンフランシスコの自宅に帰って来た。ジョンは、医師で、結婚歴があり(妻は事故死)、ジョーイより大分歳上で、黒人であった。

 ジョーイの父親マット(スペンサー・トレイシー)は、サンフランシスコで有名な新聞社のオーナーで、母親クリスティ(キャサリン・ヘップバーン)は画廊を経営する、リベラル夫婦。かねてより人種差別は絶対悪として反対してきた。、、、が、いざ、我が娘が黒人の男性を結婚相手に連れて来て、この両親は大いに戸惑い、自分たちが似非リベラリストであったことを思い知る。

 ジョンはすぐにでもヨーロッパへ立たねばならないので、今日中に承諾が欲しいという。しかも、ドレイトン夫妻の承諾がなければ、この結婚は諦めるつもりであることを、ジョーイには内緒で両親に打ち明ける。ますます困惑するドレイトン夫妻。

 そこへ、ジョンの両親までもが現れ、白人との結婚など大反対だとジョンの父親は言い出す始末、、、。

 果たして、ジョーイとジョンは結婚できるのか。


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 BSでオンエアしていたのを録画して観ました。タイトルから、あまり内容をよくチェックせずに、ヒッチ系サスペンスだと思っていたのだけれど、ゼンゼン違うお話でした、、、ごーん。


◆ゲタを履かせた意図は、、、?

 本作のことを、そもそも存在さえ知らずにおりましたが、名作と言われているようですね、、、。キャサリン・ヘップバーンはオスカーを受賞しているようですし。錚々たる俳優陣の出演で、ビックリしました。

 WOWWOWの本作の紹介文言はこんなです。「アフリカ系男性が娘の婚約者になったことで困惑する白人の両親の姿を通じて、米国社会における人種差別問題を浮き彫りにし、第40回アカデミー賞で脚本賞他に輝いた良作」

 世間で名作という評価が定まっているのだから、別に私が難癖をつけたところでどうということもないでしょう。なので、ちょっと思ったことを正直に書きます。

 本作は、“米国社会における人種差別問題を浮き彫り”にすることがテーマであるのなら、残念ながら、設定の段階で既に白旗を上げているに等しいのではないですかね。

 だって、そうでしょう? シドニー・ポワチエ演じるジョンは、結婚歴があるとはいえ離婚した訳ではなく死別。また、職業は医師であり、それもただの医者じゃない。世界的に数々の賞などを受けた若いながらにして世界レベルの高名な医師なのです。なおかつ、ジョーイに対しては飽くまで紳士。正直、イヤミでさえある人物造形です。ここまでジョンにゲタを履かせないと、白人女性との結婚を映画の中でとはいえ実現させることが難しいと、監督自身が認めているようなものです。

 当時のアメリカ社会の差別感情がいかに凄まじいかを物語っている半面、最初から難題に挑むことを半ば放棄している制作サイドの姿勢に軽く失望します。

 これが、医師でも、町医者とか、大学の研修医とかだったら? あるいは医師でなくて、ごくごくフツーのサラリーマンだったら? 白人の相手であれば No problem という設定になぜしない? どうせなら、そういう設定にしてほしかったですよねぇ。

 序盤にジョンの肩書が分かったところで、一気に興醒めでした。

 そもそも、こういう私の見方自体が既に職業観等のバイアスが掛かっているという批判もあるでしょうし、それは認めます。ですが、当時は明らかにマイノリティで被差別者であった側に、ここまでのバックグラウンドを用意するのは、あまりにも前提からバイアス補正し過ぎだと思うのです。

 逆に、白人女性のジョーイが高名な医師で、ジョンがハワイに遊学に来ていたお気楽なお兄ちゃんだったらどーだというのでしょうか? リベラル夫婦に試練を与えるのであれば、とことんやればよいのに。最初から彼らに逃げ道を与えてどーするのでしょう。主人公をギリギリまで追い詰めて突き放さないと、本当の意味で見応えのあるドラマにはならないと思いますね。

 こういうところに、制作者の視点が正直に表れるんじゃないでしょうか。だから、本作は、名画の皮を被った似非ヒューマニズム映画だと思うわけです。実際、私には、ストーリーという面では非常につまらない映画でした。

 しかし、これが多くの部門でオスカー候補になったというのだから、さらに唖然となります。どこまでオメデタかったのでしょうか、当時のハリウッドは。誰もそこに異議を唱えた者がいなかったのか。あるいはいたけれども封殺されたのか、、、。


◆親が子どもを育てるのはアタリマエ、なんですけどね。

 ……と、文句ばかり書きましたけれど、印象に残ったシーンも当然あるのです。

 中でも、一番グッと来たのは、ジョンが父親と激しい口論に及ぶシーン。ジョーイとの結婚に彼女が白人だからという理由で反対する父親は、ジョンに言います。

 「誰のおかげで今のお前があると思っているのか」

 もちろん、セリフはもっとたくさんあるんですが、一言で言っちゃえば、これを親が息子に言ったんです。郵便配達夫だった父親は、重い荷物を運んだのもお前のため、母親(妻)がボロコートをいつまでも着ているのもお前の学費のため、そうやって苦労して来たんだぞ、と。

 それに対しジョンはこう言って切り捨てます。

 「重い荷物を運んだのはそれがアンタの仕事だからだ! 子ども作ったら養育するのは親の義務だ」

 父親はぐうの音も出ませんでしたが、このセリフ、子どもはなかなか言えないのですよねぇ。特に親が苦労しているのを知っていればなおのこと。そうやって、親に恩を着せられても払いのけることができずに苦しむ子どもは多いけれども、ジョンはハッキリ父親に言うのです。もちろん、ジョンだってこう言いながらも苦しかったはずですが、それでもきちんと言葉にして親に抗弁することが出来る、ということが大事です。

 本作では、母親同士が非常に“物わかり良し子さん”なお2人で、若い2人の結婚を後押しします。これもちょっと???ですよねぇ。母親は感情論になって話にならん、というケースが多数派なような気がするというか。案外、父親の方が理屈が通ることが多い気がするんですけれど。、、、まあ、これは私の周囲の限られた範囲での統計なので当てになりませんが。でも、本作での2人の母親は少々出来すぎです。

 結局のところ、本作は、リベラル夫婦の本音を暴く体裁をとりながら、実は、本作自体がタテマエ論で終始しちゃっているという、お粗末な構成なんじゃないでしょーか。最初から、2人の結婚を成就させるためにシナリオが書かれたわけですね。だからこんな生ぬるいオハナシに終始しちゃったのでしょう。


◆その他もろもろ
 
 名女優キャサリン・ヘップバーンの出演作、たくさんあるのに、正直、ちゃんと見たのは本作が初めてだと思います。、、、じゃなかった、『アフリカの女王』は見ていたのだった、そういえば。でもそれだけですね、多分。

 本作を撮影した頃、彼女は60歳くらい? 強そうで美しいです。カッコイイ、という言葉が一番近いかなぁ。本作では、ジョーイに理解あるステキな母親を演じておられました。ジョーイを演じたキャサリン・ホートンは姪御さんだとか。ジョーイは頭悪そうではないけど、ちょっと???なキャラですよねぇ。

 キャサリン・ヘップバーンのプライベートでもパートナーだったというスペンサー・トレイシーは本作が遺作になったとのこと。終盤の演説(?)シーンは、多分、名シーンの1つと言われているのでしょうね。私的には、あまりグッと来なくて印象に残るセリフのない演説でしたが。

 初めて見るというと、シドニー・ポワチエの出演作は、初見です。父親に激しく抗弁する姿、なかなかカッコ良かったです。これから彼の出演作も追々見て行きたいな、と思いました。  







途中、肉屋のお兄ちゃんとメイド見習いの若いお姉ちゃんが
ノリノリで踊っているシーンが意味不明。




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マイ・ブラザー(2009年)

2016-05-17 | 【ま】



 兄のサム・ケイヒル(トビー・マグワイア)は優等生タイプで、米軍の大尉として数日後にアフガンへの再派遣が決まっている。サムの送別会の日に、弟のトミー(ジェイク・ギレンホール)は刑務所から仮釈放されシャバに復帰してくる。対照的な兄弟で、元軍人の父親ハンク(サム・シェパード)は、サムを誇りに思い、トミーに対し辛く当たる。

 派遣後数日たって、サムが死亡したとの知らせが妻グレース(ナタリー・ポートマン)と2人の娘の下にもたらされる。哀しみにくれるケイヒル一家だったが、葬儀も終え、現実を生きて行かなければならない。トミーは、グレースたちを助け、2人の娘もトミーにすっかり懐いて、それなりにどうにか日常を取り戻しつつあった。トミーとグレースも互いに心の支えとなって行く。

 そんなある日、グレースは電話を受ける。それは、死んだはずのサムが、現地のゲリラに捕えられていて生きていた、無事解放された、という内容であった。晴れて生還するサムであったが、それはグレースの知るサムではなくなっていた、、、。


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◆リメイクだったとは……

  ゼンゼン知らなかったのですが、本作は、スザンネ・ビア監督のデンマーク映画『ある愛の風景』のリメイクだそうで、、、。見終わってから知って良かった。私、彼女の監督映画2作品しか見ていませんが、どっちもダメだったので。

 どうダメだったのかは、2作(『しあわせな孤独』『アフター・ウェディング』)ともみんシネに書きましたので、よろしければそちらをご覧ください。

 本作は、監督がジム・シェリダンで、私の愛するDDL作品を何本も監督している人なので、まあ、見てみようかなぁ、と思ったのでした。……と言っても、DDL主演のシェリダン作品でもの凄く好きな作品があるわけでもないんですが、、、。


◆復員したら、嫁さんが弟の嫁さんになっていた、、、

 ……という話は、日本の戦後でも枚挙に遑がなかったそうです。まあ、国に「死んだ」と聞かされれば、家族は死んだと思いますよね、普通は。何かの間違いであって欲しいと願いはしますけれども、そこで、「死んだはずはない、絶対生きている!!」と信じられる人の方が少数派だと思います。私も、信じたくないと思いつつ、受け入れて行くでしょうねぇ、こういう場合。

 しかし、肝心の戻って来た本人にしてみれば、死線を彷徨って、それこそ“必死の思い”で愛する妻の下に戻って来たら、こともあろうに弟の妻になっていようとは……!! その衝撃たるや、想像を絶します。いっそ他人であればまだしも、、、。

 本作の、サムの心境もいかばかりか、、、。しかも、明らかに家族の顔には戸惑いの色が浮かんでいるわけです。もっと言っちゃうと「死んでくれていれば良かったのに」という彼らの心の声が聞こえる心境だったのではないでしょうか。グレースは、トミーと再婚なんてしていませんし、別に何もなかったのですが、互いの心の穴を埋め合うように、少しずつ精神的な距離を縮めていたのは確かで、それを、サムが敏感に察知しないはずはありません。グレースには「弟と寝たんだろ」と言い、トミーには「グレースと寝たんだろ」と言い、自分で自分をどんどん追い詰めるサムが痛々しい、、、。


◆兄弟&姉妹

 サムとトミーが対照して描かれているのと同様に、グレースの2人の娘たちイザベルとマギーの姉妹も、微妙に対照して描かれています。

 親から見て自慢の兄と不出来な弟。父親は、とにかくトミーにやたらと突っ掛る。サムより劣っていると思うことをあげつらい、罵る。元軍人の父親は、やはり軍人になった兄が可愛かったんだろうねぇ。しかし、私は、この父親の姿に非常に嫌悪感を抱きました。あなたがトミーを歪めたんじゃない? と言いたくなるし、それは多分、当たらずとも遠からじだと思う。トミーは根っからの悪人じゃないのに、親が欠点ばかりをあげつらっていたら、そら歪むって。

 でも、サムは、あの父親の割にイイ兄貴で、トミーとも決して険悪な仲ではないみたいなのが救いです。恐らく、亡くなった彼らの実母が良い親だったのでしょう。偏屈親父でも、兄弟の仲を歪めることをしないよう、母親がきちんととりなしていたのだと思われます。本作で出てくるのは継母ですが、この人も、あの父親には不似合いなほど優しい寛容そうな継母でした。

 一方、姉妹の物語は……。姉イザベルは、容姿にコンプレックスがある。妹マギーは可愛くて天真爛漫、誰からも愛される、、、と思い込んでいる。「マギーは人気者。可愛いから……」と、イザベルがトミーにこぼすとトミーが「君はパパにそっくりだ。自分を好きになれ」と言うシーンが、結構グッときます。兄と何かと較べられて来たトミーには、イザベルの気持ちがよく理解できたのです。だから、そっと肩を抱いて「自分を好きになれ」と言ったんでしょうなぁ。このシチュエーションで、これ以上のセリフはないでしょう。コンプレックスを植え付けられた者と、勝手に抱いている者の、心温まるシーンです。

