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宗祇終焉記8 文亀二年八月~ 兼載長歌 (終り)

(昨日の雨で水没、大代川工事現場)

「宗祇終焉記」も今日が最後になった。さっそく解読を始めよう。

この頃、兼載は白川の関近きあたり、岩城とやらんいう所に、草庵をむすびて、程もはるかなれば、風のつてに聞きて、せめて終焉の地をだに、尋ね見侍らむとや、相模国湯本まで来りて、文に添えて書き送られし長歌、この奥に書き加うるなるべし。
※ 兼載(けんさい)- 猪苗代兼載。室町から戦国時代の連歌師。会津出身。心敬、宗祇に学び京都へ出て活動する。

   末の露    もとの雫の   ことわりは 大かたの世の
   ためしにて  ちかき別れの  悲しびも  身に限るかと
   思おゆる   なれし初めの  とし月や  三十あまりに
   なりにけん  そのいにしえの こゝろざし 大原山に
   焼く炭の   烟にそいて   昇るとも  惜しまれぬべき
   いのちかは  おなじ吾妻の  旅ながら  さかい杳
(はるか)
   隔
(へだ)つれば たよりの風も あり/\て つげ(黄楊)の枕の
   よるの夢   驚きあへず   おもいたち 野山をしのぎ
   露きえし   跡をだにとて  尋ねつゝ  言問う山は
   松かぜの   こたえばかりぞ かいなかりける

     反歌
   遅れぬと 嘆くもはかな 幾世しも 嵐の跡の 露のうき身を

この一巻は水本与五郎、上洛の時、自然斎知音の人に、京都にて、いかにと問わるゝ返事のために書き与うものなり。一咲々に
                           宗長
※ 自然斎 - 宗祇の号。
※ 知音(ちいん)- 知り合い。知己。
※ 一咲々に -「咲」は「笑」の古い字。ほんのお笑い草の意。


この一冊、宗長真筆の本を以って、これを書き写す。
  駿州駿東郡、桃園山定輪寺、什宝
時に、文久三星舎癸亥中秋、下院
  山主百園和上の需(もと)めに応じて、これを写す。
                   武陵城外人、大圓杜多。
※ 什宝(じゅうほう)― 家宝として伝えられた道具類。


「宗祇終焉記」を読み終えた。さて、次に解読する本は松浦武四郎の「東海道山すじ日記」にしようと思い、何日か前より解読を進めているが、原文は細かいくせ字で、慣れるまでにしばらく掛かりそうである。幸い宮本勉氏の翻字版が付属しているので、カンニングしながらの解読になりそうである。
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