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「竹下村誌稿」を読む 97 榛原郡 33

(散歩道のシバザクラ、3/22撮影)

(お袋の七回忌で、故郷へ帰郷中)

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

神社 神社の数は百三十二座あり。その内、式内神社、左の如し。
 敬満神社(大明神)、初倉村にあり。祭神少彦名命(神名帳考証に功満王を祀るとあり)。
 大楠神社、同村にあり。祭神大己貴命。
 片岡神社、吉田村にあり。祭神住吉之神。
 服織田神社、川崎町にあり。祭神麻立比古命、天八千々毘賣命。
 波津澤神社、相良町にあり。祭神素盞鳴尊、(或るは云う、川崎町にある飯室神社にして、祭神高皇産霊命なりと)

神道 天理教、禊教、御嶽教、及び金光教の四種とす。
 天理教宣教所は、金谷、相良、白羽、吉田にあり。禊教分院、御嶽教会は金谷に、金光教会は川崎にあり。

寺院 寺院の数、百三十八寺、内曹洞宗九十八寺、臨済宗十六寺、浄土宗八寺、真宗、日蓮宗共に六寺にして、真言宗、時宗、各々二寺あり。就中、名刹は、
 医王山西山寺は、菅山村にあり。真言宗古義派にして、天長二年弘法大師の開基に係ると云う。
 吉祥山能満寺、吸江山平田寺は、共に臨済宗妙心寺派にして、能満寺は吉田村にあり。弘長二年(1262)の創始に係り、亀山天皇の勅願寺にして、後伏見天皇の勅願を賜う。海内無二の大蘇鉄あり。平田寺は相良町にあり、元弘中開山なるも、有名なる聖武天皇施入の勅願文天平感宝元年(749)閏五月二十日の勅書を蔵す。今国宝に列せらる。
 雲海山清浄寺は時宗にして川崎町にあり。弘安五年(1282)の創立にして、開祖恵法和尚は宗祖一遍上人の逸足なりと云う。
※ 逸足(いっそく)- すぐれた能力をもっていること。また、その人。逸材。
 大心海山明照寺は真宗にして、同町(川崎町)にあり、初め地人、大草則時、今川義元に従軍し、義元戦死後、本願寺顕如上人に仕え、名を善恵と改め、慶長庚子(1600)、帰国して、この寺を創(はじ)む。子孫今に法灯襲う
※ 法灯(ほうとう)- 釈迦の教えを闇を照らす灯火にたとえていう語。
※ 襲う(おそう)- 家系・地位などを受け継ぐ。

 龍門山石雲院は曹洞宗にして、坂部村にあり。郡内巨擘の伽藍にして、四百五十年前の開創に係り開山性岱和尚は宗祖承陽大師十一世の法孫なり。
※ 巨擘(きょはく)- 屈指。
 千葉山智満寺は同宗にして、中川根村にあり。延徳三年(1491)の草創にて、開山は慶文和尚なり。

耶蘇教 相良町に日本メソジスト教会あり。信徒三十名内外に過ぎずと云う。
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