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「徳川記 巻四」の解読 9

(フウランが咲いた)

SNさんに頂いたフウラン、二年目の今年、漸く花を咲かせた。雨の中、デジカメで撮った。ほかにも花芽が見られるので、もう少し賑やかになると思う。

九州の大雨は、熊本から鹿児島に移り、更に今は、長崎、佐賀、福岡に移り、大きな被害が出ている。静岡でも、断続的に雨が降っている。だんだん、被害が東へ移って来るようで、不気味である。

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「徳川記 巻四」の解読を続ける。

大将馬巡(まわ)りには、丗余輩随い、切所(せっしょ)険難(けんなん)に一人ずつ残し置き、これを諸卒に知らしめ、程なく池鯉鮒(ちりゅう)に出ず。これに苅屋より一揆(いっき)千人余、敗軍の駿兵遮(さえぎ)るため、ここに出で、苅屋の上田半六と云う者、浅井を見、互いに罵(ののし)り寄る。この旨を聞き、上田、味方に向いて大音(だいおん)あげ、聊(いささ)か構えるべからずと下知して、今村に送る。これにより、(つつが)なく岡崎に皈城(きじょう)す。駿兵、皆な兵具を捨て、這々(ほうほう)大樹寺に引き入れ、岡崎本丸、駿河方、三浦、飯尾両人在番(ざいばん)す。二ノ丸は、元康公勢これを勤む。元康公八歳にして、岡崎退出し給い、永禄三年(1560)五月廿三日、十九歳にして、本領に還住(かんじゅう)普代(ふだい)の家人らこれを祝す。
※ 切所(せっしょ)➜山道などの、通行困難な所。難所。
※ 険難(けんなん)➜ 地勢がけわしく、歩行が困難なこと。また、その所。
※ 一揆(いっき)➜ 中世、小領主たちの同志的な集団。また、その集団行動。特に、幕府・守護・領主などに反抗して、地侍・農民・信徒らが団結して起こした暴動。
※ 大音(だいおん)➜ 大きな声。
※ 恙なく(つつがなく)➜ 平穏無事に。
※ 這々(ほうほう)➜ 這うようにしてやっと進むさま。散々な思いをして何とか逃げおおせる様子を、「這々の体」と表現する。
※ 在番(ざいばん)➜ 勤番に当たっていること。
※ 還住(かんじゅう)➜ 一度居住地を去った者がその土地に戻り再度居住することを意味する語。
※ 普代(ふだい)➜ 譜代。代々同じ主家に仕えること。また、その家系。


岡部開城、付り、水野討たる同月、鳴海の城には岡部五郎兵衛、これを守る。義元討死を聞いて、吾は当城において討死すべきと云いて、他の城主に与(く)みせず、廿日まで、堅固にこれを守る。佐々隼人を将として、これを攻めるといえども、更に屈せず。今川方の城主、連署(れんしょ)を以って退出せらるべしと称す。岡部これを聞かず。信長朝臣、渠(かれ)が武勇を感じ、和談(わだん)す。これより城を渡す。
※ 連署(れんしょ)➜ 同一の書面に二人以上の者が署名すること。また、その署名。
※ 和談(わだん)➜ 争い事を解決するために話し合うこと。また、その話し合い。和議。

(「徳川記 巻四」の解読つづく)

読書:「わるじい秘剣帖 6 おったまげ」 風野真知雄 著
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