平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「水濃徃方」の解読 22
(蓮華寺公園のスイレン一輪)
4月21日、広い蓮華寺公園で一輪だけ見かけたスイレンの花である。一日雨降りで、表で写真も撮れなかったので、蓮華寺公園の写真から落穂ひろいである。
小川国夫の「悲しみの港」を読み終えた。久し振りに昭和の小説を懐かしく読んだ。平成、令和の若者にはたぶん読まれることはないだろうと思う。それより、今、こんな小説は出版さえされないのではなかろうか。
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「水濃徃方」の解読を続ける 。
ここに番町辺りの御屋敷方、山の手の裏々まで隈なく歩(あり)く、仕出し飴の取替(とっかえ)兵衛、新しき単物(ひとえもの)に襷(たすき)掛けて、街道に丈六かいて、気違いかと思えば、損の行く商(あきない)には替えず、本性かとおもえば、揃わぬ無駄口、跡先に、童(わらんべ)ども取り廻して、還俗(げんぞく)した布袋和尚見る様に、雁首(がんくび)、吸口、錠前、小刀の折(お)れまでも、直(ね)うち相応、慾ぼりなく売って通る。
※ 仕出し(しだし)➜ 工夫・趣向を凝らすこと。また、そのもの。新案。流行。
※ 丈六かいて(じょうろくかいて)➜(丈六の仏像が、多く結跏趺坐の姿であるところから)あぐらをかいて。。
※ 還俗(げんぞく)➜ 一度出家した者がもとの俗人に戻ること。
※ 雁首(がんくび)➜ キセルの頭部。先端にタバコを詰める火皿がある。
※ 慾ぼり(よくぼり)➜ 欲張り。
お厩谷(むまやたに)の永井右馬頭(うまのかみ)様のお屋敷、お台所の立臼(たてうす)に背(せなか)をあてゝ、アヽ今日も大分草臥(くたびれ)た。この屋敷の子供等は飴食わぬ願がけでもしたか。いつ来ても、すっとこなでいなす事ぞと、口汚いも常になっては、誰叱る者もなく、中間(ちゅうげん)、はした、寄りたかってなぶり廻る。
※ 立臼(たてうす)➜ 地上に置いて餅などをつく臼。
※ すっとこな ➜ 素通り。すっぽかし。肩すかし。
※ いなす ➜ 攻撃を簡単にあしらう。また、自分に向けられた追及を言葉巧みにかわす。。
※ 中間(ちゅうげん)➜ 江戸時代、武士に仕えて雑務に従った者の称。
※ はした ➜ 召使いの女。下女。
その騒ぎ、御家老の斎藤太郎左衛門様お聞きなされ、「その取替兵衛、聞き及んだ。ちょと/\逢いたいものじゃ。これへ呼べ」と、御家老さま対面あって、「そちが面躰、さりとては、一トくせあるもの。何をしても渡世あらんに、廻り遠い替(かえ)もの商(あきない)、それでも見事勘定が合う事か」との
お尋ね。
※ 面躰(めんてい)➜ かおかたち。おもざし。面貌。面相。
飴売り、皃(かお)を詠(なが)めて「おまえ様もこのお屋敷では二番と下らぬ親玉様じゃが、よっぽどな事を御意(ぎょい)なされ、誰も頼(たの)みはせまいし、この暑いのに、利の無い事に骨を折ってたまるもので御座りますか。利はしたたか有れども、私が利はそれだけ。先(さき)へも利を付ける故、これでも合うかと思わっしゃるで、何時までも愛想が尽(つ)きませぬ。まづ手間の利を願わば、先の利を思うが肝要。」
※ したたか(れい)➜ 分量がたいへん多いさま。たくさん。
※ 愛想が尽きる(あいそうがつきる)➜ 好意や信頼が持てなくなる。
(「水濃徃方」つづく)
読書:「悲しみの港」 小川国夫 著
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