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「満水」 - 喜三太さんの記録

(庭のブルースター)

7月9日に名前が判らない花として同じ写真を掲載したが、偶然に名前が判った。1時間の刑事ドラマを見ていて、犯人の決め手になる花として見覚えのある花が登場した。花の名前はブルースターである。茎を折るとミルク状の白い液が出て、アルカロイド系の液で人によってはかぶれることがあるという。そのかぶれが動かぬ証拠になった。目立たない花だが、名前はスターである。南米原産の多年草である。

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午後、掛川の古文書解読講座へ出席した。最初に解読したのが、「満水」と題名の付いた喜三太さんの記録である。読み下した文を以下へ示す。

満水
天保六(乙未)年六月二十九日昼より三十日朝まで、大雨にて古来稀れなる大洪水、下川原本堤、中村権現堤弐ヶ所、雲右衛門前壱ヶ所、切れ込み申し候、吉岡堤桑地など一面に水打ち越し、田畑とも大荒れ仕り候、田方出穂前に付、障りも少し候へども、里畑の分は残らず、夏作皆無に相成り申し候、村方の内、床上に水乗り候家、拾七軒、別けて東木戸高水にて、忠三郎、儀右衛門方などは床上水高弐尺五寸余も乗り水いたし候、手前方などは田中にて水八方へ流れ候故に、入水致さず、背戸口までは水来り候えども、色々防ぎ候うち引き水に相成り、仕合わせいたし候、堤切れ所水留め、七月五日より十二日朝までいたし、盆中は休み候いて、又々十七日、十八日と致し、切れ口普請出来申し候、軒別煙役(けむやく)三日、余りは川除人足と同様にいたし候、手前持高の内、木戸口、中村弐ヶ所切れ候ゆえ、石砂入りになり、上砂田壱ヶ所、肥土流出致し候、沼入砂入之場所は所々にて記さず候、菊川より袋井まで往還通りの橋々残らず落ち申し候、落ちない橋は大池、三ヶ野(みかの)、その外二つ三つと申し候、七八十歳位の老人も覚えず候水と申す事に候


季節からすると満水は、今で言う集中豪雨であろうか。各和の氾濫した川は原野谷川である。「里畑」とは聞きなれない言葉だが、「山畑」と対比すれば、そういう言い方があったのかと思う。里に桑畑があったことは解るが、同じ文書の別の項で、綿や菜大根などを作っていたことがわかる。里の畑だから水害に遭った。

講座では「煙役(けむやく)」が地域の奉仕作業であって、現在でも年長の人はその言葉を使うことまでは解った。しかし、どうして煙役というのかが解らない。一説にはサボってタバコばかりすっているから煙役、という笑い話まで出たが、本当の理由は不明である。切れた堤の普請できっちりとお盆の間(十三日から十六日)は休んでいるのが、当時の価値観が知れて面白い。

昔の記録で風水害を扱ったものを読むと、現在のように予報が全く無いところに不意に襲われて、なす術もなく被害を受けてしまっている。ちっとも当らないと言いながらも、天気予報が刻々と出ている現代からすれば、大変な時代に感じるが、その分、文書を見る限り、しっかり推移を観察している。その観察眼には驚く。観察することに命が掛かっているのであろう。
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