平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
事実証談 神霊部(上) 37~39 社木を伐り一家退転或いは断絶した祟り
幼稚園が夏休みで、名古屋のかなくんはママと我が家に避暑?に来てから2週間くらい経つ。島田のパパの実家に行ったり、掛川のまーくんの家へ行ったり、出たり入ったりで忙しいが、我が家が主たる宿泊所になっている。暑い中を、あちこちの昆虫展に連れて行ってもらったり、町のプールに行ったりと、自分は孫の相手はしないけれども、島田のじいじやばあば、金谷のにいになどが連れまわってくれている。明日は掛川のまーくん、あっくんの家で、流しそーめんをするとかで、今朝名古屋から合流したパパ共々呼ばれて行くらしい。思い出に残る夏になっただろうか。
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「事実証談 神霊部(上)」も、あと20話ほどである。「神霊部(上)」が終っても、事実証談はまだまだ続くのであるが、そこで一区切りとして、気分を変えて、他の古文書を読むようにしたいと思う。
本日は、事実証談 神霊部(上)第37話から第39話までである。
第37話
榛原郡志戸呂庄なる祠官、寛政年中の頃、往昔より境内にて、伐らざりし所の社木を、伐り取りしより、その家に凶事のみ打ち続き、国にも居住なり難き事出来て、他国へ出たりしは、皆社木を伐り荒らせし崇りならんと、かの家の親族の物語なり。
第38話
豊田郡奥山領明神社、神主価(あたい)百両ばかりの社木伐り払いしかば、その家の家族皆死に失いて、今は他人を以って相続せしも、必ず崇りなりと言えり。又周智郡にも同例あり。同じければ畧(はぶ)きぬ。
第39話
豊田郡池田庄、岩田社の鍵取、社木を伐り荒せしより、主心乱れて物に狂い、公田五拾石ばかり有しを、年経ずして失い、今は社領三石目のみ残りしと言えり。また荒神社鍵取も、寛政年中、社木を伐り荒せしより親族死に失いたりしが、これまた同じ崇りなりと、その池田庄の某が物語なり。
この三話もそれぞれの場所が特定できず、訪れることが出来なかった。
社木を伐り、崇られた話が続くが、以前「巨木巡礼」で巡った神社で、資料を調べて出掛けた巨木が、いつの間にか伐られているのをたくさん見てきた。枯れた、倒れた、或いは安全のため、更には本殿を建替える資金捻出のため、など、色々な理由が着いていたが、「事実証談」の時代であったならば、崇りの元になったはずである。しかし、そんな話は全く聞かなかった。ただ、伐るに際しては丁寧に御祓いをして貰っているとは聞いた。確かに「事実証談」の崇る話には、御祓いしたという記述がない。社木などを伐る際に、事前に御祓いをする習慣は何時頃から出来たのだろう。
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