 でも、イザベルは、終盤に、トミーのこの珠玉の言葉を忘れてしまったかのような暴挙に出てしまうのですが、、、。


◆サム、遂に発狂す。

 サムは、部下と2人、アフガンで敵のゲリラに捕えられて、そこでの出来事で人格が変貌してしまうのですね。サムは、ゲリラに命じられて、ともに捕えられた部下を殺してしまうのです。そうしないと自分が殺される、そうしたらもうグレースや娘たちに二度と会えない、、、。

 しかし、サムはそれを生還してからも、誰にも話せないのです。そりゃ話せないですよね、、、。

 これは、戦争がなした罪なのだ、、、。そう思えたらサムも少しは楽だったろうけど、サムはまともに向き合ってしまう。仲間を殺した卑劣な人間である自分、、、。これを一生背負って生きて行くのは辛すぎる。帰還兵に自殺者が多いとは周知の事実ですが、内容は違えど、こんな究極の追い詰められた経験をしてしまったら、発狂するか死ぬしかないでしょう。精神的にとても持ちません。

 サムが遂に暴れて警察沙汰になったのは、イザベルの言葉が引き金でした。マギーの誕生会で、イザベルは彼女なりの理由があって拗ねて機嫌が悪いにもかかわらず、誰もイザベルの心情を汲んでくれない。一番イザベルがイヤだったのは、もしかすると、トミーが新しいガールフレンドを連れて来たことかも知れない。とにかく、イザベルは誕生会を妨害する行動をとり続け、サムがキレて強く諌めたことで、遂にブチ切れます。

 「(パパなんか)死んでくればよかった! ママはおじさんと寝たいのよ。いつも2人は寝てたんだから!」

 これで、サムは疑いが確信に変わり、自分のアフガンでの行動とが相まって、発狂してしまいます。イザベルも可哀想。サムも可哀想。このシーンは、辛い。

 私がグレースだったら、サムがキレる前に、イザベルを連れ出してなだめるけどなぁ、、、。と思っちゃいましたけど、まあ、ここは映画だし、このシーンは非常にカギになるのでああいう各自の動きにしたんでしょうけど。グレースが全体にとても賢く冷静な母親なのに、ここだけちょっと違和感ありますよね、やっぱし。


◆夫婦愛、、、?

 結局サムは(恐らく)リハビリセンターみたいな所に入院して療養することになるのですが、そこへ訪ねてきたグレースに「何があったのか本当のことを言って。16の時からあなたを愛してきた。言ってくれなきゃもう二度と来ない」と言われ、ようやく、部下を殺したことを告白します。ここで本作は終わりです。

 私がグレースだったら、サムの告白をどう受け止めるだろうか、、、。

 そうまでして還って来てくれたのだと、やはり思うだろうな。部下を殺したことを卑劣だなんて、到底思えない。勝手かも知れないけれど、愛する夫が今こうして戻って来てくれたその事実の重さの方が大事。よくぞ還って来てくれた、、、と思うんじゃないかな。

 グレースの心情が分からないのですよねぇ。告白を聞いて、2人で涙ながらに抱き合う姿でジ・エンドだったので、、、。でも多分、グレースも、夫を責める気持ちはないと思います。

 ただ、先のことを考えると、正直、その気持ちが持続するかは大いに疑問です。サムの心の傷は、おいそれと回復するとは思えない。きっと長引くでしょう。経済的には、国から手厚く保護されるとしても、精神的に夫を支え切れるか、、、。サムが、グレースとトミーの仲を完全にシロだと信じられるか、また疑い始めて2人を責めることも十分あり得る。

 そんなふうに、3歩進んで2歩下がり、あるいは5歩下がり、なんてことが続いたら、いくら最愛の夫でも、グレースにも限界が来る日は訪れるでしょう。早く回復すれば、夫婦愛は維持されるでしょうけれど。

 健やかなるときも、病める時も、、、が理想だけれどねぇ、、、。


◆豪華キャストとかその他モロモロ

 サム・シェパード、、、『ライトスタッフ』のイエーガーはしびれるほどカッコ良かったんですけれども、さすがに歳とりましたね。『8月の家族たち』でも感じましたけど。ううむ、複雑。

 トビー・マグワイアは、派遣前と生還後のルックスが別人のようで、相当減量したんでしょうなぁ、、、。役者さんは大変じゃ。ジェイクは、まあ、相変わらずジェイクでしたが、彼はやはりイイ役者さんですね。屈折したイイ奴という難しい役を、素晴らしく演じておられました。ナタリー・ポートマンも良かったですし。

 でも何といっても、私的には、イザベルを演じたベイリー・マディソンにMVPです。

 まあ、地味に良い作品で、結構泣かせてもらいましたけれども、なんというか、、、さほどグッと来なかったのですよね。シェリダン作品はいつもそうかも、、、。イイ映画だなぁ~、とは思うけど、心に迫るものが今一つ足りない、、、みたいな。本作もそうでした。なのではちょっと少な目です。

 オリジナル映画、、、食わず嫌いしていないで見てみようかな。





これからがケイヒル一家の正念場。




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(秘)色情めす市場(1974年)

2016-04-18 | 【ま】



 戦後復興期を過ぎ、右肩上がりの日本(?)でエアポケットのような大阪ドヤ街・釜ヶ崎。トメは、元締めのおばはんにフリーでやっていく宣言するところから始まる。フリーの、娼婦である。

 母・よねも40代(?)になって娼婦を続けており、トメ自身も父無し子、知的障害のある弟の実夫(さねお)も同じく。しかし、トメは流しで客を引きながら生きていく。

 、、、圧倒されるパワーに見終わってからヘロヘロ状態。どこが“ロマン”ポルノやねん!!
 
  
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 映画友が絶賛、、、というほどではないけれど、なかなかイイから是非! と言っていた本作を、やっとこさ見ました。

 多分、私にとって日活ロマンポルノはこれが初めてじゃないかな。ほかにも面白そうだな、というのはイロイロあるのですが、どうも敷居が高かったというか。

 しかし、これ、ハダカやエロシーンを当て込んで見に行ったオッサン達は、一体どう思ったんでしょうか。何か、エロを堪能できる作品じゃないですよねぇ。私は、とにかく疲れました。見終わって、グッタリ、ヘロヘロ、、、。なんつーか、もう、こんな思いしてまでポルノ見たいと思いません、、、ってのが鑑賞後すぐの感想。

 トメが客に提供するセックスは、なにかこう、、、スポーツに近い感じの、セックスというよりは、筋トレみたいな感じ。こういう感じでも、男性客って良いものなんスか? 分からないけど、私が男だったら、ちょっといたたまれないなぁ、、、。だって、お片付け感たっぷりで、、、。だったら、自家発電した方がまだしも、とか思っちゃうんですけど、これって私が浅はかなだけなんですよねぇ、きっと。

 トメに対比して描かれているのであろう、宮下順子演じる文江も娼婦なんだけれど、こちらはいわゆる典型的な男好きするウブを装うプロの方、という感じ。真珠を入れていること“だけ”が自慢みたいなアホおやじに良いようにされて、結局は、好きな男もろとも爆死。アホおやじが好きな男から文江を強奪し、代わりにダッチワイフを与えたんだけど、なんとそのダッチワイフに好きな男はプロパンガスを入れてしまって、プロパンガス入りダッチワイフを釜ヶ崎中持ち歩くという、それはそれはシュールな光景が展開されます。爆死したのは、そのガスにアホおやじのタバコの火が引火したからですけれども、その場に、文江もいて3人とも、、、。爆発する瞬間は、近くを国鉄と思しき電車が走っており、このシーンもかなりのシュール度です。

 トメさんは言っています。「女は喰いっぱぐれる心配がない」と。彼女の生き様を見ると、この言葉がもの凄い説得力を持ちます。しかし、これは、まさに精魂使い果たし、骨身を削って稼ぐ、壮絶な人生であり、喰いっぱぐれのなさに見合ったものなのかどうか、見ていて辛くなってきます。

 終盤の、カラーになるシーンですが、、、。私は、あれはちょっと生理的にダメでした。実夫が持ち歩いている鶏が見ていられなかったし、実夫が常に口から涎を垂らしているのもダメだった。彼がどうしてああいう行動をとったのかが、イマイチ私には分かりませんでした。実の姉と関係してしまったことと何か関係があるのでしょうか?

 トメの母親よねさんも壮絶。妊娠しながら商売している。稼がな生きていかれへん、と、娘と客先で鉢合わせる。もう、何でもアリの世界。

 何とも言えない、蠢く暗いパワーは感じたし、それにKOされて、脳みそが揺れてしまいました。正直なところ、私がこの作品に対して何事かコメントするのは、あまりにもハードルが高い。もっとロマンポルノについてのベースがあれば感想の書き様もあるのだろうけど、初っ端としては、かなり上級者向けの作品を見てしまったのかも知れません。

 しかし、トメさんというのは、凄まじい女性です。男に身を売りながら、実態は、男を喰らっている、という感じ。実は、本作を見ながら、ゴヤの描いたあの「我が子を喰らうサトゥルヌス」が頭に浮かんでいたのですよねぇ。もちろん、サトゥルヌスがトメさんですが、、、。

 いやぁ、、、ちょっと顔洗って出直してまいります。失礼いたしました。

 





とにかく、凄まじい、、、。




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マジカル・ガール(2014年)

2016-04-04 | 【ま】



 白血病で余命幾ばくもない12歳の娘アリシアの望み~日本のアニメ「魔法少女ユキコ」のコスチュームを着て踊ること~を叶えるため、元教師で現在失業中の父親ルイスは、ネットでそのコスチュームを検索すると、何と90万円、ユーロに換算すると7千ユーロもすると分かり、諦めそうになるが、金策に走ることに。

 そこから、色々な偶然が重なって、思いもよらない悲劇が立て続けに起きて、なんでそーなるの? 的なラストへまっしぐら。

 アニメにゼンゼン詳しくない私は、どーすりゃええんだ、、、と置いてけぼり感で一杯になりましたとさ。、、、ごーーん。

  
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 何かを劇場に見に行った際に本作の予告編を見て、なんか面白そうかも、、、と思って、劇場まで見に行ってみた次第。

 ……で、思っていたのと全然違うタッチの作品にまず戸惑う。アニメソングとかが一杯流れてポップな感じ? とか勝手に思っていたわけだけど、ポップのポの字もありゃしまへん。すんごい静かで、暗~い作品。え、、、これ、あの予告編のと同じの?? と思ったくらい。アニメソングらしきものが出てきたのは序盤と、終盤のすんごい場違いなシーンでの2回。

 そして、あの結末、、、。う~~ん、私はあんまし好きじゃない、というのが正直な感想。

 詳しい内容は、他のサイトにお任せします。ここでは、私の思ったことをつらつらと。以下は、本作がお好きな方には不快になると思いますので、あしからず。

 本作はとにかく、不親切な作品です。これはもちろん、制作側の意図したものだということは分かります。が、作品が「不親切」というのは、その作品に考えさせる価値のある余白があればこそ生きてくるものであって、本来ない余白をありそうに見せるために「不親切」を装うのは、ちょっと違うんじゃないの? と言いたくなるのです。

 つまり、本作には、余白があるとは思えなかった、、、ということ。

 読みが浅い? そーでしょうとも、浅くて結構。本作のどこに深みがあるってのさ。

 パンフも一応、隅から隅まで読みました。町山氏の感想文も読みましたけれど、やっぱし、映画は自腹でお金を払って見るべきです。評論家の意見は一定程度割り引いて読んだ方が良いと思います。町山氏は、ブレッソンの『ラルジャン』を引き合いに出しておられましたけれど、それって本気・・・? もし本気だとしたら、少々リップサービスが過ぎるのでは?

 また、あるネット評では、本作からハネケの作品を感じたというものがありました。あの『ファニーゲーム』とかの不条理映画に通じるとでも? ハネケ好きな者から言わせてもらうと、一緒にしないでよ、という感じでしょうか。本作にはハネケのような振り切れたインモラル、反社会性、狂気が描かれていましたっけ? それっぽい要素を散りばめてはいましたけれど、敢えて言えば、亜流、中途半端、もっと言っちゃうと子供だましにしか私には思えなかった。

 本作の何がそんなに薄っぺらさを感じるのか、、、考えてみました。

 不条理の連鎖とはいえ、『ラルジャン』にしろ『ファニーゲーム』にしろ、見ている者には、ある種の同質性を感じられる不条理だったように思います。

 例えば『ラルジャン』は、ある高校生が出来心で偽札を使ったことが巻き起こす話です。つまり、テーマは、金=人間の欲が引き起こす不条理ですね。『ファニーゲーム』は、極々平凡で平和な家族に、暴力性を持った青年2人が闖入してきたことで起きた話で、こちらは、人間が潜在的に持つ暴力性が生々しく描かれた不条理です。

 でも、本作は、、、。金欲しさに見知らぬ女を脅迫したり、その女も嘘を言って脅迫してきた男を陥れたり、、、おおもとはというと、余命わずかな白血病の娘のアニメ好き、、、と、面白そうな要素を単につなぎ合わせて、不条理劇っぽく仕立て上げただけに過ぎない、と思っちゃうわけです、私は。

