katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

えっ、今日も・・・

2024-06-21 07:20:32 | モザイクタイル教室
今日はまず朝からピエロの壁画。

左側の赤、エンジ、白の縦ラインをやって、玉をやって・・・下絵を忘れたし、って事でアトリエに帰って、駐車場に着いたら電話が入って・・・今日お教室じゃ無かったですか?・・・。えっ?

どうやらお客さん日にち間違えのようで・・・明日だったんだけど、まぁ特に問題が無いので、急きょお教室に。って事で、とんかつの方のお教室。今何回目だったか?忘れたけれど、明らかに

変わった・・・と思う話があったのね。それは、好きなものがモチーフの方が、自分のモチベーションが上がると思いますよ・・・って話をしたら、とんかつって事になったのね。最初はビックリ

したんだけれど、ただこの世にとんかつモザイクは存在しないだろうから、題材としては面白いだろうし・・・ただ、この馬鹿馬鹿しさに、へこたれたり、必ず家族のご理解が簡単には得られない

モチーフなんで、そこさえしっかりしていれば・・・そして完成度が良ければ、こんな面白いモチーフは無いのね。そんな感じで始まったんだけど、面白い・・・ってものが大変って、何か割の

合わない感じにならない?しかも1cmタイルが初めてなんて事だと、ミリの単位のパーツの繰り返し・・・果てしなさは倍増する訳で。更に言えば、フェルメールを作った方・・・。芸術から、

とんかつだからね・・・ただ何をやってもモザイクなのね。ただタイルを切って張るだけ・・・。しかも切る練習だと思ったら、別にモチーフが何でも一緒なんだけれどね。って考えられれば、

何も関係ないんだけれどね。こんな感じを含めたスタートは、うわー、大変だなんて気持ちもあるだろうし、新鮮な気持ちもあったりして、そんな気持ちが入り交ざって・・・。数回やると、

楽しいかどうかは別にして、慣れて来るのね。あぁこのくらい進めるもんなんだ・・・みたいに。しかもやり取りとしても、あぁこんな感じなんだなぁってな具合にね。所が何が何だか判らない。

でも何か一生懸命切った・・・そしたら時間が来た。みたいな感じ。それが今日は、何かとんかつを作っている感じがした・・・って。おー慣れて来たし、何をしているか判って来たようなのね。

やらされている・・・って言う感じが、やっている・・・って感じになった瞬間の話なのね。今この部分を作っている・・・って意識になると、やらされている感は薄れるものなのね。

例えば意識があるか?無いか?の違いは、何も見なくても感じる事は出来るのね。一つの例としては、とんかつってどんな感じ?・・・このどんな感じ?って質問に戸惑う人が多いんだけど、

何度も通った生徒さんなら、このやり取りに慣れて来て、こんな感じ・・・って返して来るのね。その返して来た言葉が、自分の思った通りに表現出来たら、それはどんな感じ?って繰り返す。

ではやって見ると、とんかつってどんな感じ?・・・サックっとか、カラッととか、ザックとか・・こんな表現をしたとすると、サックととか、カラッととかって、どんな形?大抵は、

ここでえっ?って事になるのね。もっと言えば、冒頭のどんな感じ?って質問にえっ?ってなるんだけれどね。だから、丸いと思う?・・・これで指導の大半はおしまい。気付いたよね?

そこに気付いた人は、サックとザックの違いも判るよね?・・・サックよりもザックの方が荒い。こんな事を言えるようになると、それこそが繊細な表現になる。その口にした通りになるように

するにはどんな形か?って探すのね。形も色も・・・思い込まずにね。けれど、このやり取りに慣れるのが大変なのね。進みたいのに、くだらない話をしないで・・・って気持ちになるから。

ただ慣れると、これが一番大事な事に気付くのね。しかもその意識が変わると、何をしているかが判るから、そこに集中出来るけれど、ただ漠然と切ったりしても、目的意識が低いから、何かなぁ

・・・って戸惑いばかりになる。ただそこを抜けると、この感じるって質問が何を意味するか?が判って来るし、その質問が今自分の方向性すらを決める質問なんだ・・・と思えたりもする。

例えばこれが野球だとして、ただ打つ、ただ取る、ただ投げる・・・これでも確かに楽しめる。そう楽しむだけ。これが楽器なら、ただ弾く・・・これも楽しめる。ならそれで良いじゃん。

