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大井川を挟み輪を描く-神座超散歩

(前方が塞がれた竹下大井神社)

朝から良い天気で、一ヶ月ぶりの超散歩に息子と出かける。メタボが気になりだしたのであろうか、息子が超散歩に付き合うというので、今日は少し少なめな距離でコースを選んだ。自宅から横岡の水路橋で神座に渡り、国一のバイパスの橋を渡って戻り、ちょうど輪を描くようなコースである。

大代川の土手から逸れて北へ歩く。五加バイパスからよく見えていた竹下大井神社が見えなくなってしまった。気になって最初にその確認に行く。神社が第二東名のランプウェイに隠れるようになってしまったのを確認した。集落の神社はその集落の高いところ、あるいは最も上流方向に置かれていることが多い。竹下大井神社も集落の北のはずれに置かれていた。竹下の集落へまっすぐ続く道がランプウェイで遮られてしまい、神社が竹下の方からは全く見えなくなってしまった。お祭りに幟を立てたあたりはランプウェイになってしまったのだろうか。集落の神社がこんな風になったことを、うかつにも住民として全く知らなかった。


(横岡八幡神社入り口のスギ)

続いて横岡八幡神社にも寄った。子供のころ遊びまわった地域で息子は詳しいが、神社の石段を見てこんなに低かったかなあと首をひねる。子供の身体ではすべてが大きく見えるものである。

登り口左側に御神木のスギの巨木がある。20年前の調査(昭和63年、環境庁の巨樹巨木林調査)で幹周り3.5メートルとなっていた。今は4メートル近いかもしれない。境内には同調査でもう一本、幹周り3.05メートルのヒノキの巨木があった。これも二人で手を回してみて、3.5メートルくらいはありそうだった。それ以外にも、幹周り3メートルを越す巨木がカヤ、クスノキ、シイノキなど数本はありそうに思った。

案内板によると、横岡八幡神社は1496年遠州三十六人衆の一人である鶴見因幡守栄寿が城の壇の地に横岡城を築城するのに伴い、その鬼門に当るこの地に八幡神社を建てたと伝わる。神楽殿そばに「鎮座五百年」の記念碑があった。


(横岡八幡神社神楽殿)

神社には島田市の民俗無形文化財に指定されている、「神楽、四方の舞」がある。男子の稚児が舞う全国的にも数少ない神楽で、烏帽子・直垂(ひたたれ)・袴(はかま)を付け、鈴を手にして、笛、太鼓に合わせて強く四方を踏む里神楽だという。30年前、横岡に住んでいた頃、祭礼の夜に四角い神楽殿で行われる神楽を見た覚えがある。息子は、引っ越すのがもう何年かあとだったら、神楽を踊っていたかもしれないという。今日は自分の知らない息子の子供時代が知れて非常に興味深い。(明日へ続く)

【希望のかけら】テニスプレーヤーで引退して12年経つクルム伊達公子が復帰戦となったカンガルーカップ国際オープンで惜しくも優勝は逃したものの準優勝し、37歳という年齢を物ともせず、ブランクを見せない活躍をした。活躍を許してしまった若いプレーヤーに大いに刺激になったであろう。(ダブルスでは優勝した)
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