平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
徳兵衛池から次郎柿原木へ
(昨日の続き)
残るは、天竜浜名湖鉄道に沿って森町に行くだけである。途中に徳兵衛池という灌漑用の池があった。案内板があって、昔、森町の徳兵衛さんが狐が化けた美女に迫られ、後ずさりして池に落ちたというユーモラスな話が書かれていた。掛川宿へ行った帰りというから、この道は昔から街道として使われていたことが分かる。この街道は秋葉街道である。
(次郎柿原木)
戸綿の駅の下にあった観光案内版に「次郎柿原木」の表示があった。太田川をわたってすぐに尋ねて、人家の間に残る黒い原木に至った。黒い幹から出た枝から新芽がたくさん出ていた。
案内板によると、この「次郎柿原木」は県指定文化財(天然記念物)になっている。160年前に森町五軒町の松本治郎という人が、太田川の川原で柿の幼木を拾い庭に植えたところ、成長し実をつけるようになった。明治になって火災にあったが、焼け残った根株から発芽して、再び実をつけるようになった。この実は、肉質が緻密で、豊かな甘みがあり、種も少ないことから評判になった。治郎の名を取って、ジンロウ柿(甚郎柿・治郎柿)というようになり、その後「次郎柿」という名に定着した。
火災に遭ったことが、この柿に変異を起こしたのであろうか。大変興味を引かれる。案内板からは火災になった後、有名になったと記されているだけである。
このあと、森町の街中を歩いて三嶋神社に登って参拝した後、神社の向う側にあったバスターミナルから、バスで袋井駅まで出て帰った。
今日の歩数は43,260歩であった。バスターミナルまでは約40,000歩であった。この40,000歩が自分の歩幅でどのくらいな距離になるのか、一度調べておきたいと思って、翌日車で同じ道を走ってみた。その結果、森町のバスターミナルまで26キロメートルと判った。これで色々なことが判る。この26キロをほぼ6時間半で歩いたから、時速4キロメートルという標準スピードで歩いている。一歩当りの歩幅は65センチメートル、10,000歩で6.5キロメートルとなる。想像していたよりも距離が少し少なかった。30キロメートルを越えるにはあと一時間は歩かねばならない。なかなか厳しいことが判った。
車で距離を測った帰りに、昨日書き込んだ孕石天神に立ち寄り、また「ならここの湯」に一人で入って帰った。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 孕石天神から... | 蒲原宿の「木... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |