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たまおのページ

遊びと旅のページ。
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あれからはちねん

2019年03月11日 | Weblog
 3月 11日

 あれから8年過ぎました。

 この日になれば思い出す。この日にならなければ
思い出さない。この日がなんの日なのか知らない。
それでもこの日は特別です。

 みんなの記憶に残る、歴史の記録に残る日ですね。
会社の先輩、車のナンバーが311です。
 これ、震災を記憶に残すためじゃないんです。実は
奥さんの誕生日が3月11日なので、10年ぐらい前に
買ったときからのナンバーなんです。(^^;)

 何度かカキコしていますが、あの日あのときは宇都宮に
いました。
 ということで、東京よりも揺れが強かったんです。
仕事をしていたらものすごい揺れが突然でした。事務棟に
いたんですが、エレベーターも無い古い3階建て。
 重要な設備が入っている別棟は頑丈になっているので、
揺れに耐えながら『あー、コッチはダメかもぉ。アッチに
いたら助かったのにぃ』なんて思いましたよ。

 それでもさすがに てっこんきんくりーと なんとか
持ちこたえてくれました。
 停電したんですが、非常電源設備があるので、最小限の
電気は確保できましたね。
 そのかわりものすごく燃料を使うんですよ。発電に。
燃料会社と優先契約していたので、電源用の燃料はなんとか
なったみたいです。

 会社の近所にある避難所へ全員で移動。そこで待機して
いたら「帰宅命令」がでましたが、東京には戻れません。
 ホテルに泊まって、次の日になんとか東京へ戻ることが
できました。(2011年3月12日~数日間に分けて
アタイの地震関連・体験記事を掲載しています)

 一昨年の秋に、車で東北旅でしたが、その途中で三陸から
海岸線に沿って南下しました。
 ふんとにサァーと流しただけですが、万里の長城のような
防潮堤、家の基礎だけが残っている草っ原、国道沿いには
新しい商店がポツポツ、そして山を削ったところに住宅街。

 仙台からは国道6号線で東京まで(なるべく高速道路は
使わなかった)。夕方に原発近くの帰宅困難地区を通ったん
ですが、町はゴーストタウンで真っ暗。そこから避難解除
された地域に入ると光が溢れていました。
 作業を終えて宿舎に戻る工事車両の長い列(大渋滞でし
た)。あまりにノロノロなので、ついに常磐道へ入って
しまいましたよ。

 今年の1月からエキストラで地震原発事故を題材にした
映画の撮影に参加しました。
 撮影するシーンの前に、エキストラにも説明してくれるん
ですよ。「今、原発はこうなっている。こんな対策・対応を
している」みたいなことを。
 ふんとに紙一重、綱渡りの状態だったのかが分かりました。 

 国や東京都(公共機関)がなんとかしてくれる。なんて
思って、ボォーと生きている人のなんと多いことか。
・都が備蓄している食料は約825万食。
・区市町村支援用は約766万食。
・帰宅困難者用は約 59万食。
      これらを合計すると 1650万食

 これだけあるならなんとかなるじゃん。なんて思っていま
せんか?
 東京都民は1380万人ですよ。つまり1食分で終わり
1日も保たない。
 1日X3食=4140万食ですからね。

 家族3日分ぐらいは各家庭で備蓄しておかなきゃね。
我が家は1ヶ月は楽々食べる量がありますよ。水も。(^_^)/
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