 『ラルジャン』や『ファニーゲーム』は、例えば、赤い絵の具に黄色い絵の具を足せばオレンジになるように、足す色は元の色と全く異なる色でも、足した後にはきちんと新しい色が出来、さらに、別の色を足すことでまた違う色になり、最終的には黒になる、、、。でも、本作は、元の色が何色であれ、足す色は問答無用の“黒”なわけ。どんな色に黒を足しても黒にしかならないような、もの凄い唐突感と、ブツ切り感。出来事と出来事に何の関連性も意味もないのです。

 そこに、「色を重ねていった末の黒」が出来上がる奥行きが感じられない。だから、薄っぺらいと思ってしまうのです。

 じゃあ、『セブンス・コンチネント』はどーなんだよ、というツッコミが聞こえてきそうですが。でも、あれも、私にとっては「物質主義からの脱却」という筋の通った不条理劇という説得力があるのです。そして、あれこそ、描かれていない余白にこそ作品の本質があると確信させられる映画です。、、、が、本作にはとにかくそれがない。ただただ、脈絡なく監督が好きな、趣味に合った要素を並べてみただけ、じゃない?

 監督に言わせると、本作を貫くのは「愛」だそうです。親子愛、夫婦愛、師弟愛、、、とにかく人間関係における愛があるからこそ、このような不条理劇が起きてしまったのだ、と言いたいようです。愛があるなら、そもそも父親は脅迫なんかするな、と、初っ端からツッコミを入れたくなりますが。私には、ゼンゼン説得力のない説明です。

 乱歩の「黒蜥蜴」とかの使い方もムカつくんですよね、筋金入りの乱歩好きにとっては。あんなチープな使い方をして、乱歩が好きだとか言ってほしくないんだよ、みたいな。

 ダミアンとバルバラの間に、過去、何があったのかとか、ハッキリ言ってどーでもよいです。値打ちありげに描いていませんけど、どーせ何も考えていないんでしょ、ホントはそこに何があったかなんて。

 見る人によっては、アニメの○○とか、△△とか、がオマージュではないか、などと感じるものがあるらしいです。アニメなんて無知に近いので、私にはさっぱり分かりませんが。知っていたところで本作に対する見方が変わるとも思えませんし。

 タイトルの、マジカル・ガールとは、まあバルバラのことで、アリシアもそうなのかも知れません。確かに、バルバラもアリシアも、マジカル的に美しいorキュートでした。アリシアのベリーショート+コスプレにはグッときました。グッと来たのは、ホントに、アリシアちゃんだけだったなぁ、、、。

 なにより、最大の不満なところは、不条理映画なのに、見ていてギリギリ精神的に来ることもなければ、ドキドキもないってこと。私が好きな不条理映画は、ギリギリ来るしドキドキしっぱなしなんですけれど、本作は終始、え、、、何で? え? は??? なんでそうなるの~!? という???だけが脳内をグルグルしておりました。

 まあ、好奇心で最後まで見せてくれたので、は2つオマケです。

 



90万円≒7,000ユーロ、だそーです。




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マレフィセント(2014年)

2015-12-24 | 【ま】



 あの、「眠れる森の美女」でオーロラ姫に呪いをかける邪悪な妖精マレフィセントの物語。彼女は生まれながらに邪悪だったわけではない。オーロラ姫の父親ステファン王に裏切られたことが、彼女を変えたのだ。

 、、、という、実はイイ人でした物語。でもアンジーの顔は十分コワい。
 
 
 
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 公開時に駅にでっかいポスターが貼ってあって、そのアンジーの顔が結構コワくて興味があったので、このほど見てみた次第です。

 んん~、まあ、作品としてはかなり喰い足りない感じですねぇ、、、。 邪悪な者が、実は良いヤツでしたって、そもそもあんまり好きな話じゃないんですが、本作は、マレフィセントが徹底的に良い人、じゃなくて妖精として描かれており、なんというか、道徳の教科書みたいで白けました。

 そんなに邪悪な存在ってのはヒロインとしてダメですかね。私は、実人生で身近に邪悪な女がいたら、そらイヤですけど、映画や小説の中で徹底的に邪悪な女性って見てみたいですし、全然アリだと思います。

 邪悪な女性の物語と言って、パッと浮かんでくる映画はクルーゾーの『悪魔のような女』とか、ハネケの『ピアニスト』とかかなぁ。『エレンディラ』のおばあさんとかも邪悪の権化みたいな人だけど、あれはヒロインじゃないか。そうそう『何がジェーンに起ったか?』のジェーンですかね、極めつけは。でもあれも、そうなる原因がちゃんと描かれていたし、、、。何でそんなに邪悪なのか、もともとなのか、理由があってのことなのか、分からないのは『悪魔のような女』でシモーヌ・シニョレ演じたニコルですね。怖いけど凄く魅力的なヒロインだったと思うんですけれど。

 マレフィセントも、生まれつき邪悪だった、ってのでも良いじゃないの。でもそれじゃ、子どもには見せられない、ってことでしょーか。

 果たして、生まれつきの邪悪な存在、ってのはあるのでしょうか。まあ、私は正直に言うと「ある」と思っています。現実に起きている事件等のドキュメントを読むと、そう思わざるを得ない話がゴマンとありますので、、、。

 そこまで極端な例ではなくても、今まで出会った人々の中で、生まれつきとしか思えない性格の悪さを隠すことなく発揮している人が、少なくとも2人思い当たります。私も自分の性格が良いとはまるで思っていませんが、多少なりとも「隠す」ことは知っているわけです。それは、自分が良く見られたいというよりは、そうしないと社会生活をある程度円滑に営めなくなるので自分が困るからです。それは多分、小学生の高学年くらいで自然と身に付ける処世術みたいなものです。しかし、このお2人は違う、全然隠さない。接する人たちに例外なく不快感を刻み込む。イイ大人なのに地でやっちゃうのがスゴイと、尊敬すらします。ある意味、ああいう人は邪悪なんじゃないでしょうか。

 、、、いや隠す方がひねくれていて邪悪、という見方も出来ます。……となると、世間のほとんどの人は邪悪ですね。おー、こわっ!! みんな邪悪なくせに善人みたいな顔して生きているんだ!!

