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「信長公記」を読む 4

(台風一過の大代川)

台風14号も南へ逸れて、秋空が拡がった。こんな天気を台風一過と呼んでいるが、近年の台風はなぜか台風一過とはならないことが多い。今日は文句なしの台風一過である。こういう日はどこかへ出掛ければよいのだろうが、自粛に慣れてきた身体は、おいそれとは動かない。人の気持ちはけっこう厄介なものである。

テレビで「三屋清左衛門残日録」の新作を見た。奇を衒う時代劇が多い中、久し振りに心に残るものを見せてもらった。

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「信長公記 巻五」の解読を続ける。

七月廿三日 御人数をし、越前境(ざかい)に出し、、與語(余呉)木下地蔵坊中、初めとして、堂塔伽藍、名所旧跡、一宇(いちう)も残らず焼き払う。
※ 一宇(いちう)➜ (「宇」は軒・屋根の意)一棟の家・建物。

七月廿四日 草野之谷、これまた放火候。並びに大吉寺と申して、高山の構え五十坊の所候。近里近郷の百姓ら、当山へ取り上り候。前は嶮難(けんなん)、登り難きに依って、麓(ふもと)を襲わせ、夜中より、木下藤吉郎、丹羽五郎左衛門、うしろ山続きに攻め上り、一揆、僧俗数多(あまた)切り捨てられ、海上は、打ち下しの林与次左衛門、明智十兵衛、堅田(かたた)の猪飼野甚介、山岡玉林、馬場孫次郎、居初又二郎、仰せ付けられ、囲い舟を拵(こしら)え、海津浦、塩津浦、與語(余呉)の入海、江北の敵地焼き払い、竹生島へ舟を寄せ、火屋(矢)、大筒、鉄炮を以って、攻められ候。この中、江北に一揆と云うことを聞かず。企て徘徊の奴原(やつばら)、風に木葉の散るように、散り失いて、今は一人もこれ無く、猛勢とり詰め巻き、田畠苅田(かりた)に申し付けられ候間、浅井人数は次第/\に手薄に罷り成るなり。
※ 近里近郷(きんりきんごう)➜ 近在の村々。
※ 嶮難(けんなん)➜ 道などが非常にけわしく、通過するのに困難なこと。
※ 囲い舟(かこいぶね)➜ 戦国時代、乗組の兵士や水手(かこ)を守るため、船体上部を堅木などで装甲した船。
※ 奴原(やつばら)➜ 複数の人を卑しめていう語。やつら。
※ 苅田(かりた)➜ 他人の水田の作毛を不法に刈取ること。


七月廿九日 浅井居城、大谷へ参着(さんちゃく)候。然るといえども、この表の為体(ていたらく)、見及び、抱え難く存知(ぞんじ)、高山大ずくへ取り上がり、陣を居(きょ)すなり。然る処を、足軽どもに、責(せ)むべきを仰せ付けられ、則ち、若武者ども、野に臥せ山に忍び入り、幟(のぼ)り、指物(さしもの)、道具を取り、頸二つ、三つ宛(づつ)取り参らざる日もこれ無く、高名(こうみょう)の軽重に随い、その御褒美を加えらるゝの間、弥(いよいよ)(たしな)大方ならず。
※ 参着(さんちゃく)➜ 到着すること。
※ 為体(ていたらく)➜ ようす。ありさま。現代では、好ましくない状態やほめられない状態についていう。
※ 大ずく(大嶽)➜ 大嶽城のこと。
※ 指物(さしもの)➜ 戦国時代以降、戦場で武士が自分や自分の隊の目印として、鎧 の受筒 に立てたり部下に持たせたりした小旗や飾りの作り物。旗指物。
※ 高名(こうみょう)➜ 戦場での手柄。武功。功名。
※ 嗜み(たしなみ)➜ ふだんの心がけ。用意。

(「信長公記 巻五」解読、つづく)

読書:「油堀の女 剣客船頭 16」 稲葉稔 著
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