平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
事実証談 神霊部(上) 7~10 各地海辺、寄木大明神の社
(大野の寄木神社)
(中新田の寄木神社)
午前中に雷雨で30分ほど稲光と雷鳴、そして驟雨。午後は静大公開講座で靜岡へ出かけたが、金谷では再度雷雨に襲われたという。おかげで涼しい夜になった。
事実証談 神霊部(上)第7話から第10話までは、各地の寄木大明神の話である。
第7話
榛原郡相良湊に寄木(よりき)大明神という社有り。これは往昔(むかし)浜辺に打ち寄せし木の有りしが、やゝもすれば崇り有りし故、神と斎(いつ)き祭りしと、その村の言伝えなり。
第8話
山名郡浅羽庄同笠村というも、海辺の村にて、氏神、寄木大明神社あり。これも同例の社なり。
第9話
城東郡沖須村も、海辺にて寄木大明神の社あり。これも同例か。
第10話
また、常陸国鹿島郡磯浜村の浜辺に、長さ三、四丈ばかり、囲い八、九尺ばかりなる楠木を打ち寄せしに、その木に近寄る者には、必ず崇り有りし故、その村の氏神大荒井大明神の社に、その楠木を堀り埋ずめ、その端の出しに、覆いを造り寄木明神と祭りしといえり。これは乗高(著者)旅行せしおり、かの国のその辺なる者と、四、五日同道せしにより、委しくは聞き伝えし。安永年中の事なりとの物語なり。
地図でそれぞれの場所を調べていると、袋井市同笠に「寄木神社」の表示を見つけた。第8話に関わる神社だろうと思った。さらに地図を良く見ると、国道150号線沿いに「寄木神社」が三つも並んでいる。そこで、目標をその三つの「寄木神社」に定めて、十六日に女房と取材に出掛けた。
最初に、同笠の寄木神社、次に大野の寄木神社、最後に中新田の寄木神社の順に巡った。三つの内、中新田の寄木神社が一番立派で、由緒の案内板が出ていた。
案内板の要旨は、この神社の名称となっている「寄木」とは、海の彼方に実在すると考えられていた常世(天国・浄土)から、神仏の依代(よりしろ)として流れ着いた霊木のことである。太平洋沿岸には漂着した寄木を祀る神社が特に多く見られる。中新田の寄木神社はこの漂着伝承の代表的な事例といえる。
中新田の寄木神社に伝えられている、元禄十三年の年号が入った「縁起書」に拠ると、本来は中新田・大野・同笠の三ヶ村全体の氏神として、常世から漂着したという観世音菩薩の木像を祀り、その神名を寄木大明神と呼んでいた。この尊像は横須賀藩の役人であった牧野氏が、高潮の後、海岸で発見したといわれる。本殿内には、元禄十三年に牧野氏が寄進した巻き物も残っている。
明治に入り政府の出した神仏分離令で、全国的に廃仏毀釈の機運が広まり、これに伴って、寄木大明神は観世音菩薩の尊像を取り除き、社名も寄木神社に改められた。
つまり、中新田・大野・同笠の三つの寄木神社は根は一緒のようであった。また、かつて太平洋沿岸の各地で決行された「補陀落渡海(ふだらくとかい)」と同じ思想で、表裏をなしていると思われるが、確認したわけではない。(相良海岸にも往昔、補陀落渡海があったと聞く)
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