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上越秋山紀行 下 13 五日目 湯本 5

(イチョウの黄葉の始まり / 浜松の五社・諏訪神社)

起きたら、テレビで、パリの同時多発テロのニュースが飛び交っていた。人類はいつまでこんなことを続けるのだろう。これで、ヨーロッパへのシリア難民流入への、反対運動に油を注ぐことになるだろう。無法者に「人道」の看板を掲げて「戦う」矛盾に、そろそろ限界が来ているようにも思える。

午後、「駿遠の考古学と歴史」講座に出席する。今日のテーマは、家康を中心に、鷹野(鷹狩り)の政治的な意味に焦点を当てたものであった。

一週間、横道に逸れていたが、再び「上越秋山紀行 下」の解読に戻る。

暫く四方を詠み終りて、薬王閣の扉を開けば、近頃の建立かして、何の花もなく、只合掌して宿へ帰れば、湯守、粟刈り、薪取りの世話(忙)しき様子。

  薬王閣奉納(以下、挿絵中の記述)
秋山の秋見まほしく、清水川原となん云う村より、果てしは和山の奥に至るまで、行路難々として、奇石怪巌の中津川原の右と左は、恰も軸(掛軸)を開くがごとく、たま/\鶏犬の聲を聞いては、桃源に入るかとあやしみ、こゝの霊液(温泉)に浴するに、この地もまた仙境のごとく、とみに薬王閣に詣うで、法楽麁章をさゝ(捧)ぐ。
※ とみに(頓に)- 急に。にわかに。
※ 法楽(ほうらく)- 仏法を味わって楽しみを生じること。また、仏の教えを信受する喜び。
※ 麁章(そしょう)- わずかなしるし。


  谷川や 出湯で聞けば 法の声

  紅葉(もみじ)葉は 瑠璃の光りの 朝霧に
    日向やごしの 初日みつ引
(導く)
(ここまで、挿絵中の記述)

(昼)時前は、予が徒然(つれづれ)の慰め、かの白張の屏風に、画賛、短冊の類い張りくれ、まだ昼には些(いささか)早しと、湯守は十一、二歳の童に雑喉川の案内せよと云うに、童は細竹竿のうらに鍵付けて、先に進み案内するは、爰元(ここもと)など、遊山すべき処とて、桶屋諸共(もろとも)その佳景へ趣くに、湯本の辺り、暫し石川原を往く。

ざつこ河(雑喉川)の下った流れ、中津へ出合い近くして、恐ろしの柴掻い付けたる橋あり。ここを過ぎ、丹梯の大樹原を行く事、数丁にして、雑喉川の幽溪さして、路なき処を草木押分け、既に川辺近く藤蘿に取りすがり、山笹を敷き辷り下り、辛(つろ)うして大磐石の上に下り、都(すべ)てこの前後、石工の源翁も及ばざる、真石の累々と竪横に重なり、或は滑らかにして草鞋辷り、また基盤に生ずるが如く、予め眺望するに、ここに続き、二つの釜と云うあり。
※ 丹梯(たんてい)- さかみち。
※ 藤蘿(とうら)- ふじなど、つる状植物のこと。かずら。
※ 石工の源翁(いしくのげんのう)- 南北朝時代の越後国出身の曹洞宗僧。殺生石を退治する逸話は有名であり、大きな金槌の玄能(げんのう)の由来となった。
※ 真石(まいし)- 天然石。


取りわけ第一の釜の瀧壺は、薬研の如き凹(くぼみ)の、数間の巌石の合うより、霹靂として漲(みなぎ)り落つ。その音、予が聾を轟(とどろ)かし、また瀑壺(たきつぼ)の白浪、潭水の中へ洋々と流れ入り、その深き事、量り知るべからず。況んや両岸は千仭の巌石聳えて見えぬ。唐土の石壁もかゝる風情ならんと、そぞろに逸興頻りなり。
※ 霹靂(へきれき)- 大きな音が響き渡ること。
※ 潭水(たんすい)- 底深くたたえられた淵の水。
※ 千仭(せんじん)- 山などがきわめて高いこと。
※ 逸興(いっきょう)- 特別に興味深いこと。
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