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第二十七番 神峯寺 ~ 第二十八番 大日寺


(27番神峯寺 本堂・大師堂)

5月17日は雨模様の中、ホテルなはりを出る。この日の記録は5月17日および5月24日に書き込んだ。

第二十七番札所 竹林寺 神峯寺は雨と霧の中に溶けていた。本堂は納経所を通り過ぎて、石段を登った最も上にあった。本堂も霧の中で、バスツアーのお遍路さんの、声を揃えた勤行だけが聞こえてくる。そばに寄ると雨を避けて本堂の縁側にたくさんの人が登って勤行をしていた。自分も反対側の縁側の上で勤行を行う。これだけの雨に降られるのは初日以来であった。大師堂は右手へ山道を少し歩いたところにあった。


(お接待の小物)

納経所に行くと、歩き遍路だと確認して、「地元のお年寄りから、歩き遍路の方にお接待で差し上げてくださいと頼まれてまして」と、ビニール袋に入った小物を頂いた。中からお年寄りの念のこもった手作り小物がぞろぞろ出てきた。お遍路の励みになるお接待である。

神峯寺の山から降りたあたりから、雨脚が繁くなって途中で合羽のズボンもはいた。余りに雨が激しくなって、安芸市下山でしばらく農協の建物の軒下を借りて雨宿りした。その農協に胸像が一体あった。刻まれた碑文を読んでみると、施設園芸の導入に尽力したことを称えたものであった。高知県はかつては施設園芸が盛んで、高知空港に何度か降りたが、高知県には地上にハウスがびっしり並んで白く照り輝いていたことを思い出す。この後、同様の碑を幾つか目にした。

雨の中を一日歩いたが、履いているウォーキングシューズには、全く水が入って来なくて、不思議なほどであった。足がぐしゃぐしゃする気持悪さは過去何度も経験しているから、このウォーキングシューズには感謝である。


(28番 大日寺 本堂・大師堂)

明けて5月18日、気持ちの良いお天気となった。道中の話はすでに書き込んだ。第二十八番札所 法界山 大日寺へは最後が山道になって石段下に出た。松山の男性が何日か一緒だったと話していたカナダ人と日本人の二人連れと大日寺の石段下で会った。再会に松山の男性と陽気に声を掛け合っていた。


(大日寺 六角堂)

大日寺は石段の上に、左から鐘楼、大師堂、本堂、六角堂とぐるりと並んでいた。勤行を終えて、松山の男性と石段を下るところで、福岡から来たおじさんがようやく追いついてきた。

この福岡のおじさんと出会ったのは、琴ヶ浜の先で松山の男性と一緒に歩いていると、「やっと追いついた」と合流してきたのが最初だった。荷物がけっこう多く菅笠などかなり痛んで、長く歩いているように見えた。

昨夜はごめん・なはり線の西分駅から高知まで電車で行ってホテルに泊まり、先ほど、西分駅に着いて追いついたという。話を聞いていると、その歩き遍路スタイルは全く自由で、野宿をしたと思うと町に出てホテルに泊まったり、福岡から来て松山の石手寺から始めたのだが、今まで何度か所用で福岡に帰って、仕事が済めばまた戻るという繰り返しでここまで来た。行き先々で道草が多くて、スタートからもう2ヶ月以上経っているという。

福岡のおじさんとは「道の駅やす」まで一緒だったが、信号は無視してどんどん渡ってしまうし、昼飯にお酒を頼んだりするのに呆れて、そこに置いて松山の男性と出てきた。あの後、海岸線が景色が良かったのでどんどん歩いて行き、途中で気付きやっと大日寺に着いたと話す。おそらく今夜の宿も決めてないはずである。お遍路のコースも何も気にしていないようだ。ある種うらやむべきお遍路スタイルかもしれない。
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