goo

「慶應四年日録/徳元」を読む 49

裏の畑のクサギ
植えたものではないので、名前は未確認
背丈より高くに蕾みをたくさん付けている
鳥が種を運んだのだろうか

台風七号は紀の岬に上陸、ゆっくりと兵庫県を北上、我が故郷の但馬を縦断して、今夜遅く日本海へ抜けるという。故郷に大きな被害は聞かないのが幸いだが、舞鶴や鳥取の被害が報道されている。当地は、西へ逸れて大雨も降らなかったが、静岡に竜巻が発生して被害があったとの報道には驚いた。
被害のあった皆さまにはお見舞い申し上げます。

昨日、名古屋の孫も予定を早めて帰って行った。来年は上の孫は高校生になる。今までのように、帰省してくれるであろうか。

*******************

「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

  十八日  雨
昼前、太政官日誌書き写し。庄之助殿参り候間、御昼引けに、御掛り吉野
三五郎様へ罷り出で候処、最早御出勤に相成り候間、御引けの節を
相待ち居り、罷り出で御伺い立て候処、定免年季明けに候とも、当年の義は
上向きの所、聢
(しか)と致さざる義もこれ有り候間、先ず昨年の振り合いを
以って割り付け置き候様、相談致し置き候間、何(いず)れ近々(ちかぢか)
御役所よりも、その段相達し申すべく候間、左様相心得申すべき旨に付、
書き付け相認め候えども、別段、御役所へ、その方ども罷り出で候にも
及ばざる旨に付、その侭にて引き取る。

  十九日  曇り
帰宅、昨夜より関東勢、船にて豆州真鶴
(まなづる)と申す処へ上陸致す。
追々三島、沼津、それより府中まで罷り越し候風説にて、巷説(こうせつ)
※ 巷説(こうせつ)➜ 世間のうわさ。ちまたのとりざた。
区々(くく)これ有り候処、帰宿の上は左様の義これ無く、もっとも吉原
※ 区々(くく)➜ まちまちで、まとまりがないさまのこと。
辺りまで参り候由に候えども、今般、関東御取り置きの処も、極々(ごくごく)
上印の趣に候間、先ず一同引き返し申すべき旨、御目付様御越しの由、
※ 上印(じょういん)➜ 高い印象。
風説これ有り候間、甲州筋へか、参りやの風聞。

(つづく)

読書:「裏始末御免 くらがり同心裁許帳 8」 井川香四郎 著
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )