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佐藤正午著「ダンスホール」を読む

(梅雨明けの夕空、まだすっきりとは行かない)

中国・四国、近畿、東海地方まで、今日一斉に梅雨明けした。東海地方は例年よりも12日早い梅雨明けだという。今年も暑い長い夏が始まった。

この夏の電気需要は20%ほど節電しないと計画停電をしなければならない。大変厳しい状況である。この夏は何とか乗り切れても、このまま、原発の再起動をしなければ、一年ほどですべての原発が停止してしまう。原発の安全性を主張するのは良いけれども、電気が不安定になれば、企業の海外シフトがさらに進んで、日本に職場が無くなり、巷に失業者が今以上に溢れるようになる。一方、この夏にすでに始まっているように、節約でクーラーを使用しないために、多くのお年寄りが熱中症でなくなるというように、電力不足をもろに受けて、電力弱者という人たちが、多数死んでいくようになりかねない。

こういう電力不足の危険性を一切無視して、今まで散々利用してきた原発を一切排除してしまう方向へ走るのが果たしてよいのであろうか。原発廃棄をいう人々に、その覚悟がはたしてあるのであろうか。自分たちは、テレビも冷蔵庫もクーラーも無い子供時代を経験しているから、それがどんなものであるかを知っているけれども、多くの人たちはそんな生活が想像できないと思う。

原発問題を冷静に考えれば、廃棄するにしても、40年ほどの期間をかけて、原発はコストが高いことを知らしめて、徐々に別のエネルギーに切替えていくしか方法はないと思う。

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佐藤正午著「ダンスホール」を読んだ。6人の作家が「死様(しにざま)」というテーマで競作の小説を書いていて、本書はその一冊である。佐藤正午という作家は自分は数年前に発見して10冊ほど著書を読んでいる作家である。

気の病で書けなくなった作家が、離婚をして身の回りを整理した。街角で起きた発砲事件を引き金に、様々な偶然が結んだ不思議な男女の縁の連鎖が作られて行く。その連鎖の中で、一度も逢った事の無い男の人生を想像するうちに、いつの間にか作家の本能が刺激されて、ストーリーを紡いでいる。書けない作家がどうやらトンネルから抜けられそうになっている。

一方、小説の最終場面で、作家が描いた自分の人生のストーリーを、間接的に聞いた男は、ストーリーの通りに行動しそうになりながら、わずかな違いに安心してみたりする。

実は、この小説は、冒頭から、作家を主人公のストーリーと、男を主人公にしたストーリーが時間を追いながら交互に出てきて、展開されていく。終わりにきて考えてしまうのは、男のストーリーはわずかな伝聞情報を膨らませて、作家が紡いだストーリーだったのか、あるいは著者が作家と男のストーリーを並行して描いたものだったのか、どうでもよいようであるが、考えさせられてしまった。その辺りは作家が仕組んだ仕掛けにはまったのかもしれない。

この作家の小説の主人公はいずれも作家自身の分身なのだろう。激しい流れを泳いで渡りきるような小説が多いなかで、作家の小説は流れに逆らわないで、悠々と流れて行く。そんな生き方は、現代を生きる読者にやさしい癒しを与えるのではないかと思う。
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