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「徳川記 巻四」の解読 8

(散歩道のサフランモドキの白花、7月2日撮影)

NHKのスペシャル「世界を変えた戦国日本」は実に興味深く視聴した。中でも、大坂の冬・夏の陣が終り、平和の時代が訪れた時、何百人という武士たちが、オランダの傭兵として、東南アジアでの、対スペインとの植民地争奪戦に加担し、オランダの勝利と、その後のスペインの没落に大きく影響したという話は、初めて耳にすることで、大変興味深かった。

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「徳川記 巻四」の解読を続ける。

惣じて、二千五百余輩を討ち取る。所謂(いわゆる)宗徒(しゅうと)の侍には、三浦左馬助、由比美作守、石川新左衛門、関口越中守、斉藤掃部助、朝比奈主計介、庵原右近、(同)将監、同庄(彦)二郎、西郷内蔵助、富塚修理亮、松平摂津守、富永伯耆守、牟礼主水助、井伊信濃守、松平兵部丞、温井蔵人、松平治右衛門、四宮右衛門尉など六拾余人、近習(きんじゅう)は残らず討ち死にす。諸卒驚き騒ぎ、弔(とむら)い合戦の力無く、瀬奈、朝比奈、三浦など沓掛に引き退く。笠寺、池鯉鮒の番勢も城を開け出奔す。
※ 宗徒(しゅうと)➜ 頼みになる臣。おもだったもの。
※ 近習(きんじゅう)➜ 主君のそば近くに仕える役。
※ 番勢(ばんぜい)➜ 戦時の見張番。また、守備の軍勢。


この時は元康公、大高にあり。家人ら急に引き取らるべし、と云々。元康公(十九歳)曰く、かくの如きこと虚説(きょせつ)(すで)実事(じつじ)を聞きて随うべしと云いて、堅くこれを守る。然るを、伯父水野下野守、日来は合戦を遂げる敵たるとはいえども、流石(さすが)親族の忝(かたじけな)さに依って、浅井と云う者を以って、竊(ひそか)にこれを告げる。迅(すみや)かに引き取らるべし、云々。これに依りて、深更(しんこう)に及び大高を出て、闇夜(やみよ)に細雨(こさめ)を淋(そそ)いで道を失う。案内のため、浅井、松明を以って、先路(せんろ)に進む。元康卿曰く、我、往昔(むかし)、古人の語を聞くに、敵国に入りて退去の時、路を知らんと欲し、騎馬を十町、諸勢に先んずべし。また頭上に於いて、松明を振るべし。歩兵火を持つべからざるなり。
※ 虚説(きょせつ)➜ 根拠のないうわさ。そらごと。
※ 已に(すでに)➜ その時点ではもうその状態になっていることを表す。もはや。
※ 実事(じつじ)➜ 本当のこと。実際のこと。事実。
※ 日来(にちらい)➜ ふだん。ひごろ。
※ 深更(しんこう)➜ 夜ふけ。深夜。
※ 先路(せんろ)➜ 先の道。

(「徳川記 巻四」の解読つづく)

読書:「子取ろ はぐれ長屋の用心棒 4」 鳥羽亮 著
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