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天保の世に「甘露」が降った

(ムサシの散歩道の、大井川土手のヒメヒオウギズイセン)

明日ある第3回の掛川古文書講座のため、予習をしていて、喜三太さんの「記録」の「甘露」と題した一文を解読した。少し先づもになるが取り上げてみる。

天保4年から天保7年まで続いた天保の大飢饉に、あちこちで打ち壊しなどの騒動も置きた後で、ようやく出口が見えてきた天保8年の記述である。

甘露
天保八酉年四月頃より五月頃、所々に甘露降り候と申す事にて、諸人当秋は田畑共豊作いたすべくと、悦び申し候、実に木の葉、笹葉などへ降り候と申すを見候に、蜜などぬり付たる如くにて、甘き事上の砂糖の如くに候


この年、4月~5月にかけて、所々に甘露が降ったという記述である。皆んな豊作の兆しと喜んだ。木の葉や笹の葉に蜜を塗ったようで、砂糖のように甘かったという話である。これは一体どういう現象なのだろうか。お札が降ったことがええじゃないか騒動に発展したように、誰かが意図的に行った人為的なものなのだろうか。

ネットで探してみたが、ヒントになるものはなかった。辞書で「甘露」と引けば、中国古来の伝説で、天子が仁政を施すと、天が感じて降らすという甘い露とあった。喜三太さんは決して観念的な話をしているのではなくて、実際に舐めてみたら上等の砂糖のように甘かったと言う。「甘露」は宗教用語として多用され、普通の水でも宗教心があふれると甘露水になる類のことであろうかとも思ったが、喜三太さんはそれほど信心深い人でもなさそうだ。

辞書をさらに見ていくと夏に、カエデ・エノキ・カシなどの樹葉からしたたり落ちる甘い液汁とあって、その木につくアブラムシから分泌されたものと書かれていた。

アブラムシが排泄する甘い液体を蟻がもらう、アブラムシと蟻の共生の話として良く聞く。早速、「アブラムシ」と「甘露」で検索してみると、樹木に大量発生したアブラムシが出す「甘露」が、樹木の下葉に滴り落ちて、その部分がべとべとし、舐めるとすこぶる甘いという観察記録に出会った。喜三太さんがいう「甘露」はこのことなのだろう。「記録」で言う4月~5月は今の6月~7月で、季節もぴったり合う。

おそらく冷害の起きるような年には、昆虫類も子孫を残すのに厳しい年であっただろうから、てんとう虫のようなアブラムシの天敵が減っているところに、天候が回復して樹木がいっせいに新芽を出し、アブラムシが大量に発生することになったのだろう。

喜三太さんの「甘露」の記録は正しい観察によって書かれたものだと想像出来た。大飢饉もやっと出口に来たという喜びに、わざわざ「甘露」と表現したものであろうと判断される。
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