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盛りの花の日記 8  2月26~28日 春日野、西の京、生駒山、大坂

(庭のジュランタ・タカラヅカ、別名タイワンレンギョウ)

竹村尚規さん一行は猿沢の池のそばに泊まり、朝、春日野から奈良を横切り、生駒山を越えて、大坂に至る。

二十六日、春日野に出て、

   めづらしな 花咲き匂う 木の本に 男鹿も遊ぶ 春日野の原

御山のいたく霞めるを見て、

   八重霞 立ち覆えども 三笠山 差してし仰ぐ 道は辿らじ
※ あふぐ(仰ぐ)- 上を向く。上方を見る。あおむく。

所々見巡り果てゝ、西の京へ出る。行く道に眉間寺という寺に入りて、聖武天皇の御陵に詣づ。西大寺は柳の歌ある所なれば、今もありやと見巡らすに、池の傍らに、小さき柳の垣結い回してありける。これや古えの跡にもやあるらん。
※ 柳の歌 - 遍照が西大寺のほとりの柳をよめる歌(古今集)、
   浅みどり 糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春の柳か


   立ち寄りて 見る大寺の 青柳(あおやぎ)の いとゞ昔の 偲ばれぞする

この西の京の辺りは、何となく、昔の名残り覚えて、すべて、すべて、寂しく物あわれになん、見え渡る。かかる所には、何とかや、打ち付けに住ままほしくさえ、思わるゝものなりけり。人目もまれに、あれわたりぬる有様の、好ましゅう覚ゆるは、如何なる心の癖にかあるらん。我ながら、怪しゅうこそ。
※ うちつけに(打ち付けに) - 突然に
※ まほし - ~したい。
※ あれわたり(荒れ渡り)- 一面に荒れる。どこもかしこも荒れる。


現代は観光客で溢れる西ノ京も、往時は一目もまれで、隠棲したくなる様な寂しい所だった。そんな思いを持つ尚規さんは弱冠21歳である。そんな自分を我ながら怪しゅう思うと自嘲する。

さて菅原の里にて、天満宮の御社を拝む。この東に伏見の里はありとぞ。古き歌どもに見慣れつる、里々なれば、知る人などに会えらむようにて、いと懐かしくぞ覚えたる。この南の方に、蓬莱山というは、垂仁天皇の御陵にて、大き
なる池の中にぞ、いと良き形したる山が有りける。そのさま、いと厳かにて、いとも/\尊とし。なお行き/\て、追分という里に宿りぬ。この辺りは添下郡(そえしもごおり)なりけり。

二十七日、宿の庭に梅咲たり。

   移すとも やつれし袖は 梅の花 あかぬ色香や 留まり兼ねけん

伊駒山を越ゆるほど、駕籠舁(か)けるおのこ(男)に問うに、西の方は花も数多ある由、言えば、

   生駒山 今はありとも 白雲に 人も分け見ぬ 花をしぞ問う

登り果てたる嶺(ね)向こうは、暗がり峠とぞいうなり。こゝよりは、河内
国河内郡なり。ゆき/\て深江村というに至る。こゝはまた津の国の境なり。
※ 津の国 - 摂津の国、現在の大阪府北西部と兵庫県南東部にあたる。摂州。

二十八日、大坂にて高津の宮に詣づ。それより、契沖法師の古跡、東高津の餌差町という所の円珠庵に至りて、墓所に詣づ。寺に入りて庵主に乞いて、書き置かれし書ども、かれこれ見る。いと珍し。去年百年忌なりけりとぞ。春懐旧という号にて、国々の人々の歌ども数多記したり。

   今日訪ね 見つの浜松 年久に 恋いわたりつる 跡偲ぶかな
※ 年久に(としひさに)- ながい年月。年久しく。
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