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大井河源紀行 18  3月19日 桑野山、狒々の話

(裏の畑のアマリリス)

藤泰さん一行は桑野山村で、その先の谷畠へ越す路の様子を聞いた。

桑の山を出て、青なぎ山の岸、七引(ななびき)と称して、大崩れの際、八間程づつ七折りあり。ここ眼下は大井河岸にて十余丈ばかり、錐立ちたる嶮壁なる中に、さゞれ岩にて、極めて細き横かり路なり。(横苅道とは山中方言)足の通いたもちかねて、一歩すれば尺ばかりも踏み下し、歩々皆かくの如し。その危きこと、たとうるにものなし。かゝる処を七廻りして、それより藤葛を木につなぎて、それをたよりに取りすがり、木の根、岩かどに手をかけて、越え登る所もあり。この辺にて、まゝ足を失い、大井河に落ちて亡命のものゝありという。こゝを渡り越して、大沢と云う所に出る。これは谷畑の小地名なり。

ここを過ぎて、谷畠の里に至る。家員十二戸。産土神、三宝荒神、祭る所、沖津彦命、沖津比美命、土祖神なり。文化三年の事にや、ここの氏人等、神木を高金に鬻(ひさ)ぎて、禁官の正一位を願いたるに、宣旨を賜い、神司に納めたり。奥深き山中にかゝる事は珎らしきためしなるべし。この里より天狗石橋に登り出て、梅地、あるいは洗沢、八草等に出るなり。

ある人壮年の頃、材木を業として、山中に入りて、数回(あまたた)び。ある時、谷畠より未明に発し、智者山の嶮阻を歴て、藁科の八草村に越ゆ。途中夜、明けんと欲するころほい、深林を過ぐる。前路数十歩隔て、大樹下の根に、長さ一丈あまりのあやしき物、樹に寄りかゝれるさまにて立ちて、左右を顧みる。

こゝに導者、潜かに告げて云う。かしこに立つものは、深山に栖める山丈(やまおとこ)と唱うものなり。この山中、まゝ見る事あり。彼に行き逢えば、その命、はかりがたし。前途にすゝむべからず。また声ばし揚ぐべからず。この樹のかげに、しばし形をかくすべしというに、ある人驚き怖れてしがじ、本の路に逃げ走らんという。導者いう。走るべからず。こゝにひそむにしかじというに、おそろしさ、しのぶべからずといえども、今更詮方なくば、唯、声をのんで、隠れいるに、東方日の登る頃、かの怪しきもの、樹下を去りて、峰の方に迅(とく)走る。
※ 導者(どうしゃ)- 案内する人。先導者。

潜かにこれを窺い見る。状(かた)ち、人の如く、髪を被り、黒き身にて、毛生い、人の面の如く眼目きらめき、長き唇反り倒(かえ)り、頭髪ながきこと、頭髲(かもじ)をたれたるが如し。その長(たけ)丈余。ある人これを見て、毛起踈踊躋(みのけよだちしふるい)して、足の踏む処をしらず。

されど嶺に走り去るを以って、はじめて安堵の思いをなし、郷導者と同じく、かの樹下に至り、その跡を見るに、怪物の糞、樹下にうずたかし。その多きこと、一箕ばかり。その辺の樹、一丈ばかり上にして、木皮をむきさくりたる跡あり。導者云う。これ木の甘皮を喰うなり。また篠竹を好んで喰う。糞中に一寸ばかりに、かみくだける篠竹あり。獣毛交じると云う。これは狒々と呼ぶものなり。山丈(やまおとこ)とは異なるが、されど山中のもの、山丈と唱え、まれに見るものありと云々。

我等かゝるおそろしきことなど、聞き及びしに、途中にて桑野山人の申し語りたる行路難に心をくれて、明日の通路に思い煩らいぬる。案内のものも、この道筋は通うべき岐(みち)にあらず。遠江の地に越えれば、青なぎの難所はさけ侍るなれど、明日は小長井より洗沢に越してかならむ。路次の程、七十余町の登りなれど、あやうき路次にはあらず。唯、険阻にて辛苦のみと申したるまゝ、この路と定む。


以上は、桑野山村の人に聞いた話で、藤泰さん一行が歩いたわけではない。一行は桑野山村より引き返し、上藤川村に戻る。
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