 というか、だからこそ邪悪であることを否定するような作品をわざわざ作る必要なんてないでしょ、と思うわけです。性善説? 結構。でも、私は人間は性悪説だと思う部分もかなりあるので、こういうお話を見聞きすると、なんかむず痒くなってくるのです。

 とはいえ、本作は見どころはたくさんあって、何しろ映像がキレイだし、ラナ・デル・レイの歌う主題歌もイイ感じ。美術・衣装も素敵。アンジーのマレフィセントはアニメにイメージがピッタリです。そして何と言っても、オーロラ姫が目覚めるための「真実の愛」のキスですね。通りがかりの王子さまのキスで、オーロラ姫は目覚めない。真実の愛じゃないから。大体、あの王子様、何のために出てきたのさ。

 、、、それにしても、ディズニーの王子様路線からの変更は近年目覚ましいですね。本作は一部ネットであの「アナ雪」(未見)にそっくりだといわれておりました。まあね、王子様が女子の人生の難題を解決なんぞしてくれないと誰もが気付いている昨今、王子様のキスで目覚めるお話はさすがに描けませんよね。

 でも、いずれ揺り戻しが来そうな気がしています。やっぱり、イイ男に幸せにしてもらいたい図々しい女子は、大勢おいでのはずなんで。夢見たい女子のための王子様物語。ケネス・ブラナーの『シンデレラ』は割とそれっぽかったですけれど。






オーロラ姫は絶世の美女、、、のはずでは?




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窓 ベッドルームの女(1987年)

2015-07-16 | 【ま】



 テリー(スティーヴ・グッテンバーグ)は、上司の妻・シルヴィア(イザベル・ユペール)と不倫していた。ある晩、テリーの部屋での情事の後、シルヴィアは窓からアパートの前の公園で、やたらと色白でトサカみたいな赤毛の頭をした男が女性・デニス(エリザベス・マクガヴァン)を襲っているのを目撃する。シルヴィアが全裸で窓を開けたことから、その音に反応した犯人が振り返ったため、シルヴィアは犯人の顔をバッチリ見たのだ。そして、犯人もシルヴィアの姿をしっかり見た、そしてデニスを放って逃げた。

 その時、テリーはバスルームにいて、現場を目撃していなかった。シルヴィアに呼ばれ慌てて窓の外を見た時は、女性は近所の人々に助けられているところだった。

 翌日、テリーは、自宅のすぐ近くで女性が殺害される事件が起きていたことを知り、シルヴィアが見た男と同一犯ではないかと疑う。シルヴィアも、自身が目撃者であるのに、不倫故にだんまりを決め込むのは人として許されないのではないかと葛藤する。そこで、テリーはシルヴィアに成り代わり、目撃者として警察に名乗り出るのだが、、、。

 「窓」というタイトルから、なんとなくヒッチコック作品を意識してる? 筋立ても若干共通事項アリ。

 
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 『ダウントン・アビー』で伯爵夫人コーラを演じているエリザベス・マクガヴァンを見たくて、DVDをレンタルしました~。伯爵夫人を素晴らしく演じている彼女の若かりし頃を見てみたくなったのです。

 この頃、彼女は26歳くらいですね。う~ん、顔がはち切れそうなくらいに張りがあり、美人ですがちょっと個性的な感じです。コーラは本当に品のある優雅な奥様で、実にハマっているのですが、こちらのデニスは気の強いお姉ちゃんでなかなか素敵です。ま、彼女については、後で感想を書きます。

 なんというか、身代り目撃者、なんて破綻するに決まっているのに、テリーは実に安易に名乗り出ちゃうんですよね。まあ、これがないとオハナシにならないので仕方ないんですけれど。当然、彼の証言は、時間がたつにつれて警察に怪しまれ、公判では被告の弁護人にぶった切られ、彼自身が被疑者にさせられてしまいます。バカだよ、テリー。

 でもって、不倫相手のシルヴィアは、超自己チュー女。都合の良い時だけテリーをお遊びの相手にし、自分の身が危うくなればバッサリぶった切る。こういう女だって、最初から分かりそうなもんでしょーよ。バカだよ、テリー。

 結局、あれこれあって、犯人の男に、テリーはシルヴィアの身代り目撃者とバレてしまう。なぜなら、法廷でシルヴィアを見た犯人は、彼女こそが本物の目撃者だと分かったから。あの時、全裸で自分のことを窓から見ていた女・・・。あんなに法廷で証言席から傍聴席にいるシルヴィアと目で会話していたら、バレるに決まってんだろ。でもって、シルヴィアの身が危うくなるの分かるだろ。大バカだよ、テリー。

 案の定、釈放された犯人は、テリーを尾行することでシルヴィアの居場所を突き止め、隙を見て彼女を刺し殺す、、、。嗚呼。

 しかし、殺されかけたデニスは、どっこい強かった。自分が囮になって、赤毛トサカ頭男をおびき出し、容疑者にされかけていたテリーを最終的には救うのです。

 窓からの目撃がストーリーの要になっていることや、女性が囮となって犯人をおびき出すことなんてのは、やはりヒッチコック作品を意識したのかしら。『裏窓』は、正直、ジェームズ・スチュワートがあんまし好きじゃないんで、名作と言われますがそれほど良いと思えないのよね~。確かにサスペンスとしては面白いんですけれど。

 本作も、なかなかスピーディな展開といい、中盤から終盤に掛けてのハラハラ・ドキドキ感はなかなか。ヒッチのより好きかもです、私。

 テリーを演じるスティーヴ・グッテンバーグが、ちょっと抜けてるけど愛嬌のある好青年をうまく演じています。シルヴィアにひどい仕打ちを受けますが、彼自身も言っているけど、それほどシルヴィアを愛していたわけじゃないから、精神的なダメージも小さかったみたいだし。もちろん、タフなデニスという女性の魅力に惹かれたからってのも大きいでしょうし。自分が容疑者扱いされ逃げているとき、デニスが自分の部屋で匿ってくれたのは、きっと彼にとって地獄に神に思えたことでしょう。おまけに、自分から添い寝してくれるというおまけつき。美味し過ぎるぞ、テリー。

 シルヴィアを演じたイザベル・ユペールは、本作では彼女の持ち味である毒気をあんまし発揮していませんでしたね~。あれじゃ、ただのヤな女。顔までなんだかアメリカ風になっていたように見えたのは私だけ? 全裸で窓から犯人を見下ろすシーンはゾクッとしますけれど。結構あっけなく殺されちゃいましたしね。

 そして、エリザベス・マクガヴァンです。コーラ役でも、ややベース型の顔だな~、とは思っていましたが、今は加齢によって適度に頬がこけていい感じになっていたのですね。本作での彼女は、かなり四角い顔です。しかも、終盤、囮になるときはブロンドのズラを被るので、ベース型の顔が強調される感じです。もちろん、美人に違いはないのですよ。ちょっとイメージが違う、ってことです。しかも、伯爵夫人と違って、こっちはとってもアクティブです。

