般若も出来上がり、一時的に能面作業は終了した。来月初めには、教室の成果発表会があるが、それまで暇である。だからと言うわけでもないが、今まで作っていた彩色を施していない能面を、そのままにしておくのは忍びないので、色を塗ることにした。
「色を塗る」のではなく、彩色と言うのでそう言っている。その方がかっこいいし、それが正しいからしょうがない。上の写真の左側は「武悪(ぶあく)」で、右の2個(本当は2面と言う)が「賢徳(けんとく)」である。下地胡分を塗ったところ。
これは、下地胡分の上にそれらしい色を付けたところ。裏側はすでに黒っぽい漆で仕上げているので、これは彩色の第3段階だ。本や写真を見ると、もっと暗い色をしているのだが、この色の上にその暗い部分を表すことで、それらしく見せるしかない。その技法は、一応の手順が本にも書いてあるものの、それに合った岩彩(岩絵の具)の持ち合わせがないので、一般的な水彩絵の具を使って代用することにした。本来であれば、水彩絵の具でも「日本画」で使う絵の具であればもっと良い。が、日本画をたしなんだこともないので持ち合わせもなく、仕方なく娘が中学校で使っていた(と思われる)絵の具を使ったのだ。うーん残念。
岩彩の「丹」や絵の具の焦げ茶、茶、墨などを混ぜ合わせて、深みのある暗い赤を出したつもり。が、皿の上で混ぜた色合いと、面の表面に振りかけた後では、どうも色合いが違うのだ。本当はもっとどす黒い赤なのだが、それが出ないうちに終わってしまった。
「振りかけた」というのは、筆(ぼかし筆)を使って、色をぼかし網でこする作業だ。それをすることによって色が霧状に面の上に散って、その色になる。古色を出す作業も同じ要領なので、いつも使う手法だ。
真っ白い胡分の上に振りかけた場合は、作った色が出ると思うが、今回は面の表面がすでに濃い色になっていた。従って少々くらい色を振りかけたところで、本来の色が出なかった可能性がある。あるいは最初から完成した色を作って、下地胡分の段階から染め上げた胡分を使えば、2度手間にならないかも知れないが、それは本来の手法ではない。
賢徳も、同様の手法で彩色を行っている。面の表面はつるつるではなく、梨肌紋様であるから、あまり光ってはいない。眉毛や髭を面相筆で書き込んでいるが、墨でも薄目の墨だからあまりはっきりとは見えないが、武悪よりはよく見えるから、まだ良いと思う。
武悪はもっと薄い墨で書いた。その上に濃い色を振りかけているから、眉毛や髭があるのかないのか良くくわからない。写真に忠実に書こうと思っても、それはそれ。素人は結局素人なのだから、欲を出して失敗するよりも、適当なところで妥協して、自己満足していれば良いことになる。
これらの作業は12日から初めて、今日15日に完成した。正味4日間だが、みっちりと作業しているわけではなく、一日数時間の作業日程である。
前にも書いたが、座布団に座っての作業ということで、足を組んで数時間もすれば、足がしびれてしまうし、何と言っても膝に悪い。腰も痛くなるし、どう考えても健康的とは言えないから、あまり根を詰めて続けると、腰痛や歩行困難になるから、十分に気を付けよう。
ということで、まだたくさんの彩色が終わっていない能面が、壁に下がっているのだ。これらも少しずつ色を付けて完成品にしなければ、ただの木彫り面になって、眺めていても大いに気になるところだ。
髭の付いた面は、髭を取ってしまわないと作業がやりにくい。これがまた大変な作業なので、とりあえずは髭のない能面から始めなきゃ・・・・次は「黒髭」かな?
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