今日は中学生二組。まずはモザイクが初めての子から。宿題の1cmタイルをカットって言うのを100枚分切って来て・・・それを張ったのね。幸いな事に原画のタッチが、ガサガサって感じで、
キチンと切れなくても、そこそこ雰囲気があって・・・まずまずな仕上がり。そんな中、その宿題に何時間費やして、そのパーツをどの位張れたか?って言うのを見たかったのね。
イメージとしては、12時間切って、3時間で張る・・・ってペースだとして、全体の輪郭をやるには、恐らく36時間切って、9時間で張ると輪郭終了って感じだと思うのね。今のペースでね。
所がこれが切る事が上手くなると、失敗していたパーツが使えるようになれば、ペースは上がるのね。ただ張るのは、恐らくタイルにボンドが付かずに綺麗に張れる位で、ペースは上がらない。
って感じだろうから、切る事が上手くなった分のペースアップが今後の課題。それとそろそろ試験勉強もあるだろうし・・・そこは多くは期待出来ないだろうし。ただ初めてにしては期待大。
そんな後は、夕方からもう一組となるんだけれど、仁科さんが来てくれて、階段の電気を直してくれたのね。人感に変わったから、夕方からの教室の人には有難い話になったのね。
まぁ忙しい中、来てくれたお陰で近況報告も出来て、近況をバージョンアップして貰ったのね。そんなこんなの夕方からの中学生。
立体下地はほぼ終わったんで、いよいよ平面部分の写しとなったが、モチーフの下絵は描いてあったものの、趣旨説明をして貰うと、何かなぁ・・・って感じだったのね。
ん・・・例えば、カレーが好きだから・・・ってカレーが食べたい。これはこれで良いと思うのね。これを小学生の頃のキャンプで作ったカレーが食べたい・・・となると、同じカレーの話でも
何か情緒が出るでしょ?それが家を出て、寮なんかに入っているとして、ここのカレーも美味しいんだけれど、久しぶりにお母さんのカレーが食べたいな・・・にして見ると、情緒が大きく変化
して・・・格式的なものが上がるのね。ただカレーが好きだから・・・それでも去年まで小学生だった1年生なら、結果として作品が上手ければ、制作日誌を怠ったとしても、場合に寄っては、
賞を貰える場合もあるだろうね。しかし、子供っぽ過ぎると思うのね。それがキャンプとなると、思い出感が、ただ好きだから・・・よりも、情緒が出る分、少し大人になったような、振り返る
歴史があるようにも思えるし、それが母の味なんて事になると、今まで普通と思っていた事が、当たり前と思っていた事に気付くなんて言うのは、成長なんて言うものも感じさせるのね。
要するに自分なりの意味を持たせる事で、それを第三者が共感すれば、自己満足では無くなるし、共感されなければ、自己満足側になる。言い方を変えれば、共感させる事が出来れば・・・
共感して貰えなければ・・・でも良い。要するに、作り手って言うのは、相手の気持ちを揺さぶる、操作する事さえも出来る可能性がある。と言う事なのね。昔林家三平さんの子供が、母に
お父さんは笑われているのでは無い、笑わせているの・・・って言われた話って言うのを聞いたが、まさにそう言う事で、制作日誌を読むような人は、大抵は大人の人達だと思うのね。
それが同級生や後輩なんて人は、作品そのものを見ると思うのね。例えばそんな場合、何がどう感じられるか?なのね。まず作品そのものだけを見る場合、上手いかどうか?なんて言うのは、その
分野に長けている、技術を評価するには腕が必要なのね。つまり大谷さんのようなぶっちぎりなら、素人にも凄さは伝わっても、そのぶっちぎり感が出なければ、中々評価に繋がりにくい。
そこをカバーするには、展覧会って箱に負けない大きさってものがあるのね。例えば簡単に言えば、展覧会って場所に3時間程度のコースターや鍋敷きを出す。どうだろうか?では反対に、
制作時間200時間とする。そんなコースターや鍋敷きがあるだろうか?つまり大きさにしても、制作時間にしても、どちらから検証しても有り得ないのね。つまり展覧会にどの程度の大きさを出す
のか?って言うのは、大抵絵の話なのね。所がモザイクの場合は、描き慣れている絵とは違うから、そのパーツ切れる?からスタートするから、モチーフも大きさも決めちゃうと、まず不可能に
なるのね。つまりモチーフから決めるなら、大きさをMAXに幅を持たせる事にして、大きさが決定なら、そこに作れるモチーフを選ぶ事なのね。こんな風に考えた構想を作る事になるんだけれど、