 でも、2つの役に共通しているのは、優しくて強いところでしょうか。デニスも、テリーが容疑者扱いされていても、自分の彼に対する第一印象を信じて、彼を微塵も疑うことなく、彼を助けます。彼女も、テリーがシルヴィアの身代り目撃者であることは早くに見抜きますが、それを過剰に責め立てるでなく、テリーの自主的な行動に任せます。そういう、なんていうか、自分本位でないキャラが素敵だなーと。私がデニスだったら、テリーを責めまくり、本当のことを警察に洗いざらい話せと怒り狂うと思うのです。でもデニスはそうしない。挙句、彼を救うために、自らを危険に晒すという行動にまで出ます。私だったら、絶対しない、そんなこと。でもこのデニスの行動があったからこそ、警察も、真犯人を早くに捕まえることが出来たわけです。

 それが、賢い行動だったとは思えないし、何も囮にならなくても、正規の手続きを踏んでも良いのでは、と思いますが、それじゃあ映画として盛り上がらないもんね。それに、デニスはテリーを好きになっていたわけだし。テリーだって、こんなデニスを好きにならないわけがないでしょ。

 どーでも良いけど、黒人の刑事役の人(カール・ランブリー)どこかで見たことあるな~、と思って検索したら、あのドラマ『エイリアス』に出ていたのね! 『エイリアス』、ヴァルタンが出ているので見たけど、シリーズ1のしかも1話見ただけでドロップアウトしてしまったのでした。ヴァルタンは素晴らしく美しかったのだけど、どうにもジェニファー・ガーナーの顔とストーリーに着いて行けず、、、。ちなみに、被告の弁護人を演じていたのはウォーレス・ショーンで、こちらも『デスパレートな妻たち』にご出演でした。デスパでは破産して奥さんに逃げられた出版エージェントという、かなり情けない役だったけど、本作ではテリーの証言を木端微塵にした敏腕弁護士でした。

 、、、まあ、名作というにはちょっと軽い感じはしますが、そこそこ楽しめる隠れた逸品と言っても良いのでは? 

 





公爵夫人とは全く違うエリザベス・マクガヴァンを見られます。




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マーラー(1974年)

2015-01-20 | 【ま】



 死期の近いマーラーは、故郷へ戻る列車の中で、来し方を走馬灯のように映し出した夢を見る、、、。 

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 1974年の作品だったのか・・・。私が学生時代に宣伝していたような記憶があるので、てっきり80年代の作品かと思っていたのだけれど。

 さて、ケン・ラッセルです。同じケンでも、ローチとはあまりにも異次元の、でも同じイギリス人監督です、、、。

 なぜ本作を見ようと思ったかというと、昨年の夏に『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』を見た際、ラストにラッセルへの献辞があったからです。彼の作品には興味がありながら、これまで見ていなかったので、これを機に見てみようかと。

 はてさて、これは好き嫌いが分かれる作品でしょうが、私は結構「好き」です。マーラーを演じたロバート・パウエルのエキセントリックな演技も良いし、妄想シーンの演出がものすごく好みに合ってしまいました。特に、有名なマーラーが改宗するシーンですね、、、。サイコー。

 こういう発想がよくできるなぁ、と感心してしまいます。こういう人の頭の中を覗いてみたい。

 マーラーの音楽自体は、あんまし好きじゃない、、、というか、好きでも嫌いでもないのだけれど、こうして映画のBGMとして使われるのを聴いていると、何だかすごく良い曲のように聴こえるのです。何故だろう。あんまし聞いたことない10番とか、凄い素敵! と思っちゃいました。今度改めてじっくり聴いてみようかな。

 いやしかし、それは、ラッセルの素晴らしい演出があってこそかも知れません。きっとそうなんでしょう。

 アルマは、ちょっとイメージと違って、楚々とした感じの女優さんでした。もう少し、ファム・ファタール的な、アルマの写真に雰囲気の似た肉感的な女優さんでも面白かったのでは。ロバート・パウエルが鶏ガラみたいなんで、好対照でビジュアルにも良いんじゃないかと思うんだけど。ラッセルは、なぜあの女優さんを起用したのかしらん。

 でも、マーラーって、作曲家の中では、ベートーベンやシューマンと並んで、よく映像化されていますよねぇ。マーラーの何がそんなに創作意欲を刺激するんでしょうか。楽聖映画は他にもいろいろあるけれど、本作は、アンビバレンツ度でいえば群を抜いているでしょう。単なる下品な刺激作ではもちろんありません。

 誰でもわかる、あの名作のパロディもあって、笑えるところも多々あります。

 ラッセル入門としては、まあ、正解だった様な気がします。これから、ラッセルの世界へと、いざ旅立たん!!



ビョーキなマーラーが素敵




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マイ・ルーム(1996年)

2014-11-04 | 【ま】



 長年音信不通だった姉妹。姉ベッシーが白血病と分かり、骨髄移植の可能性を求め妹リーに連絡したことから、20年ぶりに再会を果たす。老いて寝たきりの父親を独身のまま介護するベッシーと、自由奔放そうに生きてきたリーは、やはり相容れない。

 リーに反抗ばかりしている長男ハンクが介在することで、ぎこちない姉妹の関係に変化が、、、。

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 自分を殺して家族のために犠牲になる姉 VS 自由奔放な妹、という構図。まあ、ありがちです。その姉、ベッシーの終盤でのセリフが、本作での全てかも知れません。正確じゃないですが、そのセリフとは、「私が選んだ人生。私は幸せ。彼ら(寝たきりの父親と認知症気味の叔母)をこんなに愛しているから」・・・です。

 幸せとは、本人が感じるものであり、周りが外から見えることだけで決めるもんじゃない、ってことですね。確かに、人生の充実度とは、いかに愛されたか、よりも、いかに愛したか、にあるというのには同感です。

 でもですね、ベッシーの状況を見て、それを言葉通りに受けとめるのはかなり難しいですよ、正直な話。そもそも、ベッシー、どうやって生活しているのか、経済状況がまったくのナゾです。仕事をしている風が一切ないのです。彼女の世界は、あの家で完結しちゃってる、っぽいのですね。強いて言えば、時折通っている病院が唯一の彼女にとっての外界。

 確かに、結婚歴の有無、子どもの有無、それらが幸せの尺度でないことはよく分かります。しかし、どう見ても、彼女が「自分で選んだ」と言うその過去は、それは、選ばざるを得なかった、と言い換えた方が正確なのではないでしょうか。自分のために費やす時間がほとんどないのです、ベッシーには。これで、「幸せ」と言われても、素直に「そう、そう言えるなんて、本当に幸せね」とは言い返せませんね、私は。