所が上手くなりたい・・・って意識になり、上手くなる為には?って時に、ただ・・・の繰り返しでは、ただが上手くなるだけなのね。そこに目的意識、つまり感じる・・・って事が出来ると、

ただバント・・・では無く、ランナーを進める為には、方向、勢い、そして見極める目なんて事が必要になるし、音楽にしたって、ただ楽譜の記号通りって言うなら、誰が弾いても一緒じゃん。

違うのね・・・すると、口先だけの奴は、情感を込めて・・・みたいな事を言うのね。はぁ?頑張れとか、気合とかと同じで、聞いている方は理解出来ないのね。そこまで到達していないから。

そもそも情感・・・感なのね。五感の話。ここを鍛えないと、そんなもん出来るはず無いのね。ただ技術を繰り返しで得たとしても、そしたら器用な奴には一生追い付けもしないし、それ以上は

上手くならないのね。つまり反復で身に付けた技術に、その五感を乗っけないとならないのね。しかもその感と言うものに決まりは無いから、いかに繊細に表現するか?となると、ただ細かくって

話では無くて、自分の思い描く事に繊細って意味であって、楽譜通りに弾くんでは無くて、オリジナルって言うのは、自分の思い描く最高のとんかつって何?って掘り下げるのね。

その時にどんな感じ?って質問に答えられないようでは、頭の中にあるだけで、言葉にも出ないものが、タイルで切れるはずが無いのね。まず言葉にする練習からなのね。自分の言葉で言える。

そんな練習から。そうすると、そうするにはどう切るべきか?になるけれど、ただ色を選んで切るだけでは、じゃ好きに切れば良いじゃん・・・ってな話になる。それならそこそこ切れれば、

俺が教える事は無い。そんな目に見える指導なんて、そんなに一生懸命やる事じゃ無いのね。そりゃ格式伝統、教わった通り先生の話ね。こっちは別に誰にも教わった事は無く、生徒さんも美大

では無く、趣味で・・・ほら何もかも揃っていないのに、上手く見えるし、あくまで趣味・・・ほら、そうやって考えると、宿題とは言え、労作展の子供達は趣味では無いでしょ?

まあ簡単な話で、子供でも、趣味では無く、100時間以上時間を掛け、人に見せようって言うプレッシャーが掛かり、発表するって舞台が整えば、誰でもあのくらいの作品になる。

意識って言うのは、こうやって向上させるもので、その意識が変わらないと、趣味って言葉は、上手くなる事を阻むのね。いずれにせよ、いくらか意識が変わったのかもね。

そんな後は、片付けもしないとならないし、やりっ放しのピエロを少しやってからの、蛸の椅子。

そうね、気分の立て直しが必要なのね・・・まぁ簡単言えば、好みは別として、作品として考えた時に、作家katsuファンは蛸の椅子を評価し、ピエロは可愛い作品みたいな扱いになるのね。

ではその目線を業者にした時・・・蛸の椅子はレトロなタイルが張ってあり、懐かしいな・・・とか、もしかしたらウチのかな?とか、でも切り刻まれたりもしている・・・もっと言えば、

カタログには載らない作品になる。だから興味が沸かない。ただ逆にピエロは、余り切っていない・・・って思われているだろうね。そりゃウチの生徒さんなら、当たり前なのね。

所が余り切っていない・・・果たして業者の人達にはどう写るんだろうか?となると、ドットアートが支流だったりするのなら、一目瞭然なはず。そもそもこの大きさのモザイクが受けられるのかな?

つまりこの小ささは、一般家庭でも取り入れられる・・・公共事業では無くてもサイズなのね。しかもカタログには一切載っていないのね。だって無名のハクの無い作家なんだもの・・・。

ただ知る人ぞ知るなんだけれどね・・・無名でもハクも無いけれどね。思い描くシナリオは、蛸の椅子には無反応な人達が、自分の私利私欲の為にこいつは儲かる、使えるって業者から、手が

上がった時、どうなるか?であり、そのきっかけになるのがピエロの作品であって、そこでハクが付いてから、蛸の椅子は後からの評価になるはずなのね。芸術っぽいってさ・・・。

ただもし本当にそうなったのなら、先生良かったですね・・・って他人事では無いのね。そこの貴方・・・貴方も評価の対象になるのね。だって知られちゃうのだから・・・ここも。

いちいち発表なんかしなくても、発表会無しで、いつでも発表会になる。だって人に知られるってそう言う事なのだから・・・。

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