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浜御庭へ御成りの節勤め方 その1 - 駿河古文書会

(庭のセンリョウの実)

朝から雨。夕方、駿河古文書会出席のため、静岡に行った。

江戸幕府11代将軍徳川家斉は、将軍在任50年間に、浜御庭に248回出かけたという。年平均で5回のペースである。浜御庭は江戸城から2kmほどの近場にあって、御狩場になっており、それ以外にも釣りをしたり、植物採取をしたり、簡単には城を出れない将軍にとって、格好のストレス解消の場になっていたようである。

将軍が浜御庭へ御成となると、2キロといえども、供行列を整えて行かねばならない。お供には回り番で色々な人が付いて行った。羽太という人がどういう人か判らないが、自分に番が回ってきた時に無事に勤められるように、経験者から勤め方を聞き、手控えとした。主には八月七日の御成のときについて、鳥居権之助から聞き取ったようだが、十二月朔日の御成についても、大河内善兵衛から聞き取り、十二月朔日の相違点だけを朱書きで記した。以下に読み下し文で示す。

  寛政九(年)八月七日、浜御庭へ御成りの節、勤め方
                         羽太
寛政九巳年八月七日、濱御庭へ御成りの節、御供御雇い         
                         鳥居権之助
同年十二月朔日四ツ時、御供揃えにて御同所御成りの節、御供御雇い
                         大河内善兵衛
             相御供御目付    佐久間左京
  但し善兵衛勤め候節、少々振り合い替り候分、朱書に記し置き申し候

一 八月六日、早出詰め番にて、登城致し候処、明七日、浜御成り御沙汰に付、御供御雇い、代りとも、入り候旨、佐久間左京申し聞けられ候、これに依り、申し合わせの通り、左の通り割り出し、姓名書付同人へ相渡す

      八月七日浜御庭へ成らさせられ候に付
                   御供御雇い 鳥居権之助
                    代り     朽木左京

右書付、相渡し候節、明日相御供の御目付衆、誰殿に候哉、左京へ承り候処、西丸より介(たす)けにて、高木又兵衛罷り出でられ候由、申し聞けられ候間、後刻、又兵衛殿へ面談致したき段、申し談じ候処、後刻又兵衛登城致され候筈に候間、罷り出でられ候わば、その段申し達すべき旨、申し聞けられ候

(続く)
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