 が、しかし、それは私が根っからのわがまま勝手エゴイストだからなのかも知れません。こうして、他者のために時間を使い切っても、それを心から幸せと言える人も、世の中にはいるのかも知れません。少なくとも、私の周囲には見当たらない、というだけで。類友って言いますからね。

 ただ、本作は、介護が重要なファクターになっている作品でもあり、そういう意味では、非常に重いです。親の介護もそうだけれど、自分が要介護の存在になったらどーすんだ、という切実な問題。考えただけでも心がズーンとなります。私には子がおりませんから、公的な援助を受けざるを得ないんでしょう。できることなら、社会保険料を払えている間にお迎えが来て欲しいもんです。

 でも、まさに本日、先日受けた健康診断の結果が出てきて、申し分のない総合「A」判定だったしなぁ。当面、くたばりそうにない自分、、、がーん、、、。もちろん、健康には常々気を付けているし、感謝します。ならば、狙うはぴんぴんころり。まぁ、多くの人の理想ですよね。

 本作でも、ベッシーが亡くなった後こそどーすんだよ、ってことです。あの性格のリーに介護生活が務まるとは到底思えません。結局、この問題はエンドレスなのです。そこがもの凄く重さを感じてしまいます。本作自体は、少しだけ姉妹融和という兆しが見える救いのあるラストでしたが、問題はその後なんだよ、っていうツッコミが私の頭の中では渦巻いておりました。

 あと、ディカプリオ演じるハンクが、ベッシーに書置きを残して出ていくシーンがあるのですが、そのちょっと後で、何の説明もなく普通に戻ってきています。また、デ・ニーロ演じる医者のいる病院の受付に、その兄と思われる男性がいて、これがちょっと知的障害のある人っぽいのですが、この設定が全然ストーリー的に意味をなしていないのもナゾです。

 ・・・というわけで、映画としてはヒジョーに宙ぶらりんかつ中途半端、おまけに鑑賞後に心が重ーくなるってことで、評価は低めです。


介護のことを嫌でも考えさせられる映画




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マイ・プライベート・アイダホ(1991年)

2014-05-28 | 【ま】

★★★★★★☆☆☆☆

 リバイバル上映をしているのを知り、劇場へ。平日の昼間なのに、結構、人が入っておりました。

 リヴァー・フェニックスといえば、『スタンド・バイ・ミー』でしょうが、私、その名作と言われる作品を見ておりません。そして、彼の他の出演作も、1本も見ておりませんので、彼がどれほどの俳優さんなのか知らず、やはり夭折したことで半ば伝説になっているのかしらん、程度の認識でおりました。

 で、本作です。なるほど、彼は美しいです。男娼やっても、そりゃ、客がひっきりなしにつくでしょう。しかし、美しいだけで、金もない、学もない、親もない、家もない、、、では、彼の先行きは真っ暗です。それだけに、キアヌ演じるスコットに愛を告白するシーンは哀しいですねぇ。スコットに彼と一緒に堕ちる気なんかサラサラないわけで。

 スコットは、ああいう人っていますよねぇ。アマちゃんのくせに、地位も名誉もある親に一応反発しといて、いざとなると、その権威をかさに着て既定路線にアッサリ戻る人。こっち側の人間からすれば、あっちに戻るつもりならこっちに来るな、ってとこですが、あんな美男子の育ちの良いあっち側の人間がこっち側に舞い降りてきたら、クラクラしちゃうのも仕方ないよね。マイクの気持ちも、まあ、分からんではないです、ハイ。

 でもまあ、映画としては、本作はイマイチですね。非常にかったりぃです。リアリティを追求しているかと思えば、途中でストップモーション的な映像が差し込まれちぐはぐな感じがするし、多分、作品としてあまりにも抑揚がなさ過ぎなんでしょうなぁ。一見ダラダラなアルトマン作品なんかは、やはりバッチリ計算された掴みとか転換とかオチとかあるわけで。本作は、まあ、そういう構成的な未熟さと、若干説明不足なところが大きな減点要素ですかね。

 リヴァーについては、美しいし、演技も素晴らしく、惜しい人材を失ったのだな、と今さらながら思いました。他の彼の出演作も追々見て行きたいですね。
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マイネーム・イズ・ハーン(2010年)

2014-03-11 | 【ま】

★★★★★★★★☆☆

 昨年、『きっと、うまくいく』でインド映画にハマり(結局、劇場には6回)、Bluーrayも買ったのだけれど、その時、amazonさんがオススメしてくれたのが本作。内容はほとんど知らぬまま、とりあえず借りてみるか・・・と。

 冒頭、少し不思議な様子の、小西博之に似た男性が、空港の手荷物検査所で別室に連れて行かれるところから始まり、この男性が自閉症(アスペルガー症候群)と分かる。そして、このインドからの移民男性、リズワンはアメリカ合衆国大統領に会うことにひたすらこだわっているのだけれど、これが何故なのか、だんだん明らかにされていく。この、掴みから中盤までがものすごく上手いと思う。

 基本的に私は「障害者モノ」が苦手。でも、本作は、リズワンがアスペルガーであることはあまり本筋に関係ない。いや、あるんだけれど、それが前面に出てこないように、実に達者な語り口なのである。アスペルガーの特性をうまく生かしながら、また実際にあった事件(911やハリケーン襲来等)を織り交ぜながら、人種差別、宗教差別というもの凄く難しい材料を説教臭くなく取り込み、人間ドラマを描いていく。これは、脚本の勝利だと思う。

 なにより、リズワンを演じたシャー・ルク・カーンと、その妻マンディラ役のカージョルが素晴らしい。中盤でこの2人にはこの上なく幸せな日々が訪れるので、この先に何があるのかと、見る者を否が応にも不安にさせる。そして、見事にその不安は目の前にこれでもか描かれていく、、、。辛い。

 幼いリズワンに母親が「世の中には良い人と悪い人しかいない」と教えるシーンがあるのだけれど、この教え自体には私はちょっと異議があるけれど、母親がわが子に言いたかったことは分かる。「出自や属性と人間性は別次元のものだ」ということ。これは頭では分かっていても感情が着いていけない真理なのだけれど、リズワンはこれを真に実践できるところが凄い。その信念のもとに行動するから、周囲の心も動かされるのだと思う。

 これは映画だから、もちろん、上手く行きすぎなところも多々あるけれども、いいじゃないの、それでも。見終わった後の幸福感は格別。160分なんていう時間はゼンゼン感じない、これぞ映画にする意味のある作品。
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