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「寝ものがたり」の島津富

                  (庭のアガバンサス-紫君子蘭)

「仙人志望のO氏からの便り」の書き込みで、島津富の逸話を書き写していて二つばかり疑問が生じた。

第1点は雨が降ったことを島津富は死ぬまで知らなかったとあるが、そうするとこの話は誰から聞き取ったのであろうかということ。第2点はその神社にはその句の額が掛かっているとあるが、今でも残っているのであろうかということ。

疑問が生じたなら原典を当るべきだと考え、まずネットで「しろしめせ神の門田の早苗時」を検索してみた。一発で出た。鼠溪著「寝ものがたり」は「続日本随筆大成11巻」に出ていることが分かった。この本は金谷の図書館「みんくる」にあるのは承知していた。で、今日土曜日「みんくる」に出かけた。今手元に借りてきたその本がある。少し長いが書き写す。(送り仮名など読みやすく変えた)

津富、雨乞いせしことを平常問えば笑って答えず。ある時、津富酒機嫌の節、祖父このこと問われしかば、津富答えて、我等田舎へ行き、ある在家に逗留せしおり、大旱魃にて早苗枯れぬ。百姓ども集り、昔、榎本其角、三めぐりにて雨乞いせしとかや承りぬ、そこ許も俳諧師のことなれば、雨乞いの句を吟じて給われよと言う。われら辞しても聞かず、たって吟ずべしと言うゆえ、余儀なく、然らば吟じても見べけれども、今ここにて吟じても詮なかるべし、明日当所の鎮守に参り神前にて吟ずべしといえば、もっともなりとて帰りぬ。

さて翌日は精進潔斎にて、正午の頃、氏神の社に詣でし、吟じし句は即ち、

         しろしめせ 神の門田の 早苗時 

短冊に認め、神前に備え、旅宿に帰りしは八つ時過ぎなり。少々曇り来れども、いかゞ有らんか覚束なく、夜食もそこそこに喰らい、日の暮るゝを待ちて臥戸に入りしが、鬱々として眠られず。五つ時頃さつさつと雨の音きこえければ、(幸)先嬉しやと思ううち、段々強くなり、降りも降ったり三日三夜やみ間なくふりつゞきぬ。雨晴れて後、百姓ども白銀十枚に産物添えて来り、思わざる得の付きたりき。右様なことが度々あらばよかりなんと云いて話しけるとぞ。

これも又、その国その鎮守の祭神など、聞きたれどわすれたり。惜しきかな、遠国片隔のことゆえ、世に知る人少なし。ある時、この句意いかにと沾山に問いしかば、沾山大きに感じ、晋子が夕立の句にまさりたりと言いたりき。


二つの疑問は一応答えが出た。島津富は雨が降ったのを宿で確認し、お礼までもらって帰っている。また、神社にその句の額が掛かっているとはどこにも書かれてない。その神社名も土地の名も忘れてしまったというから手がかりがない。

O氏も物語として一部内容を変えていることが判った。このように話は伝えられる毎に、変形していくのが判って面白い。「寝ものがたり」の話も、祖父から聞いた話とされており、案外、句が先にあって物語があとで作られたものかもしれない。犯人は「島津富」か「祖父」か、案外「鼠溪」かもしれない。

どうせ実態がないならば、どこかの町がその地の鎮守に句碑を建てて、オラが町で起きた話しとしてもどこからも文句は出ない。「雨乞いの句碑」として観光客がくること間違いない。100年も経てば真偽は二の次になる。かくして新しい名所旧跡ができる。
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