例えば男子校で生き物をモチーフにした時に、犬や猫、ハムスターやインコの場合、猛獣では無いから、可愛いぃぃってものを目指す事になる。これがヘビやトカゲのような爬虫類だとすると、
よりリアルに・・・となるから、好きな人には似てるぅぅと評価は高く、嫌いな人には、よりエグみが出て、気持ち悪く見える。それをヘビだのトカゲの輪郭に、模様やお花を入れて、ウロコを
消すと、エグみは薄れ、近寄りやすくなる。と言った効果があると思うのね。こんな事が直接表現として見たままの評価だと思うのね。これが制作日誌から入るって言うのは、歌詞重視って感じで
ノリやテンポやフィーリングって言ったもんでは無くて、そのモチーフを使って、言いたい事の比喩に使うって言った間接表現側になると、こうこうこう思った・・・って訴えるのね。
それは自分の気持ちを伝える方向だから、それを読んでから見るって流れは、だからこの色なのか?だからここにこれが入っているのか?と気付くと、それは単に見えているものが似ているとか
それが嫌いとか好きとかでは無く、意味がある・・・となれば、例え中学生が作ったものでも、作家もどきに見えるかも知れないのね。そうなると格式は上がると思うのね。こんな違いがある。
こんな事を意識すべきは、今年取る事になると、3年連続って事になるのね・・・世の中って言うのは残酷なもので、ヤクルトの村上選手は20代で三冠王に輝いた翌年に、無冠に終わった。
給料はアップし、期待をされればされる程、結果が見劣りした訳で・・・じゃプロでは無い中学生は、2年連続の賞貰っている人は、一体どの位やれば良いの?って言うと、恐らくみんな3年連続と
思っていると思うのね。簡単な話、どの位勉強すると、慶応って安心して入れるの?って有り得ないでしょ?つまり上限なんていくらでもあるのね。でもギリギリ狙いってあるのかな?・・・
つまりやるに越した事は無い・・・ってな事になるのね。しかも切る張るの実力者がね。そんな奴の集大成なんて言えば、大体想像は付くのね。きっとこんな事をして来ると・・・。
だから、やり過ぎなら止めるだろうし、やらな過ぎならハッパも掛けるだろうし・・・ただそれは、2年間付き合った上の話で、午前の子は初めてだから、基準が無い分、手探りになる。
まぁいずれにせよ、どの子も大作なのね。そんな後は、デイ・サービスの花火の残り1枚を終えて、後はペンキ塗りのみ。次はサンプルなんだけれど・・・。
キチンと切れなくても、そこそこ雰囲気があって・・・まずまずな仕上がり。そんな中、その宿題に何時間費やして、そのパーツをどの位張れたか?って言うのを見たかったのね。
イメージとしては、12時間切って、3時間で張る・・・ってペースだとして、全体の輪郭をやるには、恐らく36時間切って、9時間で張ると輪郭終了って感じだと思うのね。今のペースでね。
所がこれが切る事が上手くなると、失敗していたパーツが使えるようになれば、ペースは上がるのね。ただ張るのは、恐らくタイルにボンドが付かずに綺麗に張れる位で、ペースは上がらない。
って感じだろうから、切る事が上手くなった分のペースアップが今後の課題。それとそろそろ試験勉強もあるだろうし・・・そこは多くは期待出来ないだろうし。ただ初めてにしては期待大。
そんな後は、夕方からもう一組となるんだけれど、仁科さんが来てくれて、階段の電気を直してくれたのね。人感に変わったから、夕方からの教室の人には有難い話になったのね。
まぁ忙しい中、来てくれたお陰で近況報告も出来て、近況をバージョンアップして貰ったのね。そんなこんなの夕方からの中学生。
立体下地はほぼ終わったんで、いよいよ平面部分の写しとなったが、モチーフの下絵は描いてあったものの、趣旨説明をして貰うと、何かなぁ・・・って感じだったのね。
ん・・・例えば、カレーが好きだから・・・ってカレーが食べたい。これはこれで良いと思うのね。これを小学生の頃のキャンプで作ったカレーが食べたい・・・となると、同じカレーの話でも
何か情緒が出るでしょ?それが家を出て、寮なんかに入っているとして、ここのカレーも美味しいんだけれど、久しぶりにお母さんのカレーが食べたいな・・・にして見ると、情緒が大きく変化
して・・・格式的なものが上がるのね。ただカレーが好きだから・・・それでも去年まで小学生だった1年生なら、結果として作品が上手ければ、制作日誌を怠ったとしても、場合に寄っては、
賞を貰える場合もあるだろうね。しかし、子供っぽ過ぎると思うのね。それがキャンプとなると、思い出感が、ただ好きだから・・・よりも、情緒が出る分、少し大人になったような、振り返る
