平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
盛りの花の日記 18 3月18~22(~23)日 鈴鹿山、関、松坂
食べられるにはまだまだ時間がかかる)
昨日、東海地方は梅雨が明けていたようだ。昨日は余りの暑さに、午後の一時に今年初めて冷房を入れた。リタイヤ世代はエネルギーの節約をしなければならないが、熱中症も気になる。幸い今日は南から吹く風が熱風ではなくて、冷房を入れることなく、凌げれた。これから長い過酷な夏が続くが、梅雨の雨が少なかった分、水不足も心配になる。
竹村尚規さん一行は京を出て、東海道を下り、鈴鹿峠を越して松坂に向かう。
十八日、京を出て三井寺より石山寺に行く。今日は雨降りて、いと/\わびしければ、駕籠に乗りて、垂れ込めつれば、湖の景色よくも見えやらず。いぶせきに、引き覆いたるものの油臭くて、なお怠らぬこの頃の心地には、いとど耐え難くぞ覚えぬる。
※ いぶせき - 煩わしい。窮屈だ。不快だ。
※ おこたる(怠る) - 病気がよくなる。快方に向かう。
旅は世に付きものといえるも、吉野の花見し程などは、大方に家さえ忘れつゝ、思いも出でさかじを、長き旅路には様々に、憂きことも、辛きことも、出でくるにぞ有りける。かくてたどる/\草津の宿に着く。歌は今日も数多の名所に、一つだに詠まずなりぬるは、いと口惜し。
十九日、鈴鹿山を越ゆるほど、花の散り乱れて、道もさりあえぬに、去年の霜月、物せし時は、雪のいと深かりし事など思い出られて、
※ さりあえぬ(避り敢えぬ)- 避けることができない。よけることができない。
鈴鹿山 降り敷く花の 固雪に また越え悩む 春の旅人
廿日、関の驛(うまや)より南の方へ行く。こはまたしも伊勢の方へ物すればなりけり。牟久本という宿を過ぐるほど、伊勢の大宮に物し給ふる御勅使の、帰り上らせ給うを見奉る。花山院右大臣殿にてぞおわしける。さて受け給わるに、右大将家の御使は近き年には珍しき事なりとぞ。行き/\て松坂に至り着きぬ。
廿一日、初めて鈴屋大人に会い奉る。さてもこたび、又しも伊勢へ物せしは、鈴屋大人は世にその名高くおわしませば、教え子にもならまほしく、かつは早くよりま見えもせまほしかりつるを、二月の折りには、紀の国へ物し給ひしほどにて、会いまつらざりつれば、又しも慕い来しなりけり。
※ 鈴屋大人 - 本居宣長
廿二日、岡山正興主が、富士見の庵というに、物して歌詠む。
※ 岡山正興 - 国学者。通称八郎治・彦八郎、号は春海。伊勢松坂の人。国学を本居宣長・同内遠に、連歌を山田某に学ぶ。天保7年(1836)歿、76才。
冨士の峰と 見栄す君の 高き屋に 雪の言葉も さぞ積もるらん
※ みはやす(見栄す)- 見てもてはやす。見てほめたたえる。
珍しな ここにも三保の 松原の あなたに立つる 山や富士の峰
こは堀坂山と宵の杜というが、富士の山と三保の松原に見なされて、景色し良き庵なりけり。(23日は欠)
※ 堀坂(ほっさか)山 - 三重県松阪市にある山である。標高は757メートル。「伊勢富士」の別名を持つ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )