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「竹下村誌稿」を読む 304 教育 7

(散歩道のツリガネニンジン)

息子が山梨より、渋柿一箱を買って帰る。今年作る干柿の中で最高品質の渋柿である。天候具合を見て加工しようと思う。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

(明治)四十四年七月、小学校令の一部を改め、高等小学校の教科目中の随意科を廃し、必須科となし、児童には必ず手工、農業、商業の内、その一を課し、大いに実業思想の養成に努め、教授時間を増やし、教則などの改正を加え、以って今日に至れり。

以上小学教育に関する概綱を記するに過ぎず。而して本村小学校経済状態の大要を按ずるに、学制時代に在りては生徒の数も少なく、従って多くの費用を要せず。しかも予算の編成なく、収支の科目も指定なきを以って、事後処分となせり。
※概綱(がいこう)- おおすじ。

而して、明治十年、竹下学校(竹下・横岡・横岡新田・牛尾・嶋・番生寺・志戸呂、七村組合)時代の経費の収支を見るに、支出総金弐百四拾八円四拾参銭六厘にして、これが収入は学資金及び授業料百五拾八円五拾四銭八厘、地価割(地価二十一万六千五百八十五円八十一銭)六拾弐円九拾弐銭弐厘(地価百円に付三銭〇五三)、戸数割(四百八十一戸)拾参円四拾八銭参厘(一戸二銭八厘)、人数割(二千二百九十六人)拾参円四拾八銭参厘(一人五厘八毛七五)を組合村へ賦課せし有様なりし。

同十七年、竹下村外十ヶ村組合となり、各小学校の経費も、初めて予算を設け、収支を指定すといえども、これまた多くの経費を要せざりしが、その後制度の改正、文化の進運により、漸次生徒の加わるとともに、経費の増額を促し、同二十二年、自治区組織の初年には、五和村の教育費(本稿村の条参照)として、経常費のみにて、壱千六拾参円を予算に計上せしが、逐年経費の増加に傾き、大正三年度は激増して、四千参百九拾九円九拾銭、実に五和村経常費総額のほとんど半ばを占むるに至れり。

かくの如き形成にて、逐年経費の膨張を来たすにも拘わらず、教育に隆盛を永遠に期せんには、基本財産を造成し、経済的基礎を確立するの必要を感じ、漸次蓄積したるもの、同年度に於いて、同村各小学校基本財産として、現金九千八百四拾円と十数町の植林地を有するに至る。而してその蓄積の方法は、明治八年、村内篤志家より学資金として五円以上百弐拾円以下の寄付金、文部省教育補助金、及び庚午貯穀金を学資金に充て、利殖したるものと、毎年教育費の決算より生ずる剰余金などを合したるものなり。また以って、小学校経済の盈縮を察すべし。(大正四年五月稿)
※ 盈縮(えいしゅく)- 満ちることと縮むこと。
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