平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
遠州高天神記 巻の四 3 岡部丹波守、横田甚五郎、桐木市兵衛切り出す事
高天神城下、林の谷池前に建つ)
午後、掛川の古文書講座へ出席した。
「遠州高天神記 巻の四」の解読を続ける。
岡部丹波守、横田甚五郎、桐木市兵衛切り出す事
附り、首帳の次第
一 城兵三百騎は、龍ヶ谷石川長門守持ち口へ出る。大将岡部丹波守、横田甚五郎、信州桐木市兵衛は、手勢と寄騎、その外組付、都合四百騎余り、林ヶ谷へ切って出る。
※ 寄騎(よりき)- 与力。戦国時代には侍大将・足軽大将に付属する騎士。同心。
ここは大久保七郎右衛門持ち口、番人六騎指し置き然るべしと上意なれども、大久保平助を添えて、門の者十九騎、指し置きけるが、すわ城兵出るはと、弓鉄炮を打ち掛け、あるいは切り伏せ、七郎右衛門舎弟平助、馳せ廻りて、下知して切まくり、誰とは知らず、強敵と切り結び戦う所に、寄子本多主水(もんど)助け来りて戦いける。平助はこれを討つと、主水に渡す。主水請け取りて、潜り込みて引組み、上に成り、下に成り、撚(ひねり)合いけるが、難なく敵を組み伏せ、首掻き落しけるが、立ち上がるとて、闇夜は暗し跌(つまづ)いて、首をば谷へ落しける。平助は外を下知し切って廻るに、息も切れ、精力も続き難く働きける。
※ 門(もん)- 一族。
※ 寄子(よりこ)- 近世、寄親を身元保証人として奉公した者。
さて夜も明けぬれば、主水は遥かの沢へ下り、首を尋ね出し、どろを洗いて、何者の首やらんと、人に見する。七郎右衛門同心、鵜殿石見守見知りて、大将岡部
丹波守の首なりと云う。主水悦び三方に戴せて実見に入る。平助申しけるは、大将と知るならば、寄子の主水には討せまじきものをと笑いける。
※ 三方(さんぼう)- 檜の白木で作った折敷を,三方に刳り形のついた台につけたもの。
※ 実見(じっけん)- その場に居合わせて、実際にそのものを見ること。首実見。
さて、その場にて、悉く五人、三人ずつは討ち取りけれども、精力も切れて、皆
討ち留める事は成らず洩しける。然る処に、七郎右衛門の所よりも、助け来りけれども、最早終りぬ。石川長門守、足助取原の手破れ、討ち洩す。
されどもまた、真黒木、水野日向守手を破りけるが、その時、日向守若年にして、御旗本に詰めて、名代として、水野太郎、村越與右衛門居たりしが、出防ぎける。上を下へ騒動し、追蒐(おいかけ)、紆(めぐり)返され戦いける所に、大久保七郎右衛門持ち口とならび、石川長門守様持ち口の間なりければ、七郎右衛門方より、助勢者ども馳せ来たり、大方討ち止めたり。
横田甚五郎、桐木は、大久保と大須賀が持ち口の間、柵数重(すうえ)引き破り近付き、敵を薙ぎ伏せ、切り伏せ、突倒し、行衛不知らず、切り抜け落ち行きける。これは犬戻り猿佷(もど)りと云う、山の尾続きより切り抜けて、東大谷と云う所へ出、山伝いに袋井の宿へ出る。それより飯田城、天方の城は甲州方なれば、山伝いに信州へ出、甲州へ行く。
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