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松木新左衛門始末聞書19 町年寄を諍う、田植え唄、弟郷蔵の急死

(大代川みどり橋から、雪を頂く南アルプス前衛の山々、12/22撮影、
ムサシ!そんなにリードを引っ張るな!)

松木新左衛門始末聞書の解読を続ける。武士も刀を抜くことはめったに無い時代に、大店の主人同士、脇指を抜き合うことがあったという話。

     町年寄に成らんと威を諍う事
一 町年寄、八文字屋長兵衛潰れて以来、その跡いまだ町年寄仰せ付けられず、かれにて有るべし、これにて有るべしと評判する折りから、松木新左衛門、友野与左衛門、大黒屋孫左衛門は、丁頭の中にも抜群にして、大いに目立ちたる者ども故、羽ぶりをのして、町年寄の御目鏡(めがね)に預りたきと存じ居る所に、御奉行様、御代り御上着の御迎えとして、長沼村へ何れも参り居りて、御駕篭それへ見ゆると申す時、与左衛門、孫左衛門、御目見えの先を諍いて喧嘩に及び、双方脇差しを抜く時に、新左衛門推し隔て申す様、御上を憚(はばか)らず、不礼のふるまい、与左衛門そこ退(の)かれよといい、挟み箱棒を以って、孫左衛門に打ち懸りて、脇差を叩き落し、石に当て、刃引きにして、投げ捨てしよし。

※ 刃引き(やいばびき)- 刃を引きつぶして切れないようにしたもの。

とかくする内に御駕篭来たりければ、周章(あわて)ふためき、前後なく打ち込みに御目見え致したるよし。後この事御聞きに及ばれ、以来は御奉行御着に丁頭ども迎えに出る事、無用にすべしと相極りしは、この時の事と承る。慶安辰年、御奉行三宅太兵衛様、御着府の節の事なり。

この新左衛門というは、後の新斎なり。与左衛門というは、新左衛門の弟与左衛門のためには、養父なり。中にも孫左衛門、抜群の発明者なれども短慮のよし承る。

※ 発明(はつめい)- 賢いこと。また、そのさま。利発。

また平生不和にして、孫左衛門の草履取りの名をば与左衛門と付け、与左衛門の草履取の名をば孫左衛門と付けしよし。その内孫左衛門が申すには、孫左衛門が供の与左衛門と呼びしよし。これには与左衛門負けしとなり。三人いずれも狐を好んで飼しよし。

     田植え唄の事
一 新左衛門居宅、本通りへ向いたる横町は、弐拾間の惣格子、唐臼四十から並べて、米を舂(つ)きしなり。然るに田植え唄に、新左衛門殿は内にか、いやなあ、横町で格子たゝく、と今に唄う。この格子の事のよし。遠国はしらず、駿遠三、伊豆、相模、甲斐までも、これを唄う事、普(あまねき)しなれども、訳は何とも聞えず。


     弟郷蔵、急死の事
一 郷蔵こと、山城国吉野山の銀山を願いて、仰せ付けを蒙りて、大いに悦び帰宅して、居風呂に入りし処、何事なく桶の中にて脈上り、息絶えて死にしよし。婬酒に耽り、不快にて居りたる所のよし。この銀山に取かゝらず。大いなる金儲けなるべきに、不幸にして死せし事、寔(まこと)に残念なりと、人々申せしよし。

※ 婬酒(いんしゅ)- 飲酒にふけること。

この郷蔵の死は、新左衛門の死より先なり。死後に子供を駿府へ引き取りて、新左衛門の養子となす。
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