歴史があるようにも思えるし、それが母の味なんて事になると、今まで普通と思っていた事が、当たり前と思っていた事に気付くなんて言うのは、成長なんて言うものも感じさせるのね。
要するに自分なりの意味を持たせる事で、それを第三者が共感すれば、自己満足では無くなるし、共感されなければ、自己満足側になる。言い方を変えれば、共感させる事が出来れば・・・
共感して貰えなければ・・・でも良い。要するに、作り手って言うのは、相手の気持ちを揺さぶる、操作する事さえも出来る可能性がある。と言う事なのね。昔林家三平さんの子供が、母に
お父さんは笑われているのでは無い、笑わせているの・・・って言われた話って言うのを聞いたが、まさにそう言う事で、制作日誌を読むような人は、大抵は大人の人達だと思うのね。
それが同級生や後輩なんて人は、作品そのものを見ると思うのね。例えばそんな場合、何がどう感じられるか?なのね。まず作品そのものだけを見る場合、上手いかどうか?なんて言うのは、その
分野に長けている、技術を評価するには腕が必要なのね。つまり大谷さんのようなぶっちぎりなら、素人にも凄さは伝わっても、そのぶっちぎり感が出なければ、中々評価に繋がりにくい。
そこをカバーするには、展覧会って箱に負けない大きさってものがあるのね。例えば簡単に言えば、展覧会って場所に3時間程度のコースターや鍋敷きを出す。どうだろうか?では反対に、
制作時間200時間とする。そんなコースターや鍋敷きがあるだろうか?つまり大きさにしても、制作時間にしても、どちらから検証しても有り得ないのね。つまり展覧会にどの程度の大きさを出す
のか?って言うのは、大抵絵の話なのね。所がモザイクの場合は、描き慣れている絵とは違うから、そのパーツ切れる?からスタートするから、モチーフも大きさも決めちゃうと、まず不可能に
なるのね。つまりモチーフから決めるなら、大きさをMAXに幅を持たせる事にして、大きさが決定なら、そこに作れるモチーフを選ぶ事なのね。こんな風に考えた構想を作る事になるんだけれど、
例えば男子校で生き物をモチーフにした時に、犬や猫、ハムスターやインコの場合、猛獣では無いから、可愛いぃぃってものを目指す事になる。これがヘビやトカゲのような爬虫類だとすると、
よりリアルに・・・となるから、好きな人には似てるぅぅと評価は高く、嫌いな人には、よりエグみが出て、気持ち悪く見える。それをヘビだのトカゲの輪郭に、模様やお花を入れて、ウロコを
消すと、エグみは薄れ、近寄りやすくなる。と言った効果があると思うのね。こんな事が直接表現として見たままの評価だと思うのね。これが制作日誌から入るって言うのは、歌詞重視って感じで
ノリやテンポやフィーリングって言ったもんでは無くて、そのモチーフを使って、言いたい事の比喩に使うって言った間接表現側になると、こうこうこう思った・・・って訴えるのね。
それは自分の気持ちを伝える方向だから、それを読んでから見るって流れは、だからこの色なのか?だからここにこれが入っているのか?と気付くと、それは単に見えているものが似ているとか
それが嫌いとか好きとかでは無く、意味がある・・・となれば、例え中学生が作ったものでも、作家もどきに見えるかも知れないのね。そうなると格式は上がると思うのね。こんな違いがある。
こんな事を意識すべきは、今年取る事になると、3年連続って事になるのね・・・世の中って言うのは残酷なもので、ヤクルトの村上選手は20代で三冠王に輝いた翌年に、無冠に終わった。
給料はアップし、期待をされればされる程、結果が見劣りした訳で・・・じゃプロでは無い中学生は、2年連続の賞貰っている人は、一体どの位やれば良いの?って言うと、恐らくみんな3年連続と
思っていると思うのね。簡単な話、どの位勉強すると、慶応って安心して入れるの?って有り得ないでしょ?つまり上限なんていくらでもあるのね。でもギリギリ狙いってあるのかな?・・・
つまりやるに越した事は無い・・・ってな事になるのね。しかも切る張るの実力者がね。そんな奴の集大成なんて言えば、大体想像は付くのね。きっとこんな事をして来ると・・・。
だから、やり過ぎなら止めるだろうし、やらな過ぎならハッパも掛けるだろうし・・・ただそれは、2年間付き合った上の話で、午前の子は初めてだから、基準が無い分、手探りになる。
まぁいずれにせよ、どの子も大作なのね。そんな後は、デイ・サービスの花火の残り1枚を終えて、後はペンキ塗りのみ。次はサンプルなんだけれど・・・。