平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
孕石天神から子安観音へ

(昨日の続き)
森町超散歩の続きである。県道39号掛川川根線に出た。掛川市街から居尻の日帰り温泉「ならここの湯」へ通じる道である。出たところの集落を孕石(はらみいし)という。原野谷川沿いに孕石天神がある。しかし、看板が気になりながら素通りした。
次の日、もう一度、ある理由があって同じコースを車で走った。その際に確かめてみると、看板からすぐのところに孕石天神はあった。孕石天神は川沿いの岩盤の上に作られた神社で、御神体は社殿前に露出している石混じりの堆積岩である。通常「さざれ石」といわれる岩である。風化する岩から石が出てくるのを、子供が生まれるとみなして、お参りすると子供が授かるという民間信仰が生じたのであろう。孕石の地名もそこから出ている。神社の引き戸を引くと、両側の壁に消えかかった写真から、真新しいカラー写真まで、赤ちゃんの写真が所狭しと貼り付けてあった。子を授かるように願を掛けて願いがかなった数だけの写真である。
超散歩に戻る。間もなく、「しばちゃんちのジャージー牛乳」の店が田んぼの向こうの山の端に見えた。考えてみると山の中を歩いてきて、食料に有りつけなかった。だから何か食べ物でも売っていないかと立寄ってみたが、本日はお休みであった。
原野谷川に沿った谷は広くなって、川は蛇行する。大和田、平島、原里と続く集落を、何度も川に掛かる橋を渡りながら歩く。左手の上空には第二東名の工事が進んでいて、橋脚がいくつも並び、トンネルも見える。

(肉感的な観音像)
平島に「開創九百年 子安観音 春昌禅寺」という看板があった。坂を登ってお参りしてみた。ここにも「さざれ石(孕石)」が碑のように立っていた。お堂の前には丸い石がいくつか置いてあり、「子宝石-この霊石に手を当てて祈念すると子宝に恵まれる」と記されていた。せっかくだから丸石をしっかり触っておいた。この石の幾つかは相良の「子生れ石」とよく似ている。また石の子安観音像があった。実に肉感的で、授乳する観音像であった。他にもいくつも子安観音石像が立っていた。


(鯉のぼりと武者幟)
原里では鯉のぼりと武者幟を見た。少し気が早いが、掛川は節句を新暦で祝うから、一ヶ月前である。武者幟に「優我」と染められていた。子供の名前であろう。
孕石天神、子安観音、鯉のぼり・武者幟と子供の誕生と健やかな成長という親の願いを見せられた、原野谷川の谷の超散歩であった。寺島から山を越して直接森町に達する道もあるはずで、しかし、探している間に天浜線の原田駅まで出てしまった。そうなるともう天浜線に沿って森町に出るしかない。(明日へ続く)
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