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遠州佐野郡東山村明細帳(1) - 掛川古文書講座

(粟ヶ岳の茶の文字)

昨日の掛川古文書講座で3回にわたった、東山村明細帳の解読が終った。以下に読み下したものを4回にわたって紹介する。

  延享四卯年(1747)遠州佐野郡東山村明細帳
※ 佐野郡東山村(さやぐんひがしやまむら)- 現、掛川市東山。山腹に杉の木で描かれた「茶」の字で知られた粟ヶ岳(532メートル)の南東丘陵にあって、良質茶の産地。近年、深蒸し茶や茶草場(世界農業資産に指定)で全国的にも知られるようになった。

(前略/この部分、田畑の明細などがある)

一 大豆弐国五斗九升         山畑定納
    内
五升三斗、正徳五未の年(1715)、崩れ引きにて、永々、作畑に罷り成らず候に付、その節、小笠原土丸様御役人中様御検分にて、御引き下し置かれ候処、延享元年(1744)御役人の内、村廻り遊ばされ、その年立帰り仰せ付けられ、その節より弐石五斗九升完納仕り候。恐れながら願い上げたてまつり候は、右崩れ引き場、その外の畑の儀も、猪鹿発向、その上惣百姓困窮に及び、十ヶ年以来より一切作り仕らず、崩れ引き荒地に御座候所に、大豆納め弁納、難儀至極仕り候間、恐れながら定納山畑御捨分の上、惣百姓、力付き作立て申すまでは、御引き下し置かれる様に願い上げ奉り候。
※ 小笠原土丸 - 小笠原長恭(おがさわらながゆき)。遠江掛川藩の第三代藩主。若年のゆえ、藩内において浜嶋庄兵衛(日本左衛門)と名乗る盗賊を取り締まることができず、延享三年九月、陸奥棚倉藩へ懲罰的な移封を命じられた。この村明細帳は掛川藩主転封に伴い、引き継ぎのため、掛川城付郷村引渡御用を勤めた、幕府の中泉代官に提出されたものである。
※ 立帰り(たちかえり)- もとの時点に戻ること。(崩れ引きをやめること)
※ 発向(はっこう)- 流行すること。ここでは出没して畑を荒らすことをいう。


一 十一面観音堂壱ヶ所 弐間に弐間   
            当村百姓助右衛門控え支配
   御検地境の内、預り、六歩       
※ 台(だい)- 平らで小高い土地。
                  
一 千手観音堂壱ヶ所  弐間に弐間
            宮殿弐尺四寸に弐尺壱寸
            当村名主 吉左衛門控え支配
   御除地預り台、五畝拾弐分
これは当村二十二番観音堂に札納候所に、前に貞享四卯年(1747)まではこの観音堂札納候所に、同年九月より当村の観泉寺へ子細これ在り、札納め申し候。
※ 二十二番観音堂 - 遠江三十三観音の二十二番札所。天王山観泉寺内長福寺。
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